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それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第70回 武漢の人気書店で考えたこと

(59)最後にもう一軒。それは、口コミで高評価を得る話題の本屋で、今回の旅で初めて訪れた武漢だが、本好きとしては「ぜひ遊びに行きたい」と狙いを定めてやって来た。

(60)名を「物外(ウーワイ)書店」という。物外とは、俗世間の外という意味だそうだ。1936年落成、旧大孚銀行の洋館である。書店開業は2015年、以前は武漢市図書館の施設として利用されていた)。中山大道(ジョンシャンダーダオ)と南京路(ナンジンルー)の交差点に面し、ライトアップされたその偉容は、夜の闇に圧倒的存在感を放っている。20時15分入店。月曜の閉店間際とあって、客は20人ばかり。店内はスタジオ風のおしゃれ空間で、中二階にはカフェスペースがある。脇に文房具や雑貨の売場も見えるが、あくまでそれは添え物。床に段差をつけてウッド調でまとめられた書架スペースには、選び抜かれた本たちが豊富に並べられている。そして、足元の段差や幅広の階段にはやはり中国らしく、少なからぬ客が立ち読みならぬ「座り読み」をしていた。正面の一等地アイランドから売場を眺めていくと、いきなり中島敦『山月記』が現れ(あらわ)てビックリする。「川端康成力荐! 日本文豪筆下的中国物語」「『山月記』横絶日本現代文学史、常年入選日本高中国語教科書」とは帯の文句。それを取り囲むのは、伊坂幸太郎の『再見,黒鳥(バイバイ、ブラックバード)』、中央電視台女性アナウンサーによる自己啓発書、瑞典(スウェーデン)の人気作家である弗雷徳里克・巴克曼(フレドリック・バックマン)の小説、中華民国時代のセレブ女性群像を描いたエッセイ、あとはありがちな家庭教育コラム、喬喬・莫伊斯(ジョジョ・モイーズ)の映画化された恋愛小説『遇見你之前(ミー・ビフォア・ユー)』、曾国藩箴言(しんげん)集、世界14ブランドを紹介するマンガ自動車史といった具合(ぐあい)。そのラインナップになぜか、中島敦である。渋すぎる。しかも奥付を見ると、これが2019年3月刊行の新訳だ。表紙もなかなかセンスが良い。嗚呼(ああ)シン中国よ、意外と奥ゆかしいじゃないか。アート関係の本にも、坂本龍一、安藤忠雄、森山大道、荒木飛呂彦などお馴染みの名前がならび、大型本では『灌籃高手(スラムダンク)原画集』『球鞋潮流(スポーツシューズトレンド)文化史』なんて本がインテリア然として立て掛けられている。あと、イラスト豊富で人気の建築入門「解剖図鑑」シリーズの、米澤貴紀『日本神社解剖図鑑(神社の解剖図鑑)』なんかも平積みされている。芸術本のくくりには違いないが、そこにはやっぱり、研究熱心な訪日リピーターの存在が見え隠れする。そして歴史書コーナーには、昼間に紹介した宮崎市定『中国史』がまた異なるカバーデザインで販売されている。半世紀も昔の本が、こうして異国で輝きを放っているのは興味深い。先ほどの版は、現代アート風のデザイン。こちらは古めかしい絵地図をあしらった素敵な装丁である。帯の紹介文には「京都学派史学泰斗」「司馬遼太郎、松本清張最愛」「在日本、人們都通過這部書了解中国(日本人はみな本書を通じて中国を理解する)」としてある。京都学派なんてワードが登場するのも面白いし、司馬遼太郎や松本清張の名を持ち出すのもニクいではないか。

(61)さて、文学部門に移動してみると、予想以上に強烈に日本文学が推されている。ざっと数えたところ、タイトル数は600以上。これは世界文学コーナーの約半分を占める。とくに、平積みされている新刊の顔ぶれがまた圧巻だ。割愛(かつあい)せず全タイトルを記しておくと、夏目漱石『我是猫(吾輩は猫である)』、芥川龍之介『羅生門』、野坂昭如『蛍火虫之墓(火垂るの墓)』、伊坂幸太郎『金色夢郷(ゴールデンスランバー)』、新海誠『秒速5厘米(秒速5センチメートル)』、岩井俊二『情書(ラブレター)』、小川糸『山茶文具店(ツバキ文具店)』、西川美和『永久的托詞(永い言い訳)』、清少納言『枕草子』、連城三紀彦『一朶桔梗花(戻り川心中)』、谷川俊太郎『一个人的生活(ひとり暮らし)』、川端康成『雪国』『伊豆的舞女(伊豆の踊り子)』、京極夏彦『百器徒然袋・雨』、乙一『ZOO』、緑川幸(緑川ゆき)・村井貞之(村井さだゆき)『夏目友人帳・小説』、谷崎潤一郎『細雪』、太宰治『人間失格』、曲亭馬琴『八犬傳』、湊佳苗(湊かなえ)『告白』、堀辰雄『起風了(風立ちぬ)』、是枝裕和『歩覆不停(歩いても歩いても)』、山田宗樹『被嫌棄的松子的一生(嫌われ松子の一生)』、小泉八雲『怪談』、京極夏彦『百鬼夜行・陽』、北野武『北野武的小酒館(全思考)』と、こんな調子である。書架のほうでも、村田紗椰香『人間便利店(コンビニ人間)』、織田作之助『夫婦善哉』、中勘助『銀湯匙(銀の匙)』、妹尾河童『少年H』、森鴎外『舞姫』、壷井栄『二十四只眼睛(二十四の瞳)』、宮沢賢治『銀河鉄道之夜(銀河鉄道の夜)』と広範にカバーされている。安部公房、坂口安吾、三島由紀夫、渡辺淳一、江戸川乱歩、川村元気、吉田修一、水木茂(水木しげる)の名もある。やけにマニアックだなと思ったのは、江戸時代の戯作者・式亭三馬による『浮世澡堂(浮世風呂)』と『浮世理髪館(浮世床)』の単行本で、これも現代的な装丁でめちゃくちゃ格好良く仕上がっている。訳者はなんと、魯迅の弟で名随筆家の周作人(1885─1967)であった。あとで調べると、先の『枕草子』も彼の翻訳。他にも周作人訳の『古事記』『平家物語』『石川啄木詩集』といった作品群が、ここ数カ年で立て続けに刊行されている。彼は清朝末期、本邦でいえば明治生まれである。そして兄の魯迅と同様、日本への留学経験がある。夏目漱石、国木田独歩、佐藤春夫、森鴎外、鈴木三重吉、武者小路実篤らの作品も漢訳し、同時代の中国人に紹介している。そんな彼の仕事によって、二一世紀の中国人が花のお江戸の滑稽本を読んでいるというのも妙に面白いものである。はたして現代の若者に周作人節がどう映るのかとんと分からぬが、漢籍に通じた前世紀の巨人が「知日」のパイオニアとして、なお影響力を炸裂させていることは押さえておきたい事実である。

物外書店が入居する洋館(サムネ画像と同じ)。映える外観に期待が膨らむ。
さっそく入口脇にスタッフ募集案内を発見。
1階中央。空間設計と本の見せ方が凝っている。それでいて居心地も良い!
最前列に中島敦と伊坂幸太郎が隣り合う(ちょっとくすぐったい気持ち)。
日本文学がてんこ盛り!『告白』『羅生門』『ZOO』『枕草子』etc.
アップするとこんな感じ。キャッチーで心を打つデザインが多い印象。

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