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それでも生きてゆく 『知識人99人の死に方』(2000年初版 文庫) 荒俣宏/監修

生物において、少なくとも我々人類は命という時限装置をつけて誕生する。そしてその存命期間というのは、特殊な状況でもない限り基本わからない。大昔に比べれば、人間の平均寿命は飛躍的に延びたわけだが、樹齢数百年という木なんかも地球上には実際あって、植物のほうが長生きする場合もあることをあらためて思い起こすと、自然界とは何とも言えず奥の深いものだ。

無論、時限装置を有しているということは、その個体はいつかは必ず死ぬ。それがたとえ、近い将来ではなかったとしても。この世に発生した瞬間から死はセットになっており、いかなる生涯を送ろうとも刻限が来ればもれなく否応なしにこの世から退去させられる宿命を逃れることはできない。

死のゴールテープだけは、万人に等しく設定されている。この酷であり粋なシステムは一体誰が創ったのだろうか?まったくもって不思議で興味深い。創造主としての神がいてもいなくても、それにより、ならば生きる意味などないと考える哲学者がいたり、ならばそれまで懸命に生きようという健気な人がいたりして、筆者はどちらもなるほどと思う。

死に対する考え方や感覚ほど、人によって異なるものはないかもしれない。現時点ではっきりしていることは、自分は哲学者でも健気な者でもない、ということだろうか。
死に絶望まではなく、だからといって別段気張って生きよういう意気込みもない。仕事やおもしろいことに、はまる時ははまるという状況があるだけである。

筆者は、敢えて言うなら、人として自然に生きることを望む。やる時はやり真剣になる時はなり、ぼんやりする時やへらへらする時やしょんぼりする時もあるのが人生で、他人に著しく迷惑をかけない限り、自由なものだと感じたい。がんばって生きようともテキトーに生きようとも決めないスタンスで行く。どうするか決める必要がないこともあるだろう。

わざわざ自ら死ななくても、時が死なせてくれるというのはよくできているシステムで個人的にはありがたい。古今東西、不老不死を願う者が現れたりそういった逸話があったりするが、自分は御免だ。死ねないというのも案外厳しい気がする。確かに、理不尽に殺されたり事故に遭ったりするのは勘弁願いたいものだが…たとえいつまでも若くいられるのだとしても、よいことばかり起こるわけでもないのにいつまでも死なないとか、考えてみれば拷問に近い。

昔うっかり死ぬところだったことがあるも、その当時病的だったとはいえ、自分の場合は『もう死にたい』などと意識的に考えたことはおそらくない。そういう意識がないのに死にかけるやつがいることに後でむしろ驚愕した。今は、ある意味実験的改革を試みたのだと捉えてはいるが、人間、あまりにラディカルなことを考えるのもロクなことがないかもしれない^^; ただ、それにより逆に“本来のもの”がなんとなく勝手に戻ってきた気もしている。

まあ存在を永く社会に刻み付けておきたいという強い感情も特になく、世を去る時に、いろいろな経験をたくさんしたな〜と感じられるのが個人的に最上だと思うので、それならこれまでの人生もそう悪くはないんじゃないか?なんて暢気のんきな足取りで気づいたら死んでそうなのがこの筆者なのであった。

さて、『一日江戸人』という、往時の江戸っ子ライフが楽しく解説されている文庫が非常におもしろく、生きる上でのヒントにもなり愛読しているのだが、その著者の故・杉浦日向子氏の元パートナーこそ、今回取り上げさせていただく『知識人99人の死に方』を監修された荒俣宏氏である。前者が生の参考書なら、奇しくも後者はさしずめ死の参考書といったところだろうか?
知名度のある各界の故人99人の死に様が、監修者以外の人の寄稿も含む形でまとめられた文庫本だ。参考とか言うとギョッとなさるかたもおられるかと思うので、以下に本文から一部、荒俣氏のお言葉を引用させていただこう。

 現在、多くの人が「死」に関心を抱いているのはたしかであるが、その対象である「死」をあまりにも医学的に解釈しすぎてはいないだろうか。当人が人生の最終時点に体験するのは、そのような客観的な「死」ではない。「臨終」というきわめてプライベートな瞬間なのである。(中略)
 そう、死の準備に対する準備として、他人が迎えたさまざまなクライマックスを検証することは、かなり効果的な作業にちがいない。

