ふくいンゴ

好きな四字熟語:乾坤一擲

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最近の記事

もがき

引っ越してから半年ぐらいテレビが無かったので9月にヤマダ電機でテレビを買った。半年間テレビが無かったのは普段ほぼテレビを観る習慣がないからだ。自分で観るのといえば映像の世紀バタフライエフェクトというNHKの番組だけで、これは受信料さえ払っていればPCのサイトでも見られる。そのため、半年間テレビを持っていないのに受信契約だけは律儀に結んでいるという、テレビは持っているが何がなんでも受信料を払わないそこら辺の大学生の逆みたいなことをしていた。 そのテレビを購入してから最近まで一

    • あなたは表紙を、あなたは参考文献を

      自分のいた文学部社会学専修では4年の6月に卒論の構想発表会があり、そこからめいめい教授のご指導のもとインタビュー調査に奔走し、秋あたりから論文を書き始めて1月に提出というのが一連の流れだった。 文学部全体のレギュレーションでは文字数は2万字という指定だったが、なぜか社会学は独自で4万字を要件として課していた。狂ってんのか。 昨年5月の俺はとにかく焦っていた。就職がまだ決まっておらず、人生の構想もままならないのに卒論の構想を考えなければならなかったからだ。とりあえず辛うじて脳

      • テトリス

        7月から配属部署が法人営業になりました。7月の前半あたりはOJTの先輩に仕事をちょいちょい振ってもらいつつ、しかしまだペーペーなのでその量も知れていた。なので空いた時間に会社の資料共有ボックスを読んだりExcelのショートカットキーを検索したりといった余裕があった。これは自分の明らかな弱点だが、マジでショートカットキーをまるで知らない。コピペがcontorol+C/Vという初歩的なのすら知らなかった。大学4年間イキってMacを使っていたがマウスパッドとクリックの原始的な方法に

        • 新生活

          大学にいた頃は、就職したら東京に住みたいと思っていた。単純な理由で、人生で一回ぐらいは上京してみたかったからだ。上京できたらアパートのベランダできのこ帝国の「東京」とくるりの「東京」を聴くという野望があった。大学の知り合いが大体首都圏に引っ越すのも大きかった。 結局会社から言い渡された配属先は大阪とのことで、当初の野望は叶わなかったが、そもそもが大した理由でもないのでさほど抵抗もなく大阪での新生活がぬるっと始まった。 南海電鉄の各停しか停まらない町で暮らし始めた。近くにでけ

          台湾旅行好吃

          前夜 台湾に行こう、と言い出したのは経済学部の友達のTだった。 これまで、同じく経済のHという友達と僕の3人で秋田の山奥の温泉に行ったりしていたのだが、卒業旅行ということで思い切って海外に出ることになった。 Tの家でマリカーをしながら飛行機と宿の予約を完了させ、3月8日のフライトで台北に向かうことになった。 ちなみに、僕とHは大学1、2年の時に中国語を履修した経験がある。台湾の人ともコミュニケーションが取れるというわけだ。 しかし習った内容はほぼ記憶から消え失せてしまってお

          台湾旅行好吃

          仙台百景

          春から就職のために大阪に引っ越すことになった。大学4年間を過ごした仙台を離れることになって、3月は引っ越しの準備や最後に人と会うので忙しかった。卒業式を終えて新居に越してきたのがつい先週のことだ。 仙台は僕にとって初めての一人暮らしの舞台で、地元の京都からは遠く離れた土地だった。 4年間で会った色んな人に、「なんで京都からわざわざ仙台の大学に?」と聞かれた。僕はいつもこう答えていた。 「仙台は行ったことがなかったから」 だいぶ適当な理由だけど、半分は本当だった。残りの半分は

          北海道旅行記(と置いてきた卒論)

          「この先、列車は鹿などの野生動物が多い区間を走行するので、やむを得ず急停止・急減速する場合があります」 1/12、僕は北海道最北端の街・稚内行きの特急列車に揺られていた。終点までは4時間半。列車は平日の昼間にしては混んでいて、長旅に飽きた乗客の多くはシートを倒して寝息を立てていた。 冒頭の不穏なアナウンスがあった数分後、急ブレーキがかかって列車はおそろしく減速した。車窓に顔を近づけて見てみると、先頭車両の前をエゾシカが走っているのが見えた。線路の脇に逃げればいいのに律儀に列

          北海道旅行記(と置いてきた卒論)

          山形旅行ダイジェスト版

          2/8をもって口頭試問が終了し、あれだけ頭を悩ませていた卒論のすべてが終わった。追加のレポートもないらしい。これはもうお祭りですよ。お祭り。 で、次の週に同じ研究室の友達と2人で山形に行くことになったのである。その彼とは一緒に研究室に入り浸って作業を進めたり、ストレスを癒すべく居酒屋に駆け込んだり、提出ギリギリに参考文献リストを直してもらったり、PDF変換のやり方を教えてもらったりととにかく一緒に切磋琢磨したというか、一方的にお世話になっていた。 2/15とりあえず仙台駅

