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ン十年前の、就職奮闘記…やりたいことが見つからなかった、らびっとの就活“てんやわんや”の話

私が就職活動をしたのは、学校上がりにするものが初めてだった。

その当時、“就職超氷河期”と言われた時代で、数年前の状況とうって変わり、大変厳しかった。

だいぶん昔の話であり、今のやり方とは違うため、読む方にとってはピンと来ないかもしれない。…何せ、パソコンは高級品で、ようやく普及していたのがワープロだったからである。

同級生はひたすら資料請求のハガキを会社に送っていた。50枚と直接聞いた人もいたが、私が知らないだけで、百枚単位で書かれた人もいただろう。

こんな時でも「何とかせなアカンなぁ~。これ以上学校行って勉強するのもイヤやし、両親にも迷惑をかけられない。自分も将来困る。」とは思っていたが、根が“スチャラカ”な私はとりあえず20枚ほどしか、ハガキを書かなかった記憶がある。

その後は、“会社合同説明会”の会場に出向いて、資料をもらったり、話を聞きに行くようにもなる。

ビックリしたのは「大学生の方、今回募集がないのでお引き取り下さい!!」と話をする前に門前払いをされていたことだ。話すら聞かせてもらえないのである。

「え?そんなん、言われるんや……!」と呆然と聞いていた。

折角、学校に行って勉強し、知識もつけた人も多いのに、むごい仕打ちやなと思った。かえって、短大生とかのほうがその頃は需要があったのかもしれない。

大学生=総合職…もちろん営業職が主流となるのだろうが、当時は事務職になりたい人が多かったと思うので、相当の覚悟を持って、就職せねばならないことに、そういう所へ行くとイヤでも突きつけられる。

営業職=大変(勿論、現在でもそうなのだが)というイメージが強烈に植え付けられていたので、ひたすら予想以上にすごい状況に圧倒されるのみだった。

私は何社か話を聞いたが、ある会社のパンフレットだけもらって、帰ったのである。

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一社、学校から推薦をもらって受けるために、学内の希望者に対して面接が行われた。

「好き、もしくは興味のある業種で、家から通える。」というところが見つかり気に入ったので、当時はインターネットもなく、学校にある資料のみで判断し、「やる気」のみで臨んだ。

すると、自分でも驚いたが、学内面接に通ったのである。

早速、日程の日に会社に出向いた。

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実はこの会社の面接は、私が「近い」と思っていた所は一営業所で、実際は本社(かどうかは、今となっては不明)と思われる遠い所で行われた。朝の5時から起きて出発して行ったので、眠くて頭がボーっとして回らない。

いざ面接が始まると、内容は忘れたが、答えに窮するような予想外の質問をされた。その上頭の中は若干“開店休業”なので、万事休すだった。

(こりゃダメだ。)と思ったのか、面接官に「好きなものは何ですか?」と突然質問内容が、ガラッと変わったことを聞かれて、不意を突かれた気になった。

そこで私は「フィンガー5が好きで、よく聴いてます。」という趣旨のことを、若干熱く語った気がする。

▽懐メロ好きな話はこちら

いくら昭和懐メロ、歌謡が好きとは言え、今となってはこの回答は頂けないことは、“スチャラカな、らびっと”にも分かるが、予習もそこそこ、寝起きに近い“開店休業”な頭では、これが精一杯の回答であった。

これは今だから思う個人的な見解だが、最初なら緊張をほぐすために、直接関係ない話をすることもあるだろうが、質問の最後の方で“どーでも良い”質問をされだしたら、もうアウトだなと、この時悟った。

案の定、結果は“不合格”であった。

学校の就活担当者にも「あんなに学校の面接良かったのに、何でだろうね?」と言われたが、“フィンガー5”の話はさすがにできなかった。
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またある地元で有名な菓子会社にも応募して、電話をかけたことがある。

やり取り自体は普通に終わったが、最後電話を切る時に、「失礼します。」で終わるところを、思わず某バイト先でよく使っていた「ごめんください。」で締めくくってしまった。

それも悪いことではないが、状況的にあまりよろしくない。しかし、「失敗が許されない」と思っている私の口から、思わず飛び出してしまった。

“電話を切るのは相手が切ってから。”の法則により、こちらがまだ切ってなかったのだが、「ごめんくださいやって!」と言って、笑われているのが丸聞こえであった。

勿論、この笑いには「これだけ就職が厳しいから、学生さんも大変なんだろうな。」という意味も多少は含まれているのだろうが、聞いてるこちらはあまりいい気はしない。

ビジネスマナーとしても、そこは気をつけねばならないところなのだが、失礼ながら“その程度の会社”なのであろう。

こちらも面接までこぎつけられなかったが、私も選べる状況ではない身でありながら、“こっちから願い下げじゃ!!”という気持ちになり、母にもその話をすると、「ホンマや!そんなとこ、行かんでエエ!!」と言ってくれた。

