リハクマン

1978年東京生まれ。中国の街を徘徊し、現地の風物を爆詠み――。14歳で初めて旅した彼…

リハクマン

1978年東京生まれ。中国の街を徘徊し、現地の風物を爆詠み――。14歳で初めて旅した彼の大陸を子供時代と変わらぬ好奇心で歩き、その体験や発見をランダムに抽出・文章化しています。旅先のありふれた風景にこそ「規格外の他者」を理解する有効キーが潜んでいると信じて。

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  • それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~

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漢服流行、礼賛。――「脱構築!」14歳からの中国街歩き練習帳

荊州の旅で「天女」に遭遇した話 (1)『三国志』の舞台として名高い、荊州の旅のひとコマである。ぼくは長江沿いに広がる、万寿園という庭園へやってきた。お目当ては二つ。すなわち、全国重点文物保護単位に指定される明代の塔、そして長江の絶景である。さて、喜び勇んでクルマを降りたところ、なんとそこに麗しき女神が舞い降りた。からころも、否(いな)しろたへの。いや相応(ふさわ)しい言葉が出てこない。なにしろ湖北省の旅先である。伝説の巫山(ふざん)の神女ではないかと目を疑った。漢服という

    • こちら武漢大学凌波門前プール――「脱構築!」14歳からの中国街歩き練習帳 III

      武漢・茘枝(ライチ)篇わが武漢日記のまくら (01)車内で確認した最高速度は、時速一九五公里(キロ)。当代のキント雲ともいうべき夢の超特急は、西方の客をのせて江漢平原をひた走った。うねうねと蛇行して流れる漢水(長江の支流)をいくたびか越える。ぼくは少し眠った。 (02)武漢は湖北省の省都である。長江と漢水の恵みに育まれた中国有数の大都市で、人口は一千百万人を超える。都市のあらましや歴史については、維基百科(ウィキペディア)または百度百科(バイドゥーバイコー)を参照してい

      • 荊州のマクドナルドで考えたこと――「脱構築!」14歳からの中国街歩き練習帳 II

        荊州・漢堡(バーガー)篇江漢平原を駆けろ (01)ぼくはD352次、成都東ゆき高速鉄道へと乗り込んだ。 (02)荊州までは、所要五時間一九分。滬寧高鉄(フーニンガオティエ)・合寧(ホーニン)線・合武(ホーウー)線・漢宜(ハンイー)線の各線を一気通貫して走る。二〇一四年に全線開通した上海―成都間の高速鉄道路線は、これを総称して「滬漢蓉(フーハンロン)快速客運鉄路」という。滬(フー)は上海、漢(ハン)は武漢、蓉(ロン)は成都(別名芙蓉城)の略称である。この列車の途中停車駅は

        • ノスタルジックな街路をさがせ in 常州――「脱構築!」14歳からの中国街歩き練習帳 I

          プロローグ “中国の壁”を攻略せよ! 二〇一九年九月下旬。全世界がコロナ禍に見舞われる、その少し前のこと――。               ◇   ◇  ぼくは、ふだん愛用している台湾エイスース社製、SIMフリーの平板電脳(タブレットパソコン)を片手に、五日間、中国の街を徘徊した。行き先は常州・荊州・武漢。いずれも初めて訪れる城市(まち)だ。現地ではいつものように、高速鉄道を使ってサクサク長距離移動を繰りかえし、夜はお手ごろ価格の清潔な商務旅館(ビジネスホテル)で睡眠。そう

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        漢服流行、礼賛。――「脱構築!」14歳からの中国街歩き練習帳

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        • それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~
          78本

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          武漢のおひとり様女子に人気の和食店を礼賛する話――「脱構築!」14歳からの中国街歩き練習帳

          小川料理とは何ぞや!? (1)武漢の旅の一コマである。場所は松竹路(ソンジュールー)。ぼくは、ある日本料理店を探していた。地元の若者に人気の和食店で、店の名を小川料理という。現地アプリで調べたところ、口コミの評価が高い。そして値段が手ごろである。武漢市内に何店舗か営業しているのだが、せっかく近くに来たのだからなんて勝手に意気込んで、この日はわざわざ食事時間を遅らせて来たのである。だがしかし、一瞬であきらめた。すでに店先には、およそ二十名が順番を待っている。見た感じでは、ほ

