あなたは表紙を、あなたは参考文献を

自分のいた文学部社会学専修では4年の6月に卒論の構想発表会があり、そこからめいめい教授のご指導のもとインタビュー調査に奔走し、秋あたりから論文を書き始めて1月に提出というのが一連の流れだった。
文学部全体のレギュレーションでは文字数は2万字という指定だったが、なぜか社会学は独自で4万字を要件として課していた。狂ってんのか。


昨年5月の俺はとにかく焦っていた。就職がまだ決まっておらず、人生の構想もままならないのに卒論の構想を考えなければならなかったからだ。とりあえず辛うじて脳に浮かんできたアイディアをすくい集め、それっぽくパワポを急拵えした。それ以外にできることといえばスティーブジョブズの動画を見てプレゼン能力にバフをかけることぐらいだった。

構想発表はなんとか終わり、担当教授が決まったのだが、三人いる社会学の教授陣の中で一番つかみどころのない教授が担当になった。
たぶんその教授と自分はタイプが似ており、頭の中で考えていることに対して口語のアウトプットが追いついてない観念主義者同士だったのが致命的だった。教授との面談はまるでお互い目隠しで気配斬りをやっているような時間が続き、ついに沖縄旅行にかこつけて7月のゼミを飛んだ。


本来なら夏休みでインタビューに行く必要があったが、いかんせん元々骨組みの弱い構想に教授のダメ出しを食らっていたのでインタビュー先すら決まっていない。あとゼミを飛んだ後ろめたさから教授に連絡も全然取っていなかった。一応形だけ図書館には行っていたが、卒論と全然関係ない小説を読むか夏競馬の予想などをしていたので当然のように一ミリも進まなかった。


夏が終わり、秋口になると何故か居酒屋のバイトやら二輪の教習を始めてしまい、リミットだけは刻一刻と近くなっていた。一文字も書いとらんのに。
あまりに俺が報連相をしなすぎたせいで教授側も心配したのか、この頃からだいぶ対応が優しくなった。ゼミ飛んですんません。とりあえず教授がテコ入れしたテーマで進めることになった。
社会学専攻で学んだ数少ないことの一つに「ラポール形成」というのがある。インタビュー対象に足繁く通い、徐々に信頼関係(ラポール)を形成することで良い結果が得られるというものだ。インタビュー先とは順調にラポール形成が出来ていたが、今思えばそもそも教授とのラポール形成が最初に必要だった気がする。


12月頭、残り1ヶ月の時点で2500文字だった。相当まずい。なんだかテーマも仮説も着地点も分からないままとりあえずインタビューし、参考文献をくっつけてはキメラのような怪文章をひたすら肉付けしていった。12月はW杯もろくに見られずひたすら研究室に篭った。三苫の1ミリに国民が沸いた瞬間も、インタビュー結果をひたすら引用することで文字数を稼ぐという小学生の読書感想文のようなことをしていた。

研究室で見た有馬記念


1/6、運命の提出日。午前中の時点で39000字。1000文字を半日で捻出しなけれなければならない計算だ。いけそうにも聞こえるが、既に4000字で済みそうなことを無理くり10倍希釈したような内容だったため、これ以上書くことは皆無に近かった。追い討ちをかけるようにPCの電源が急に点かなくなるという事態も起こる。この時気付いたが2023年は本厄だった。


締切1時間前。研究室のPCを借りてキーボードを叩き続けたが、まだ参考文献や表紙といった作業が残されていた。時間が明らかに足りない。
留年の二文字が脳裏をよぎりながら研究室を見渡すと、そこには既に提出を終えた同期が数人いた。
その時俺の頭には「あなたはAEDを、あなたは救急車を」が浮かんでいた。
そう、プライドをかなぐり捨て、同期一人一人に表紙、参考文献、PDF変換、製本などを分担してもらうことにしたのだ。教習所で得たノウハウがこんな所に活きるとは思わなかった。
最終的に40200字の卒論をギリギリ2分前に提出。



今でもその同期に比べて明らかに薄い卒論が研究室にあるはずだ。人の目につかないうちに不審火などで勝手に隠滅されへんかなあと思っている。


よろしゅうおおきに