山形旅行ダイジェスト版

2/8をもって口頭試問が終了し、あれだけ頭を悩ませていた卒論のすべてが終わった。追加のレポートもないらしい。これはもうお祭りですよ。お祭り。

で、次の週に同じ研究室の友達と2人で山形に行くことになったのである。その彼とは一緒に研究室に入り浸って作業を進めたり、ストレスを癒すべく居酒屋に駆け込んだり、提出ギリギリに参考文献リストを直してもらったり、PDF変換のやり方を教えてもらったりととにかく一緒に切磋琢磨したというか、一方的にお世話になっていた。

酒好きの友達


2/15とりあえず仙台駅に昼に集合。
「どうしよう」とおれ。
「どうしましょう」と友達。
この時点ではまだ旅程が決まっていなかったのだ。前々日に友達んちに行って決めようとしたが、ウイスキーなどを飲んでいたら何も決まらなかった。
「とりあえずラーメン食おう」
「いかいでか」
って、近くの店に吸い込まれて行った。山形旅行一発目の飯は仙台っ子ラーメンである。

おれも友達も何故かひどく疲れていた。おれはバイトの関係で2時間しか寝ておらず、友達は前日7時から23時半まで働いていてシンプルにコンディションが悪かった。
とりあえず電車で山形に向かうことに決定。仙台から仙山線に乗り込んで、眠いので寝るかと思いきや全然寝られずに1時間ぐらいで山形に着いてしまった。

ふつうに雪ある


先に言っておくとおれは山形市をナメていた。山形の人は基本仙台で遊ぶらしいし、仙台市山形区とか揶揄されてるぐらいなので、そない大したことないやろと思っていた。
山形駅に降り立った我々は、
「どこ行こう」
「どこ行きましょうか」
「とりあえずこの文翔館てとこ行こうぜ」
「いかいでか」
文翔館。明治時代に作られた旧山形県庁舎らしい。駅から15分ぐらい歩く。もっと駅前につくれ。あと寒い。晴れててあったかいですよみたいなツラをしていたが、そのとき山形は昼間で0℃ぐらいだった。
そうやってあまり期待してなかった文翔館でおれは度肝を抜かれた。デカい。立派。国会議事堂とあんまり遜色ない。昔のまま再現されている会議室とか貴賓室を見てえらく感心してしまった。
広い広い議会会場があった。前の議長席に立ったおれは、
「県民の税金を200%にします」
とカス県知事ごっこをしたら、友達は「最悪だ」と言った。

威容マシマシ文翔館


その後、霞城公園という広い城跡などを散策して駅に戻る。山形は名所旧跡が色々あって意外と観光できることに段々気づき始めた。むしろ仙台は結構負けている。
電車で上山温泉まで移動。おれも友達も口数がえらく少なくなっていた。歩き疲れたので早く温泉に入りたかったのだ。カス寒いし。

ローカルな居酒屋でビールの中瓶と日本酒一合を飲んだ時点でおれの眠気は限界だった。2時間しか寝てねーんだもん。てことですぐ出て投宿。お布団に転がったら疲れがどっとでて2人とも動けなくなった。旅館にて ダラける時間が おれは好き(季語:旅館)
「そろそろ温泉入るか」とおれ。
「入りましょうか」と友達。しかし中々立ち上がれず、一念発起して温泉に向かうのにだいぶ時間がかかる。
温泉はこの寒いというのに窓が開けられていた。さみい。サッと体を洗って湯に入る。あちい。みると温度が45℃ある。なんやこの温泉。

朝飯、幸


翌朝。旅館の朝飯を食う。幸福。
朝風呂。あちい。さみい。
チェックアウトをゆっくりしすぎて1時間に一本しかない電車を逃しそうになったが、山形駅に帰還。
仙台に戻るまでにはまだ微妙な時間があった。
「どうしよう」
「どうしましょう」
「そこら辺の喫茶店でも行って考えよう」
「いかいでか」
ってんで、その辺の喫茶店に入った。ウインナーコーヒーを啜りながら、
「昼飯どうしよう」
「山形ラーメンてのがあるよ」
「そこにしましょう」
で、近くの店でラーメンを啜って仙山線に再び乗り込んだのである。


ニッカウヰスキー仙台工場。酒カスの我々にとって、今回の旅の一番の目的地であった。
この工場、アクセスが悪い。ただでさえ市街地から離れた山奥にあるうえ、最寄駅から20分ぐらい歩くのだ。じゃあなんですか。車で行けっていうんですか。車で行ったらウイスキー飲めないでしょうが。ということで、作並駅で下車して何も無い道のりを行軍し始めた。

20分ぐらいして工場には着いたが、何故か見学者用の門までさらに5分強歩かされる。あまりに遠い。ディズニーリゾートラインみたいなのを設置してほしい。
ようやくウイスキーの製造工程を見学。へーとかふーんとか言いながら見ていって最後にお待ちかね試飲のコーナー。3種類のウイスキーなどが出てきて氷とか水とか炭酸が置いてあって自由に割ったりできる。これほんまに無料ですか?

左が一番のみやすい


3種類飲んだらぺろぺろになった。ぺろぺろのまま帰路につく。また20分歩いているうちに酔いは覚め始め、後には足の疲労だけが残った。
創業者の竹鶴さんは工場の近くを流れる清水でウイスキーの水割りを作った瞬間にここに作ることを決意したらしい。頼むからもうちょい駅近にしてほしかったとおれは思った。完

よろしゅうおおきに