治ると信じていたから辛いことってあるよね。今を大切に生きたいと思うまでの考え。

抗がん剤治療中の外出の帰り道

母に「治るよ」って言われて、何か感じた。

現代医学では不治と医者から言われ、世界中の文献を読みあさって辿り着いた答えは「骨髄移植」これ以外に完治の道はなかった。(これは、抗がん剤治療を終えて退院した私が色々医学書や文献を読み漁って出した結論。これは、10年後世界中で治験となっていった。)

しかし、その移植ができない。即ち、完治はしない可能性が非常に高い。いや、現代医学では完治しないとされている。

「現代医学では治らない」をどんな気持ちで呑み込み、咀嚼しようとしたか……

軽々しく「治る」なんて最高のことが起きるなんて「嘘の希望」なんて持たせないで欲しい。

「治る病気じゃないから」ただその言葉だけを放った。

見ず知らずの人に、私のハゲ頭を見て、「そういう病気!」と悟られた。

おそらくは彼が思った病気ではないのだけれど。

そして、様々な勇気が出る言葉をいただいて、私は「治らない」を心から永久追放した。(この時は、この会話に心から感謝し、これはいつしかなにかの時の心の支えにもなった。)

そして、存在しない「完治」を目標に頑張り続けてしまう。

「治る」と信じて……

今は治せないのであれば、自分がその治療法を発見するくらいの心構えで…前進して……

いやね、いい人生だったのかな?(まだ続いている)まぁ、それなりに楽しいこともあるけど、「完治」これが自分の中のコアの目標になっていたのかもしれない。ただ「今を楽しむ」これ…できてたかな?確かに、日々全力で生きていた。うん。もう少し気楽に楽しめたかもしれない。しかし、今更そんなことを言っても仕方がない。

紆余曲折あり、別の疾患で骨髄移植をした。

これで、ハッピーエンドになるはずだったんだけどな。
結論から言えば、完治しなかったからこのnoteができた。

尊厳が守られる疾患と、守られない疾患の存在を痛感するキッカケになり、社会の不条理なシステムに憤りを覚えることとなった。

しかし、結局日々楽しく過ごしているし、全ての人が周りに完全には理解されない側面を持ち合わせているのであろうことも知った。

何気に、色々と人生勉強になり、頭の整理というか、心の整理というかができた。それはそれで良かったのかもしれないとも思う。

人生何があるかは分からない。何が起きても、どう捉えて、どう行動するかは自分の選択なのかな?生まれつきの性分や生い立ちで刻まれた何かによって、考え方も行動も左右されるのかもしれない。だって、脳という臓器は、自分のDNAをベースに組み立てられた臓器なのだから。自分の遺伝子と環境的要素が相まって生み出されるのが自身の身体で、自分という人間だろう。

なんだろう。コントロールできないことを自分の考えや力だと勘違いしているのも人間だろうし、自分の知らないところで他者を動かして結果を出すのも人間だろう。

うーん。「人間とは」などと考え出すとキリがない。「今」に感謝し、その「今」を最大限感じてそのまま受け止める。そうして刻む時の積み重ねが後に「人生」という名前に変えられて振り返るアルバムになるのかもしれない。

今を大切に生きたいね。

ぜひサポートよろしくお願いします。 ・治療費 ・学費 等 に使用し、より良い未来の構築に全力で取り組みます。