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詩「リンゴ」

 お互い気の毒ですね、という声が聞こえる。この店には毒リンゴが紛れているのだろうか。
 リンゴが台に整列されている。リンゴとしてあるべき枠が白いプラスティックに彫られ、そこに緩衝材を詰めてきっちり埋め込まれている。
 店頭に並ぶ果実はすでに選別された後で、同じような形、色。どれを手に取っても変わらない。同じサンフジ、同じ味、同じ65円。
 じじじ、とスーパーの蛍光灯がいう。空間に緑色が増していく。客はみんなエイリアンみたいだった。ぎろぎろと、品定めをしている。
 それとなく、二つ三つと手に取り、三つ四つと棚に戻した。二つ三つ眺める。三つ四つは手をつけずに返す。
 美味しかった可能性を捨てる。甘かった可能性を捨てる。だが、不味い可能性を拾う。
 一ヶ一ヶ、製品としてのリンゴを鑑賞していく。
 一人一人、さっさとリンゴをもってレジへ向かってしまう。
 あのひと買わないの、と無邪気な子供が訊ねる。
 まだ買ってないんですってよ、と大人が大人にひそひそ話す。
 買えないのかもしれない、ある大人は考えている。
 ぼくをみて、そう思う人たちがいる。
 
「なぜリンゴを憎むのかい?」
 清潔感を保った、中年の男がいた。ぼくがいますぐスーパーの床に転がったって平気で話しかけてきそうなやつだった。彼はリンゴを持ってはいなかった。同族だという理由においてだけいえば、頼もしかった。
「ここに赤色しかないからです。リンゴが嫌いなわけじゃない」
「それはまた困難だ」
「ぼくが持った途端、色褪せて見えるんですよ」
「ああ、どうしようもない」
 男は笑みを浮かべて握手を求めてきたが、無視して歩き出した。
「本当に、どうしようもないんだ」
 皺が刻まれた、人生経験を持ち合わせているはずのこの男でも、模範解答の持ち合わせはないようだった。リンゴなくして成熟などないというのか。
 
 仕事から帰ってきても、ひとり。リンゴはない。テーブルにコンビニ弁当。無味乾燥とした人生。
 突然きづく。怖くなる。身体が衰えてきた。気力がない。好きだった小説や音楽が、その文字列や波形が、もう二度と感動をよびおこすことはない。ただ疲れる。
 もう海老みたいに腰は曲がって、リンゴの木に手がとどかない。あと数センチ。なんてセンチメンタル。ああ、若かりし頃の自分なら。
 絶望する。ひとりでしぬ。
 
 話が合う。
 ひょんな機会で、思いがけなくリンゴが手に入る。
 二ヶになる。
 しばらくたつ。
 喧嘩がやまない。思いが通じない。
 絶望する。ひとりでしぬ。
 
 何らかの偶発で、三ヶになる。
 リンゴを傷つけてしまった。暴力を振るうつもりはなかった。もうぐしゃぐしゃだ。
 人様に見せられたものではない。
 代えのリンゴはない。買ったなら、さいごまでたべてよ。
 やがて家を出ていく。やがて見送る。そうして二人になる。何かを忘れて、何かを失って、またリンゴを自らの腕で傷つける。そんなこと、するつもりじゃなかったのに。
 衝動がとまらない。
 絶望する。ひとりでしぬ。
 
 ところで、リンゴって何色だったっけ。赤か、そうか。赤くて丸くて大きくてみずみずしくて甘くて奇麗でキレイなのがきれいきれいなリンゴ。ハンドソープでリンゴを洗お。ここはジャパァンだヨーロッパなんてしらない。
 
 奇跡的に、3ヶが続いたとする。
 遅くまでパソコンに向かう。目には濃い隈。でも、愛しいリンゴのために。
 リンゴはうれしくない。
 植えたら未来永劫続くかもしれないリンゴの木。
 まだ。まだだ。立派な木にしなくては。木を根づかせて、そうなるって信じてる。自分が頑張れば、リンゴの木も育つ。きっと信じてる。
 いつか子供はいなくなる。
 リンゴのために使い果たしたものをしる。汗ばんだ手のひらに残った、わずかな絞りかすを舐める。
 やりたかったことがあった。
 夢のために貯金した。壮大な野望を、青リンゴと共に抱いていた。
 赤リンゴした。お金を使った。
 大志を忘れていた。
 
 リンゴの指輪が買われる店。雄しべと雌しべのペアが多い。そわそわわくわくしている。
 リンゴのレストラン。雄しべと雌しべ。甘い香り。高い食器音と、交わされた笑み。
 断片としての、リンゴ。すぐに黄色くなる。
 
 リンゴを燃やしちゃおう、と誰かがいった。
 こんなひどいせかいだ、ここでおわりにしよう。
 絶望する。ひとりでしぬ。
 
 求めていた、可能性はどこにある。
 
 絶望した。ひとりでしんだ。その裏。
 ひとりでないていた。リンゴ以前の、キスやハグから欲していた。
 言葉がほしかった。言葉だけ吸って擦って生きたかった。
 結婚ってこわい。人ってこわい。子供ってこわいんだ。みんな何考えてるのかわかんない。
 緑色の光。非常口の標識をみつけた。
 そこへめがけて歩いた。まだ少し希望を持っていたのかもしれない。あっちには何もないさと、本当になにもないときのために予防線を張りながら、何かあると思っていた。
 非常口と呼ばれる踊り場に辿り着いた。ぼくは躍らされていた。
 非常口はいくつもあった。あからさまに有害な煙が出ている非常口に、一見無害そうで地雷原や酸素塩素系混入。やはり、選択の連続だった。
 どの非常口を選んだとて、ぼくは別の入口にぶつかる。
 美味しかった可能性、甘かった可能性、不味い可能性。
 ぼくは、ぼくの林檎を買うべきなのか。

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