『知識人99人の死に方』われわれは、死の準備に対して準備する。 (P.9~P.10)

これから登場する人びとは、いずれも戦後に死んだ方たちです。
淡々と穏やかに、あるいは壮絶に、もがき苦しみ……。
99の死のドキュメントであります。(中略)
読み方はご自由。よけいなお世話を申し上げれば、たとえば99の死を死んでみてはいかがかと。(中略)
思いもかけぬ死に方に直面したとき周章狼狽せずにすむかもしれませぬ。

『知識人99人の死に方』 (本編まえがき)

ちなみに巻末には、各人物を死因別に分類したページや、おまけに変・怪死した人々のデータまで盛り込まれており、文庫ながら唖然とする読み応え。筆者は、監修者の意図も汲みつつ、人物伝の一部として読んだり、文学史の補完として読んだり、様々に活用?しているということで。
確かに、太古の昔であろうが令和であろうが、人類が生きている限り、その人数分だけ死があることに変わりはない。何なら時の英雄ほど、成仏できずオロオロしている可能性もあり、そういうことを総合的に想像するにつけ、人間とは…と遠い目で思いを馳せてしまうのも無理からぬことではないか?

それでは上記を踏まえ、人様のそれぞれの生死を拝読した上で具体的に浮かびあがった何とも言えぬ思いを、ここに書き残しておく(今回は敢えて感想という表現をしない)。印象が強烈な人に絞るが、項目分けせず、感じたことを簡単にだがつらつら述べていくスタイルにすることをご理解願いたい。


手塚治虫ほど“医者の不養生”という言葉が当てはまる人もいないのでは…というぐらい使命感?(しかも漫画家としての)で命を縮めた例が初っ端で、いきなり刺されたような衝撃を受けたものだ。しかもご本人が一貫して伝えたいことが「生命を大事にしよう!」という主旨だというのに眩暈がする。どこか矛盾を孕んだ、それでも止められぬ創造に魂を傾けた生き様に様々なことを考えさせられる導入だった。

永井荷風の章では神保龍太氏が文を寄せている。名を知る機会も多いはずの明治の作家だが、そんなに人間嫌いだったとは…。別教科の授業中に文学史の副教材を眺めては文豪にツッコミを入れていた暗黒高校生時代(何やってんだよ笑)、そんな印象を抱いた記憶はなかった。どちらかというと、わがままな遊び人みたいな?しかし、本稿での晩年の彼に対する描写には言葉を失くす。神保氏曰く“非常識なまでの個人主義者”である当人が望んだこととしながらも、老体になった長身を引き摺り盛り場へ現れ黙って居座り続ける姿を想像するに、並の悪霊より恐いと感じてしまうのは自分だけだろうか。人嫌いではないが、大別すると気ままな個人主義者のほうに分類されそうな筆者は人のことを言っている場合ではなく、然るべき頃合いでとっとと老人施設(AI?)にお世話になる心得こころえである。(長生きすれば、の話だが…)

くだんの永井荷風のような死に方だけはしたくないと怯えていたのが、森鴎外の長女・森茉莉だそうだ。ただ、文を書かれた末藤浩一郎氏によると、一方でその孤高ともいえる生き様をリスペクトもしていたらしい。この感覚は案外現代でもわかる人がいそうな気もする。人間、常に健康的で模範的なことばかりに魅かれるとは限らないもの。とにかく彼女はこだわりが強い印象で、森鴎外の娘であり自身も文筆で名が知られたはずの人が、そんなところで?暮らしてたのかと思われかねない晩年の状況だったとはいえ、本人としてはそれがよかったわけで。まあ別に有名人だからといって豪邸を構えなくてはならない決まりはないし、かえって現代以降に通じる価値観を備えた新新新人類の部分もあったのかも…とか考えると興味深い。

さらに、執筆者の都築響一氏に言わせれば“扱いにくいジジイ”・“文壇バーの泥酔ジジイ状態”・“ファックオフじじい”であった稲垣足穂が、伏見桃山の家が火事になり逃げた先の隣家で酒を飲んでは、慰問客に「家は焼けるもの、人間は死ぬものと決まっている」などと罵声を浴びせたという話には思わず失笑。筆者は付き合いたくないが、つい噴き出してしまう人物像と捉えた。そんな世に憚り続けそうな人であっても、急性肺炎で死ぬのが此岸なのだ。

