雑記「天気と心」
幸せってなんだろうね。今日は晴れたな、よかったな、幸せだな。今日は雨だな、不幸せだな。そういう刹那的な幸せを願っているわけじゃないと思う。
幸せか決まるのは死ぬ瞬間だっていう考えはよくわからない。死に際ちょうど晴れていたのでよかったですっていう話? 未来とかどうでもいいんだ。明日の天気予報くらいはあったほうが便利かもしれないけど、お祭りでもないのに一年後の天気なんか知らなくていい。晴れていても雨でも、その空の下にいる自分はたいして成長していなくて、むしろ終わりに近づいていて、死んだ目をしている。
今後一週間の、わたしのお空模様です。重い朝が続きますね。突然振り出したときのために、傘を持っていった方がいいかもしれません。
みたいに、心を天気とかお天道様の機嫌に、ありきたりに喩えたりはしない。もっと目に見えない、雲の中とか、ぜったいな場所であってほしい。雲はよくわからない。雲の中に亡びた王国があったって、鯨が棲んでいたっていいんだ。秘密の場所にしよう。
涙なんてこれまで抱えてきたものの発露だし、晴れの日だって雨の日だって空気は湿り気を抱えてきた。「晴れ」や「雨」なんて事象に気をとられてはいけないのかもしれない。
気持ちは雲のなかにただよう。
なにが起こっているのか、地上の人間にはわからない。
私は、祈りをささぎ、乞う。
天よ、どうか恵みをお与えください。
満足に生かしてくださいと。
そこそこ満たされていたはずなのに、寂しくなるのはなんで。
ひとが好きだし、ひとが怖い。
幸せな気持ちになると、ときどき涙が出ます。
どうしてでしょうか。
自分でも、自分の心のなかはよくわからない。
ただ、楽しかったり悲しかったりして、天上の気持ちに振り回されて、あやつられるように生きている。
お日さまをあつかましく感じることもあるし、ひなたの優しさに心がぽかぽかすることもある。雨の音や匂いには、寂しさとともに落ち着きや安心を覚える。
天気のメカニズムとはだいたい解明されてしまっている。
気持ち、それは単なるホルモンの分泌や電気信号なのかもしれないけれど、日々移り変わる天気の下を生きることは大切にしたかった。
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