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【手紙】Von dem Galgen Au Revoir~処刑台からさようなら~

2017年11月27日
 冬に一匹の蝶がピアノを弾いていた。それは悲しい曲。しかし、いくらか楽しそうにも聞こえた。僕は彼が誰を思っているか知っている。あの青い花だ。5月の温かい緑の香りに浸り、すべての草木は彼に向かって花を咲かせ、歌った。どんな花さえ自分の身体を欲し、その花衣で彼を包もうとする。あの花も、あの憧憬で満ち溢れた花さえも!彼は彼女に何度も何度も唇を重ね愛撫を重ねた。まるでその花弁に自身の羽の模様を押しつけ、また自身に蜜の香りと花びらの色を溶かしていくように。しかし、彼女の身体の冷たさと、彼女の蜜の内に混ざる冬の残滓を感じ取るや否や、彼は彼女を覆う氷の上で目を覚ました。しかし、彼にそんなことが問題だろうか?他の蝶が飛んできた?だからどうした。彼女に触れる前に寒さで死んでしまう?だからどうした。彼を妨げる障害は彼の外にはなかった。この蝶が春まで生きていたのか、いや春となってもすぐさま冬が訪れたのかいったい誰が知ろうか。しかしシューベルトなら知っているかもしれない。
 思えば彼があの花に惹きつけられたのは、あの花の強く輝く幼い瞳と見た瞬間思考を奪うほど艶やかな唇だった。常に虫食いの一つもない花弁を広げ、甘い香りを発するその花は、いかなる野に咲く他の花の頭を預かり、いかなる者であってもその柔らかい手で頬を撫でた。しかし彼のいくつもある目に入ってくる光は美しい造形であり、鼻を刺激するのは全てを忘れさせるような香りであったが、オリンピアのような造花にしか映らなかった。というのも、この生意気な蝶は、美しいものに目を奪われ納得はするものの、それだけでは心を完全に奪われることはなかったからだ。それほど彼は子供だ。ドビュッシーの音楽が嫌いな人が、いくらその素晴らしさを説明され、納得したとしても、皆が好きになるわけではない。彼は「生きている」ということを欲していた。

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