その他、宗教家というフワッとした感触の肩書とは裏腹に(や、そうでもないか…)なかなかのソルジャーぶりだった大本教“聖師”の出口王仁三郎や、昨年亡くなった瀬戸内寂聴氏と同じ99歳まで存命しその長寿ぶりに驚く野上弥生子、激動の時代も生きながら自身は無理せずプライバシーを大切にする生活を守りとおした長谷川町子など、99人99様のドラマがそこにはあった。

それにしても、市井の人々でも何がどうしてそうなった…という人生を送ることはあり、特に波乱なく生きてきた人がそのままゴールできるかといえばそんな保証は一切ないのも油断ならない娑婆というところなのだが、さすが著名な人物ともなると、その道程も様々で、中には輝かしいのかどうなのか判別がつかないある種異様な雰囲気を漂わす人も…。アヤシイ命運を握ってこの世と対峙した人の凄味には誘蛾灯のような魔力があるのかもしれない。ともあれ、皆様がたが彼岸では安らかにおられることを祈っている。


最後に、数年前、祖母の死に直面して感じたことを記して締めくくろう。

小さい頃は一緒に暮らし、別に住むようになってからもしょっちゅう祖父母宅に遊びに行く、大のおばあちゃん子だった。と言っても結構厳しい人で、子どもの頃は「悪いことしたら、おいどにやいと据えるえ!」とかよく脅されたものだ。(実際に灸を据えられてはいない笑) 叱られもしたけれど、それでも手を引かれ買い物がてらおやつを買ってもらったり、家では怪談や童話を語ってくれたし様々なものを一緒に作ったりと、たくさん遊んでもらった。危ないことや非常識なことでなければ、うるさくない人でもあった。

体が丈夫でなかったわりには長生きした祖母が年老いてからは、一緒に住んではいないものの近くにいたので、歩く手を引いたり病院等に付き添ったりと介護もしたが、小さい時にしてもらったことを今は自分がしているというぐらいで、もう大人になっていたおばあちゃん子の筆者の場合さほど特別な感覚ではなかったように思う。(まあ、大変でなかったとは言いがたい笑)

これまでの職場でも近しい人にはおばあちゃん子というのを公言しており、仕事中に祖母がいよいよ…との報せを受けた際、当時一緒に働いていた人と上司に、そこまで急ではないかもしれないが帰らせてもらえないか伺うと、一刻も早く帰りたまえと言ってもらって、急いで病院に駆けつけた。臨終に際し他の家族はたまたま席を外していたため、傍につき最期をみとったのは筆者である。

老衰だろうとはいえ、間際彼女は静かに、たったひとり言わばタナトスとの死闘を繰り広げていた。それは、そばに誰がどういう形でいようが、他人には介入できない世界である。死後タナトスと一体になるのか、はたまた西方浄土へ赴くのかはわからない。ただ筆者は、亡くなるまでずっと手を握って見守るしかなかったわけだ。最期を家族にみとられて幸せだったか、それは本人に聞いていないので不明とする。傍に誰かいたからひとりじゃなかったというのは事象にすぎず、その時の心情や精神性が本人にあるとするなら、それこそが尊厳かもしれないではないか。

ひとつ、生きている筆者にとっては区切りとなった。
死はいつの時代も人間の身近にありながら、現代は身内でも亡くなる瞬間に立ち会うことが減って、そういう意味では実感を伴わない遠いものになっている部分がありそうだ。ただ筆者は祖母の死を目の当たりにした後、死とは何か?と無闇には思わなくなった気がする。
しかも人生って何なんだ…とか愛ってどういうことなんだとか、取りとめもなく考えるタイプだったのが、前ほどは頭で考えなくなったかもしれない。

祖母がもはや自分に対して具体的に何かをしてくれる人ではなく、生産性のない状態になったとしても、存在だけでもありがたく感じた時、それも愛のひとつかなと思うに至った。人生を考えるだけでなく、やれることもやって生きようという心境が倍加した。早死にしなければまだ人生の前半と思しき時期に、そういう経験をして学んだことが、以後の足がかりとなればいい。

不成仏霊になりそうな人生だけは送らぬよう、一応は心したいものである。

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