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それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第79回 フィナーレ 上海虹橋の夜

(01)最終日のその後は、おまけとしてサラッと書くことにしよう。

(02)上海に到着すると、まずは駅ナカで腹ごしらえ。食其家(すき家)、康師傳私房牛肉面、永和大王、台湾小吃好縁と迷ったあげく、老娘舅(ラオニアンジウ)という連鎖(チェーン)店で魚香肉絲套餐(ユーシアンロウスーセット)をいただいた。甘酸っぱくてピリと辛い豚肉の細切り。言わずと知れた定番家庭料理である。決して食べ慣れた味ではないのに、そして他にも好物はいくらもあるのに、現地で発見すると不思議と身体が欲してしまう、そんな一品である。米飯、銀魚水蒸蛋(白魚入り茶碗蒸し)と西蘭花(ブロッコリー)炒め、楊梅汁(ヤンメイジー=ヤマモモのジュース)付きで41元。メインの豚肉のほか、人参、タケノコ、木耳(きくらげ)、長ネギといった具材が、極細でほどよく汁をまとい、ご飯がどんどん進む。うん、美味いぞ。白飯を食すのが常州以来4日ぶりなことも、むろん箸の運びを愉快にさせた。店内は明るいファストフード店仕様。食に関して何の心配もいらぬ、超便利な上海の地位が、ぼくの中でまた少し上がった。滞在25分、ぼくは最後の一人晩餐会を終えて、次なる目的地へと動き出した。虹橋(ホンチアオ)駅と直結した商業施設、その名も虹橋天地である。お目当ては二つ。人気書店・言几又(イエンジーヨウ)と、日本でもおなじみのサーティワンアイスこと巴斯羅繽(バスキンロビンス)だ。優衣庫(ユニクロ)、無印良品、GAP、H&Mも入居する虹橋天地は、移動中の空き時間にちょうどいい、絶好のくつろぎ場所だった(地階のフードコートも庶民的で充実していた)。

(03)言几又訪問は、人気スポット・上海新天地に近い黄浦区の店につづいて2店舗目なのだが、此方(こちら)のほうがずっと売場面積が大きく、本の漁(あさ)りがいがあった。スタジオ風の店内は、天井・照明・床材とも巧みに変化が加えられていて、足を踏み入れた途端に冒険気分を煽(あお)られる。中央部をレジとカフェスペースが占め、周りをおしゃれ雑貨やミッフィーグッズなどの島式売り場が取り囲む。書架はごくオーソドックスな印象ながら、硬軟メリハリの利いたセレクト本が目を飽きさせない。とにかく、多品種・多目的の商業スペースがセンス良く共存している点が当店の魅力である。ワンフロアながら多様な空間を「徘徊」させられるため、良い意味でムダなことを考える余裕が生まれる。滞在時間、あるいは回遊のプロセス自体が楽しいのである。というわけで、ぼくは物外書店と同じく熱烈に宣伝しておく(なお個人的なイチオシは、最近日本でも紹介されるようになった蘇州・誠品書店と南京・先鋒書店です!)。最近は中国の本屋もいわゆるインスタ映えを競っている感があるけれど、おしゃれ演出一辺倒に流されず、本好き人間の視点を押さえた良店が続々と生まれている、そんな実感がある。余談だが、くしくもこの旅の直後にリリースされた、伊藤忠総研『中国経済情報』2019年9月号では、中国における新型書店ブームが簡単に紹介されている。その説明によると、言几又などユニークな書店の台頭には、①店側の企業努力とともに、②補助金支給や増値税(日本の消費税に相当)免除といった政府の支援施策、③一部ショッピングモールによるテナント代の減免や改装費負担、といった背景・裏側があるのだという。政府が文化振興と消費拡大を狙う一方、ショッピングモール側も特色ある書店を誘致して差別化を図っていると。フーン、なるほどね。

(04)さて、昨晩の武漢・物外(ウーワイ)書店でもさんざん日本文学売場を紹介したので食傷ぎみかと思うけれど、当店での発見を少しだけ書いておくと、まず万葉集平積みの件である。2019年4月刊行の『万葉集選』は、白地に日の丸と紅葉をあしらった上品なデザイン。帯には「日本新年号『令和』出処」、「新海誠名作『你的名字。』『言葉之庭』接連引用」、さらに「日本之『詩経』」なんて書いてある。中身は青丹(あおに)よしに違いないが、新元号や新海誠作品へと今なお引かれているとの説明には、まさに同時代の中国人消費者の気をひく粋な工夫が感じられる。あとは、吉野源三郎『你想活出怎様的人生(君たちはどう生きるか)』が美しく印象的な装丁で平積みされていた(思わず一目惚れするほど格好いい!)。なお、当作品は豆瓣(ドウバン)読書での評価も異様に高く、なんと5千を超える短評が寄せられている。しかもコメント内で引用される日本作品がじつに多様で、本書がこなれた日本通に愛されていることがよく分かる。他には、英中併記の石黒一雄(カズオ・イシグロ)作品も何冊か目についたが、こんなところも現代中国らしい気がする。日本で日英併記のイシグロ本は見たことがない。

