君たちはどう生きるか観た

※ネタバレ含みます





一つの破滅と調和をみた。

描かれているのは、此岸ではなく彼岸。形而下ではなく形而上。実存ではなく本質。観念的なイメージの嵐がスクリーン上で踊り狂う。

普段われわれが生きる実存の世界においては、満員電車に詰め込まれ、人の数にウンザリし、降り積もる仕事に押しつぶされる。森林は伐採され、地球の裏側では紛争が起こる。
そんなのばかり見ていても気が滅入るので、人々はときどき観念に逃げる。考えごとをしながら。酒に溺れて。あるいは宗教の教えに触れて。人々の思考は浮遊し、際限なく広がる観念の世界に迷い込む。

この映画はそうした捉えどころのない観念を、忠実に描こうと試みた途轍もない作品だと僕は思った。


作中では、進行とともに現実世界に抽象的なイメージが入り混じっていく。思考が暴走する。因果的な繋がりのない抽象的な観念たちは現実を包み込んでやがて瓦解していく。
「大叔父」が理想のもとに構築した世界はアンバランスな積木であり、結局それは鳥たちが支配する現実世界に似たものだった。ギリギリのバランスで保っていた世界も少しのズレで崩れていく事実を突きつけられる。破滅。

主人公は現実に戻る選択をした。たとえそれが戦火にまみれる世界でも。現実にある世界はいつでも揺るぎなく存在していて、人々はどれだけ観念に思いを巡らせようがそこに戻るしかないのだ。ある種の開き直り。これこそが調和。

胸のすくような破滅と、そのあとに訪れる調和。
上手く解釈するとすれば、これはあえて観念的な世界を描くことで、ありのままの現実の世界で「君たちはどう生きるか」を我々に問いかけているかもしれない。



観念的なイメージの奔流に脳みそを洗われて、最後の米津の曲でととのって妙にスッキリした気分になりました。
君たちはどう生きるか。僕はこれからおうどんをたべます。

よろしゅうおおきに