          武漢のおひとり様女子に人気の和食店を礼賛する話――「脱構築!」14歳からの中国街歩き練習帳

          それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第79回 フィナーレ 上海虹橋の夜

          (01)最終日のその後は、おまけとしてサラッと書くことにしよう。 (02)上海に到着すると、まずは駅ナカで腹ごしらえ。食其家(すき家)、康師傳私房牛肉面、永和大王、台湾小吃好縁と迷ったあげく、老娘舅(ラオニアンジウ)という連鎖(チェーン)店で魚香肉絲套餐(ユーシアンロウスーセット)をいただいた。甘酸っぱくてピリと辛い豚肉の細切り。言わずと知れた定番家庭料理である。決して食べ慣れた味ではないのに、そして他にも好物はいくらもあるのに、現地で発見すると不思議と身体が欲してしまう、

          それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第79回 フィナーレ 上海虹橋の夜

          それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第78回 山の上のコンテナハウス

          (92)さあ、最後の目的地だ。大通りでタクシーを拾い、長春観をめざす。其処(そこ)は元代創建の道観で、道教界では湖北における聖地の一つとされる。長春とは、当地にゆかりある人物の号である。明の様式を模して、清代に再建された。唐の李白も「黄鵠山を望む」で此(こ)の地を「中峰紅月に倚(よ)る」と詠んでいる。12時32分到着。 (93)かなり古めかしい紅壁(あかかべ)が敷地を取り巻いていて、現代的な周辺環境のなか異様な光景である。これだと「城内」はよほどワイルドな史跡迷宮となってい

          それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第78回 山の上のコンテナハウス

          それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第77回 楚姫に交じりて和食を摂りつつ

          (86)さて、そろそろ昼食タイム。候補は二軒ある。一つは評判の良い手ごろな韓国料理店。そしてもう一つが、昨晩からアタックを試みてきた和食店、小川料理の武漢大学店である──此方(こちら)も大衆点評(ダージョンディエンピン)で1万を超える口コミが寄せられている人気店だ──。が、昨日からの流れではぜひとも小川料理に入りたい。ランチタイムの開店時間は11時半。あと10分後である。理想的な進行だ。おおよそ五百米(メートル)先の目的地へ、ぼくは迷わず歩き出した。 (87)11時28分、

          それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第77回 楚姫に交じりて和食を摂りつつ

          それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第76回 秋の武漢大学散策記

          (81)校園(キャンパス)は山あり谷ありの大公園だった。 (82)沿道の樹々は、高さ10米(メートル)から20米とみごとな茂りっぷりで、南国風のワイルドな密林を構成している。制限速度30公里(キロ)の二車線道路には、マイクロバスやタクシー、バイク、それに各種運搬車両が走り回っている。そんな中を、やけに賢そうな男の子、女の子たちが主にリュック姿で闊歩している。気のせいか、上海の名門大学とくらべて物静かで落ち着きはらった子が多い印象。女子の日傘使用率は7、8割ほどと高く、中には

          それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第76回 秋の武漢大学散策記

          それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第75回 こちら武漢大学凌波門前プール

          (78)沿江大道(イエンジアンダーダオ)でタクシーを停め、「武漢大学(ウーハンダーシュエ)・・・・・・凌波門付近的那个(リンポーメンフージンドナーゴ)・・・・・・遊泳池(ヨウヨンチー)」と告げた。すると運転手は、それきた任せろとばかりご機嫌なようすでクルマを発車させる。アレだろ、写真を撮るんだろ。そして回答も待たず破顔一笑、シャッターを押すジェスチャー。お見通しなのだ。じつは、昨日訪れた東湖の湖畔に武漢大学の校園(キャンパス)が広がっているのだが、その東北の門外に、凌波門遊泳

          それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第75回 こちら武漢大学凌波門前プール

          それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第74回 下町の中古物件! パティオ長江局

          (74)こんなふうにして、ぼくは一時間あまり、漢口の租界建築を見てまわった。宋慶齢旧居、八七会議旧址、巴公房子(バーゴンファンズ)、俄国(ロシア)領事館旧址、美国(アメリカ)領事館旧址、東方匯理銀行旧址などの威厳ある建物があった。八七会議とは、1927年、第一次国共合作失敗の折に緊急開催された、中国共産党・中央委員会会議である。党設立者の一人で、初代総書記だった陳独秀が解任され、新指導部が発足した。毛沢東が「槍桿子里面出政権(鉄砲から政権が生まれる)」と発言し、武装反抗を訴え

          それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第74回 下町の中古物件! パティオ長江局

          それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第73回 朝の洋館めぐり おじさん描写を添えて

          (69)とうとう最終日、五日目の朝。最後の宿である錦江之星旅館(ジンジアンジーシンホテル)を退房(チェックアウト)、出発時刻は8時12分。ロケーションは良いし、部屋は清潔だし、言うことはなし。これで一泊2,565円とは嬉しい。かような旅ができるのも、商務旅館(ビジネスホテル)のおかげです。さあ、今日も計画どおりに武漢散歩を進行できるだろうか。もう酒店(ホテル)には帰らない。寄存行李(ジーツンシンリ=荷物の一時預けをせず、背包(バックパック)も肩掛け鞄もすべて身につけて歩きだす

          それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第73回 朝の洋館めぐり おじさん描写を添えて

          それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第72回 武漢の人気書店で買ったもの

          (66)この素敵な本屋で、結局ぼくは芥川龍之介『江南游記』(39元)と中島敦『山月記』(45元)をジャケ買いしてしまった。どちらも上製本で分厚いのに、装丁の誘惑に敗北した(帰国したら手持ちの文庫本と読み合わせしよう)。それからレジで『中国国家地理』誌のなんと湖北省特集号を発見し、むろん追加購入(上下冊・各30元)。タイムリーな出会いに即買いを決める。これがまた、山河・美食・租界・古代青銅器・戦史・都市発展・人材開発・先端産業・長江江豚と「湖北省百科」的な内容で、写真と図版が全

          それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第72回 武漢の人気書店で買ったもの

          それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第71回 続・武漢の人気書店で考えたこと

          (62)先に「知日」などと口走ってしまったが、各号単一の特集で日本文化を紹介する、雑誌『知日(ジーリー)』の専門コーナーも、じつは店の奥に用意されていた。ご存じの方もあるかと思うが、ユニークな装丁で内容も充実した本である。試みに特集の例を挙げると、犬、猫、怪談、横尾忠則、山口組、拉面(ラーメン)、大河ドラマ、枯山水(かれさんすい)、是枝裕和、三島由紀夫、ゲーム進化史、京都などと、なかなかコアでバラエティに富む。そして面白いことに、この版元である中信出版社が『知中(ジージョン)

          それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第71回 続・武漢の人気書店で考えたこと

          それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第70回 武漢の人気書店で考えたこと

          (59)最後にもう一軒。それは、口コミで高評価を得る話題の本屋で、今回の旅で初めて訪れた武漢だが、本好きとしては「ぜひ遊びに行きたい」と狙いを定めてやって来た。 (60)名を「物外(ウーワイ)書店」という。物外とは、俗世間の外という意味だそうだ。1936年落成、旧大孚銀行の洋館である。書店開業は2015年、以前は武漢市図書館の施設として利用されていた)。中山大道(ジョンシャンダーダオ)と南京路(ナンジンルー)の交差点に面し、ライトアップされたその偉容は、夜の闇に圧倒的存在感

          それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第70回 武漢の人気書店で考えたこと

          それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第69回 保成路夜市のヒトとモノ

          (56)漢口への移動ではトンネルを走行して長江をくぐった。子供のようにノリノリで記しておくと、大長江の下にもぐり込んだのはこれが初めてである(上海の地下鉄では、複数路線で支流の黄浦江をくぐっているが)。この武漢長江隧道(トンネル)は、2008年開通と比較的新しい。長江をまたぐ地下鉄もすでに三路線が開通、さらに3路線が工事中である。名勝旧跡を残しつつ、武漢版シムシティも着々と完成度を上げている。余談だが、ぼくはこれまで戦前・戦後の古い写真や過去の旅行案内書などによって、かつての

          それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第69回 保成路夜市のヒトとモノ