          山形旅行ダイジェスト版

          徹するな

          年明け〆切の卒論が結構やばくてnoteなんか書いてる暇あったら参考文献のひとつでも読みゃあエエのに、て感じなんですが毎月一本投稿はしたいのでちょびっとだけ書きます。 あなたがこの文章を読んでる頃には私は仙台にはいないでしょう。というかもう既に京都にいてます。帰省どす。 ここ2週間ぐらい、昼に起きてそのまま研究室に行き、ド深夜まで卒論をやるというのをずっとやっており、23時とか0時とかに帰るのもザラにある状態だった。なんでうちの研究室は24時間開いてるの?磯丸水産か??そんな

          noteの通知に「11月中に記事を上げないと20ヶ月連続投稿が止まりますよ」と脅されたので急ぎでこれを書いています。AIのくせに人のブログの運営に口出ししてくな。11月はシンプルに卒論が忙しかったです。そのくせ普通二輪免許取ろうとしてるし。このままだと卒論が書けてないのにバイクには乗れるおもしろ人間になってしまう。そんな危機的状況なのに中旬はコロナでダウンするし。自宅療養で八日まるまる家にいたんですけど、人間一週間もワンルームに閉じ込められてたらやる気とか生気とかエネルギーが

          パーマ(2022.10.7)

          最近は時間が飛ぶように過ぎていく、というのは居酒屋の方のバイトが週3とかになった結果、バイト飲み会バイトバイトバイト、みたいなスケジュール構成で必然的に飲み会を楽しみにバイトを乗り切るみたいな生活に毎日がなっているからで、そこに卒論が絡んでくるともう暇もクソもないわけですよ。マジで。 8月から始めた居酒屋は覚えること多くて忙しいし慌てちゃうので、一回開き直って波に漂う流木のごとく心を無にまかせることで乗り切れるようになってきた。のはいいんだけど、何か楽しいことも一瞬の感慨もな

          パーマ(2022.10.7)

          八月のワイ

          先月に引き続いて卒論が進みません。というか先月は就活が終わった反動で飲んだり福島競馬場で負けたり花火を観たり飲んだり沖縄に行ったりしてたらシンプルに卒論が入り込む余地がなかった。で沖縄に行ってる間にゼミをブッチしている分、八月に入ってからようやく教授と面談を行ったが、担当教授はヒントを与えて適切なゴールに導いてくれるというよりはひたすら問題点だけ指摘して自分で考えさせる感じのスタイルだった。それで僕がなんも質問できないでいると教授もずっとおし黙っているので、終わりが見えない面

          八月のワイ

          もっと自由な文を、

          例えば夏休み最終日の夜に膨大な宿題に取り掛かっている時のような、あの焦燥と諦念の入り混じったギリギリの取捨選択によって脳の焦げ付く匂いが日常のそこかしこに溢れているのだとしたら。AIに人生の一番効率的なルートを尋ねてみたところで奴らは「すみません、よく分かりません」としか言わない。他人の考えていることは分かりません。自分の考えていることもよく分かりません。こんなぐるぐると考えてどこに行き着くのでしょう。どこにも行きつかないように見えて、螺旋状に下に落ちていっているのかもしれま

          もっと自由な文を、

          梅雨か夏かわからん記

          6月はまず頭から卒論の構想発表があってド忙しかった。何で就活と卒論のマルチタスクをやらされなあかんねん、というどうしようもない憤りを抱えながら教授(強い)と面談をして、うんうん言いながらレジュメやパワポやらを頭から捻り出した。俺の記憶が正しければ2年の時から社会学を専攻しているはずなのに未だにこの分野をよく分かっていない。発表会では教授・院生陣から素人質問で恐縮ですが砲とかそれ社会学的意義あるんですかビームとかが飛んでくるだろうと身構えていたが、なんとか耐えた。曲がりなりにも

          梅雨か夏かわからん記

          五月、柳絮

          大学のキャンパスへ至る道は、広瀬川沿いの高低差のある地形を斜めに突っ切る上り坂になっている。その坂の上りはじめのところで、目の前を白い綿毛がふわふわと風に舞っているのを見た。 柳やポプラなんかの木は春に花を咲かせたあと、晩春から初夏にかけて綿毛に包まれた種子を飛ばす。柳絮というらしい。坂道は幅が狭い割に路線バスや自転車などがよく往来してごちゃごちゃする。それらのごちゃごちゃした上を、綿毛は坂の上から流れてきて自由気ままに移ろっていた。五月晴れの昼の空が高く澄んでいた。 五月

          五月、柳絮

          魔城・晩翠ドンキ

          僕の住む家の周辺には西友・みやぎ生協という二軒のスーパーが立っている。さながら客を奪い合うように道を挟んで火花を散らしあっており、生協にないものは大体西友にあり、反対に西友にないものは生協にあるという具合である。近辺の住民たちは用途や気まぐれに応じてこの二つのスーパーを使い分ける。 が、まれに西友にも生協にも並べられていない商品が存在することがあり(ぐんぐんグルトとか)、そういった場合に人々がどこに向かうのかと言えば、距離は少し遠くなるが晩翠通りのドンキホーテに行く。ドンキ

          魔城・晩翠ドンキ