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【読書】SFマンガで倫理学/萬屋博喜 その②


こんにちは!エルザスです。


前回に引き続き、『SFマンガで倫理学』の感想を綴っていきます!


前回の記事はこちら↓





SFマンガで倫理学 何が善くて何が悪いのか/萬屋博喜




第5章 差別と抵抗の倫理

『三文未来の家庭訪問』という作品を題材に、アンコンシャス・バイアスと「証言的正義の徳」というものについて考えていきます。

アンコンシャス・バイアスとは、無意識下の先入観や偏見のこと。これは最近よく聞くようになりましたね。
では「証言的正義の徳」とはなんでしょうか?

証言的正義の徳:対話の聞き手に求められる徳の一種。話し手が発言する能力を過小評価することなく、また過大評価することもなぬ、信頼できるものとして受け入れようとする態度のこと

本書208頁より


要するに、「先入観なく相手の話を聞く力」のことです。「アンコンシャス・バイアスが無いという徳」とも言えるでしょう。

私はこの「先入観なく話を聞く力」が弱いと常々感じていました。
自他ともに認める議論好きで、しかも分かりあうための議論ではなく、お互いの主張に優劣をつけようとするタイプの議論が大好き。
相手の話を聞くときは「どこかにロジックのほころびはないか?」と揚げ足とりのようなスタンスで聞いてしまうことがしばしば……
まったく恥ずかしい限りです……

だからこそ、このマンガの主人公リタが「証言的正義の徳」を発揮する様を見て強く惹かれました。

主人公のリタは、ある時友人であるマキの家庭の事情を知ります。
マキのお母さんは新興宗教のようなものに入れ込んでしまっており、そのせいでマキの家庭は崩壊寸前の状況に陥っていたのです。
そこで、リタは自らマキのお母さんと対話すべく、マキの家に乗り込みます。

マキのお母さんとの対話で発揮されるのがリタの卓越した「証言的正義の徳」です。

そのやりとりを横で眺めていたマキは、リタについて
「お母さんのキツい口調には『分かってほしい』がいっぱい隠れてる。 
それを聞き取るように 時間と質問を尽くして
お母さんが うち解けちゃった」
と感じます。

本書202頁より


少し前に『人は聞き方が9割』という本が流行りました。その中で、「違う意見の人は間違っているわけではない。自分と違うだけ。正論・常識を押しつけない。正さないことが重要」ということが書かれていました。
リタの聞き方はまさにこれに沿っていたのでしょう。

結果としてマキのお母さんはリタと心が通い、家族を再構築する道へと舵を切ります。


私はリタの聞く力の高さに憧れを抱くと同時に、「人を幸福へ導くのは、具体的な提案や結論ではなく、ただ人と愛に満ちた対話をすることなのかもしれない」と思いました。



第6章 文明と未来の倫理(1)

お待たせしました。『攻殻機動隊』の登場です。

電脳化とサイボーグ技術の発達により、人の身体のうち生身の部分はごくわずかになっている近未来。
人間の魂(ゴースト)はどこにあり、人はどうやって自分を自分と認識しているのか。
身体が取り替えられても、自分は自分のまままなのか。


電脳化後の自分のアイデンティティに
疑問を持っている主人公、草薙素子


昔TVアニメ版(S.A.C)を観た時から「こういう問題提起こそSFの真髄だ!」と思っていました。では、これを倫理学的に読み解くとどうなるのか。


誠に残念ながら、本書でもその答えが明確に示されているわけではありません。強いて言えば、

人間の意識は、新しい技術や環境の影響のもとで変化しながらも、そうかんたんにアイデンティティが消え去りはしないという柔軟性をもつ、とする考え方もあります

本書217頁

という主張を紹介してくれるだけです。

ただ、これだけでも私にとってはかなり意味がありました。
本書を読んで、「電脳化前後でアイデンティティの一貫性は損なわれない」という私なりの考えが強化されたように感じました。


私の考えはこうです。

そもそも、電脳化技術など確立していない現代でも、我々は様々に変化しながら生きている。

  • 1人あたり60兆個ある細胞は日々入れ替わり、約2年半で全てが入れ替わると言われている(肉体的変化)

  • スマホの普及や働き方改革、少子高齢化などのように、我々が生きている世界は、技術革新や制度変更などで日々変化し、我々はその影響を受けている(外部環境の変化)

  • 様々な経験を通じて、自分の知識や知見は蓄積され、その影響で我々のものの考え方も変わっていく(精神的変化)

特に1つめの肉体的変化が重要で、2年半で全ての細胞が入れ替わっているにもにもかかわらず、私は私を同じアイデンティティとして認識している。
この点、現在の我々が体験する肉体的変化と電脳化との差は、その変化のスピードが緩慢か急激かの違いに過ぎない。

電脳化後のアイデンティティが電脳化前から変化していたとしても、結局それもスピード以外は現在の我々が体験している変化と本質的には変わらないーーー


これが私なりの、攻殻機動隊から考えるアイデンティティ論です。

そもそもアイデンティティは常に変化するものであり、しかし変化しても別人格になるわけではなく、同じアイデンティティが少し進化しただけだと捉えられます。
こう考えると、電脳化前後のアイデンティティの一貫性は疑う必要がないように思われます。


とはいえ、電脳化している主人公の草薙素子が自らのアイデンティティに疑問を持っているのは事実……
電脳化していない私がいくら「変化のスピード以外差はない」と言っても、そのスピードの差こそが問題なのかもしれない……

アイデンティティって結局本人の自己認識の問題だからなぁ……


果たしてサイボーグ化はアイデンティティを揺るがすのか?

皆さんはどう考えますか?(丸投げ笑)




次回予告

さて、長くなってきたのでここで一回区切りとします。

次こそこの読書感想文を終わらせます!
次回のコンテンツはこんな感じです。

  • 第6章 文明と未来の倫理 『少女終末旅行』

  • 第7章 人生と価値の倫理 『火の鳥 未来編』、『進撃の巨人』



ではまた!

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