(05)そういえば、ぼくは本稿内で中国書籍の装丁を再三褒めてきたけれど、これは物珍しさによる贔屓目(ひいきめ)が作用している可能性も否定できない(やはり見慣れない系統のデザインだと、視覚的にほっとけないのである)。ただ、とくに文芸書は総じてアート寄りで、それぞれ独創的だなあと感じる。平積みされた様を俯瞰すると控えめなのだけど、一冊一冊に目を当てると個性的で所有欲にかられるものが多い。もちろん、以前はまったく状況が違った。ぼくが中学生のころ、つまり今から三十年前、中国の並製本はしわくちゃで綴(と)じ口が波打ち、それはひどいものだった。紙もわら半紙みたいな質感で、粗雑なものが多かった。いわずもがな、デザインなど二の次三の次。ついでに言うと、当時の本屋事情も今とはまるで比較にならない。たとえば、北京の王府井書店(新華書店グループ)もお役所風で、客は本を買うにもたらい回しにされた。そう言うと語弊があるが、実際そのような業務フローだったのだ。1992年当時、書棚はまだ開架式ではなく、担当店員に頼まないと試し読みができない。それを買うとなると、まず本を返して伝票を切ってもらい、会計係でお金を支払う。そうしてレシートを片手に売場へ戻ってきて、やっと本が手に入るという仕組みであった(まるで落語のぜんざい公社の世界だ)。そんな90年代の記憶も今となっては、シン中国探訪の良きスパイスになっている(本当に何もかもギャップだらけなのだ!)。結局40分余りの滞在で、『半小時漫画唐詩』49.9元、『徐霞客游記』18元の2冊を購入。ぼくは新しい友を抱え、意気揚々と素敵な本屋さんを後にした。

(06)ようやくである。5日間の旅行の最終目的地。閉店近くで客もまばらな虹橋天地をスタコラ探検し、ぼくは芭斯羅繽にたどり着いた。開いてて良かった。其処(そこ)にはおいしそうな16種類のアイスクリームと、ものすごく暇そうなスタッフのお姉さんが待っていた。客席にはもう誰もいない。ぼくはお気に入りの薄荷巧克力(ミントチョコ)を指差し、標準単球(シングルカップ=32元)で注文した。何もかも日本と同じだ。端っこの席に陣取って、いただきます。まあるいアイスに取りかかる。本で重くなった荷物を下ろし、静かな店内で食べる中国サーティワンの味は、たぶん今までで一番美味しく感じられた(こんな贅沢な気持ちになったっけ?)。脳が食べ慣れたデザートを欲していたのか。それとも安全に旅を進められたことへの安堵感からか。思わず一口ごとに笑みがこぼれるが、誰もいないので気にしない。ぼくは調子にノッて、日本店舗のWebサイトで期間限定商品をチェックしてみた。9月のイチオシは、抹茶ティラミスだった。よし、帰国したらそれも食べてみよう、などと構想する。そうして満ち足りた気持ちになったぼくは、静寂な店内を独り占めして、空港へと発つその予定時刻を黙(もく)して待った。カップの中では、溶けかかったアイスが優雅に寝そべっていた。ふりかえると、サーティワンのお姉さんも後片づけに取りかかっている。お疲れさま、もうすぐ帰るからね。

「すき家」と「永和大王」の外観&メニュー(上海虹橋駅)。
「老娘舅」の魚香肉絲セット(41元=当時約650円)。
虹橋天地なる商業ビルに入る「言几又」。中央奥がカフェスペース。
『三体』と『半小時漫画』シリーズ。『南腔北調』は方言の蘊蓄本。
一番奥がミッフィーグッズのコーナー。とにかく店内探訪が楽しい!
左上『君たちはどう生きるか』。右は村上春樹の著作群。いずれも洋書風の装い。
閉店間際のサーティワンアイス。帰国前に幸せな時間を過ごしました。
虹橋天地の各フロア。火曜の夜だけに客数はどこも少なめ。
帰り際の一枚。それからTAXIで浦東までぶっ飛ばしましたとさ(おしまい)。

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