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アーティスト殺人行為②~「その人らしさ」が殺される絶望~

「その人らしさ」を大事にすること

「アーティスト殺人行為①」でも書いたことですが、子育てをする上で私が一番大事にしているのは「その子らしさ」を殺さないってことです。①では、私の身に起こった「大きな殺人行為」2つについて取り上げました。この2つは、自分がこんな職業につきたい、という気持ちを潰されたり潰されそうになったりした出来事です。こういった類の(割と大きな)出来事は、分かりやすい事件だと思います。でも実は、日常のほんのささいな出来事で「その人らしさ」が潰されていっている時があります。今日は、そんな「小さな殺人行為」について綴ってみたいと思います。

ちなみにこの「アーティスト殺人行為」という言葉は、私が考えついたものではなく、三角大輔さんの言葉をお借りしています(詳しくは「アーティスト殺人行為①をお読み頂ければと思います)。簡単に言うと、人が「〇〇したい」「〇〇になりたい」と夢中になっていることに対して、周りの大人が「そんなの無理でしょ」「悪いことは言わないからやめとけ」と潰してしまう行為です。周りの大人は、良かれと思って忠言しているんです。客観的に見たらその道は茨の道で、確かに「うまくいくか、食えるか分からない」「安定していない」道で、苦労するのが目に見えている。だから「やめた方がいいよ」と忠告しているんですよね。

うんうん。つい、そう言ってあげたくなるのも分かります。大事な人には痛い目にあって欲しくないですもんね。でも、その人が夢中になってできていることで、その人の中から自然に出てくる「やりたい!」という気持ちって、生きていく上で一番大事で一番必要なものじゃないでしょうか。

「アーティスト殺人行為②~『その人らしさ』が殺される絶望~」では、私の身に起こった、「小さな殺人行為」について取り上げます。日常のちょっとした、見落としてしまうような出来事ですが、その積み重ねによって、その人の「生きづらさ」につながっていく。そんな怖い出来事です。怖いからこそ、皆さんに知って欲しい。自分がそんな殺人行為をされている側の人にも、してしまっている側の人にも、気づいて欲しいと切に願います。

小さな殺人行為

それは、私の子どもの頃、日常的に起こっているやり取りでした。いくつかのエピソードをご紹介します。全部、小学生の頃の話です。

エピソード1
私がたくさん食べ過ぎて、もう食べられない時(私は食べるの大好きなぽっちゃりさんだったので、小食の子が言ってるんじゃないですよ。しっかり食べた上での会話です。)
私「もう、おなかいっぱい」
母「おなかいっぱいじゃないよ。食べられるよ。」
そう言って、食べさせられました。給食を残しちゃいけない時代。給食を食べるのが遅い子は、掃除の時間になっても食べ終わるまで一人机に残って食べてた時代でした。そんな時代背景もあったかもしれません。(ちなみに私は食べるのが早かったので、一人残ってたことは一度もありません)

エピソード2
私が好きではない食べ物がたまに食卓に並んだ時、
母「騙されたと思って、食べてみ~。おいしいから」
私「やっぱり苦手」
母「おいしいから」
こんなおいしいものを、おいしくないという私の感覚が間違っていて、母はそれを何とか正そうとしている。そんな感じでした。

エピソード3
心配性の母は、私が風邪をひいたらいけないと、とっくりのセーター(昔はとっくり、って呼んでましたよね(笑))を着せられてました。「暑いから嫌だ」と言っても、「暑くない。今日は寒いんだから、これ着て行きなさい。」ととっくりを着せられて、のぼせてました。

エピソード4
私が転んで「痛い~!」と泣いている時
母「痛くない!痛くない!泣かない。」
痛くない、と思えば痛くない。そんな感じ(笑)

エピソード5
山の手の上品なおうちの子として育てたかった母は、子どもに着せる服にも理想がありました。豪華な刺繍がほどこされ、ひらひらのレースがついた服。私は嫌いだったんです。でも、「これ嫌だ」と言っても、「嫌じゃないよ。似合ってるよ」と着せられてました。

ごめんなさい。読んでたら、嫌な気分になってきますよね・・・。
でも、私の子ども時代は、こんな毎日。
断っておくと、母は子どもに意地悪するような人じゃありません。食べるものは手作りがいいと、毎日料理をしてくれましたし、手作りの服もたくさん作ってくれました。子どものためにと思ってしてくれたことは山ほどあります。これを食べた方が栄養になる。これを着た方が風邪をひかない。痛い思いを封印した方が強い子になれる。これを着た方が見栄えがいい。そんな風に思って、よかれと思って言ったんでしょう。でも、私はしんどかった。何でしんどいのか、その正体は分からなかったけれど。