…しかし、そこの菓子が昔から好きな母は、今でもしょっちゅう買って、食べてる様子を見ていると、いかんともしがたい気持ちになるのである。

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「う~ん、もうネタが尽きてきたなぁ…どうしよう???」と思っていた頃、あの前述した“会社合同説明会”の時にもらってきたパンフレットの会社に現段階での最後の望みをかけることにした。

実はこの会社、近くで働けそうなのは良いのだが、業種や職種が私が一番避けたいものであり、そういう意味であまり気が進まなかった。

「興味の持てない職種で、果たして働き続けられるのだろうか?」と不安になったが、選んでる場合ではないし、ある程度の知名度もあり、福利厚生等しっかりした会社だったので、そこへ連絡することになった。

「私、〇〇と申します。この度就職のことでパンフレットを見てご連絡させて頂いたのですが、担当のAさん、いらっしゃいますか?」

と聞くと、電話に出られた女性職員に「ちょっと待ってくださいね。A▢▢(役職名)、A▢▢!」と探しに行ってくださったが、席を外しておられたようで、後ほど改めてということになった。(この時、若干前回の菓子会社のくだりを思い出す)その後、色々やり取りをし、無事筆記試験まで話が進んだ。

筆記試験(マークシート)は、内容によりチンプンカンプンではあったが、それも何とか合格し、どうにか面接までこぎつけた。

面接は就職担当部門長+役員の6対1だった。このパターンは、私にとって初めてであった。

でもこの段階では、これを落とすと、次がない。絶対合格しなければならない。

私は質問に対して、各面接官の顔を一人ひとり見ながら、答えた。するとメモをしていた人が、私が顔を向けるとビックリしていた。

中には、こちらの想定外の痛い質問もきた。

…でも私は、(もう分からんもんは分からん!!)という気持ちで、若干さっきまでの勢いはどこへ行った??的な状態で、正直に思った“トンチンカン”な答えを言った。

答えた後、過去の失敗した面接も一瞬、走馬灯のように頭をよぎった…。

しかし「ワハハハハ!!」と全員に大爆笑されたのである。

勿論こちらは真剣だし、ウケを狙ったわけではない。…だが、「オモロイやっちゃなー!」的な大爆笑をされてるようだった。

面接が終わり、これがどういう結果を生むか分からないが、同じ受けに来ていた同い年の人が、帰る方向がいっしょだったのもあり、迎えに来てくれた父の車に一緒に乗って帰った。

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それから数日後、私が不在時に電話がかかってきて、母が出た。

当時、会社名が別名で呼ばれ出した頃だったので、その名前でかかってきたのが、母は“怪しい会社”からかかってきたと思ったようで不信感満載で、無愛想に切ったと、帰ってきてから言われた。

「えぇーっっ!!それ、この間受けた〇〇会社やで。」
「え!ウソ?!どうしよう?!」

すると無事、担当の方から電話をもらい、遂に“合格”したのである!!帰ってきた父にも、早速報告し、両親と共に喜んだ。

実はあれから、もう一社受けるところを見つけ、地元で有名な菓子会社を受けてる途中で、一次書類選考に通っていた。業種的には、そちらの方が興味津々だったが、通うのに遠かった。

それと、とにかく早く就職を決めたかった(他にも若干理由があるが)。しかも内容はともかく、安定した会社だったから、逃したくなかった。

後日、私はその辞退したい会社に「お礼、辞退の旨、謝罪」を述べて、電話を切ったのであった。

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その後、やはり得意でない分野の業種のため、苦しい思いはしたが、会社内で興味を持ってやりたかったことは、概ね・・スムーズにさせてもらえた。

また苦しい中にも、仕事の面白さ、どうやったら効率的にできるのかの創意工夫、自分が得意、不得意と思っていたことが意外とそうでもないこと、人との接し方、コミュニケーション、話し方、会社の中で何を意識して働かないといけないのか等、様々なことを学んだ。

私もいい年して、未だに自分探しをしているところはある。

しかし、当時もやりたいこともなく“取り敢えず就職”になったが、学んだこと、得意なこと、やっぱり苦手なこと等、やらないと分からないことが見えてきたし、分かったこともたくさんある。

将来何になりたいのか分からない、どうしたらいいか分からない人は、とにかく怖がらずに色々チャレンジして、自分の得意なこと、やりたかったことを見つけていってほしいと思うらびっとなのであった。

▽どうしても早く就職を決めたかった理由の一つはこちら

▽就職してからの悪戦苦闘ぶりはこちら


#就活体験記

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