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人間不信のこころ

これは、2022年1月5日に書いた私自身のエッセイみたいなものです。
今現在は少し改善されましたが、人間不信は強く根付いています。
また、ここに書かれている以外にも要因はたくさんありましたが、あまりにも苦痛なので書くことも出来ませんでした。

 

私の心の中の「恋人」「親友」「友達」

26歳のとき、私は何もかも諦めました。

もう2度と、親友や友達や恋人なんか作らないと心に誓いました。
人間を、もう絶対に信じたりしないと決めました。

なぜなら、その年に、すべて失ったからです。

昔から、「友達」には幾度となく裏切られ、僻まれたり嫌がらせをされてきた私でしたが、20歳を過ぎて会社に入ってから、1人の女の子の親友ができました。

でも、「親友」だと心から信じ切っていた私は、「親友」に出会ってから3年後の春に、私のミスと、今まで積み重ねてきてしまった失敗により、「親友」に心から拒絶されました。

これ以上ない絶望を味わって、それからしばらく何をしていたか、記憶がありません。

その後、絶望感と孤独感から逃れられないまま、昔大好きだった恋人に連絡をとりました。再びつながることができて、私は大喜びしました。

その元恋人とは、両想いのまま事情があって離れ離れになっていただけだったので、今度こそまた一緒になれるのではないかという、期待が私にはありました。

けれど、そんなものは何もありませんでした。

事情があって離れた、その事情は当時もまだ未解決のままで、私と元恋人は、再び、昔と同じように傷つけあうようにして別れました。

最愛の「親友」と最愛の「恋人」が音信不通になり、「友達」だと思っていた人には裏切られました。

 

私には、どこにも居場所がありませんでした。

心は粉々になり、砂よりも汚く、壊れてしまっていました。
大好きな両親の存在が無かったら、もう私はその時に死んでいたと思います。

けれど、「友達」「親友」「恋人」は、あの日のまま。
信じることができないまま、最低限の人付き合いと、人脈づくり、話し相手、遊び相手…。

どうしても「友達」、ましてや「親友」などが出来てしまったら、と考えると、私は恐ろしい気持ちになります。
絶望のような、虚無感のような、地獄が見える気がして怖くなります。

「友達」や「親友」「恋人」は絶対に必ず最後には私を嫌いになり、裏切り、傷つけるものなんだと、私は、心からそう信じてしまっています。

 

私は人間が非常に恐ろしいものに思えます。

間違いなんだと思おうとしても、なかなか難しいです。
心を開いて、委ねたり、信じたりしたら、絶対に駄目なんだと、心の奥の自分が、怯えて震えながら泣き叫んでいます。

いつか、人間不信は治るのかどうか、私には何も分かりません。
いつか、また「友達」や「親友」「恋人」と楽しく笑ったりできるか、分かりません。
少しずつでもいいから、この、人間不信の心を、改善していきたいと思っています。

2022年1月5日

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