自分の感覚が分からない

ご紹介したエピソード。そこで何が起こっていたか、お分かりでしょうか。私の感覚がことごとく否定されています。これが小さな殺人行為です。天真爛漫な子だったら、「嫌なもんは嫌だし~!」と拒否できるんでしょう。でも私は大人しい、自己主張をあまりできない子だったので、否定されるとそれ以上自分の意見を言えず、そればかりか自分の感覚に自信がなくなっていき、さらに何も言えなくなってしまうという悪循環だったんだと思います。

それで起こったこと。それは、「自分の感覚が分からない」という現象でした。私は30歳近くまで、「おなかがすいた」って感覚が分かりませんでした。は?どゆこと?とびっくりされる方もいると思います。でも、一番身近な人から自分の感覚を否定され続け、自分でも自分の感覚を守ることができなかった場合、そんな状態に陥ってしまうんです。とても怖いことですよね。

私の感覚の回復

自分の感覚が分からない私は、そのおかしさに気づいた時からリハビリを続けました。リハビリといっても、どこかの施設に通うわけではなく、自分の感覚を取り戻そうと、あれやこれや試してみる、ってことでしたが。身体関係のワークショップに参加してみたり、骨格や筋肉の動き方の勉強なんかもしました。色んな体験をしに出かけ、色んなことを感じ、たくさん考えました。「おなかがすいた」感覚が分かるようになってきた時は、めちゃくちゃ嬉しかった!自分の感覚をそのまま受け止めてもらってきた人や、自分の感覚を自分で守ってこれた人からしたら、当たり前のこと過ぎて価値を感じないかもしれません。でも、私にとって自分の感覚を素直に感じられることは本当に嬉しいことでした。

大人になった私は、自分で自分の感覚を認めてあげることができます。自分で自分に「おなかすいたんだね~」「おいしいんだね」「これは嫌なんだね」と言ってあげることができます。そうやって認めてあげることで、自分の感覚が形作られていきます。でも、自分で当たり前の感覚を取り戻していくには、それはそれは膨大な時間と労力がかかるんです。しかも、外見は大人。そんな大人が自分の感覚を分かってないなんて。自分の感覚を育てるという内側の作業をしながら、大人としての社会生活を送る。そのアンバランスさ、両立の難しさもまた、生きにくさにつながりました。

子どもの頃、私がして欲しかったこと。それは、私が感じていることを、ただただ「〇〇って感じてるんだね」とそのまま受け止めてもらうことだったんだ、と今は分かります。でも、子どもだった私は、何をして欲しいのか分からないし、増してやそれを親に対して主張するなんて、考えつきもしませんでした。ひたすら、小さな殺人行為を繰り返されて自分の感覚が潰されていくばかり。こうやって、自分の感覚を殺されてる人、いないでしょうか?

アーティスト殺人行為~分かりにくい小さな事件~

自分の感覚を潰されても、死んでしまうわけではありません。だから、社会的な事件にはなりません。①で書いたような、自分の進みたい職業を潰される、というような事件は、まだ分かりやすい。抵抗もしやすい。でも、②で触れたような、日常のささいな出来事は、見落とされやすいんです。逞しい子どもだったら、そんなもの跳ねのけ、蹴散らして、健全に生きていくんでしょう。でも、跳ねのけられない自己主張の強くない子は、自分の感覚に対して「それは違うよ」と言われ続けると、潰れていってしまうんですよね。

親は子どもにとってよかれと思って言っているし、決して子どもに無関心だったり、子どもを放置しているわけではない。そして子どもは、叩かれたり暴言を吐かれたりするような虐待にあっているわけでもない。でも、何か苦しい、という訳の分からない状況に陥るんです。

「その人らしさ」の最小単位、「その時に感じた感覚」(おなかすいたとか、暑いとか、痛いとか)の受け止めが繰り返されて、もっと広い意味での「その人らしさ」が形成されていきます。それがうまく積み上がらないと、大変なことになりますよ。ということを、今回は言語化してみました。

重い話を最後まで読んで頂いて、ありがとうございました。

おわり


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