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それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第71回 続・武漢の人気書店で考えたこと

(62)先に「知日」などと口走ってしまったが、各号単一の特集で日本文化を紹介する、雑誌『知日(ジーリー)』の専門コーナーも、じつは店の奥に用意されていた。ご存じの方もあるかと思うが、ユニークな装丁で内容も充実した本である。試みに特集の例を挙げると、犬、猫、怪談、横尾忠則、山口組、拉面(ラーメン)、大河ドラマ、枯山水(かれさんすい)、是枝裕和、三島由紀夫、ゲーム進化史、京都などと、なかなかコアでバラエティに富む。そして面白いことに、この版元である中信出版社が『知中(ジージョン)』という姉妹誌を刊行していて、おのずとこの『知日』と売場を一(いつ)にしているのである。『知中』の特集は、例えば蘇東坡、鳩摩羅什(くまらじゅう)、禅、民謡、宋版書、孫子の兵法、中国茶、西南聯大(日中戦争下で北京大学・清華大学・南開大学の疎開先として雲南省昆明市に設立された大学)である。両誌の、日本を知ろうというベクトルと、自国文化を掘り下げようというベクトルとが、こうも視覚的に並列化されると、よそ者日本人としては少し戸惑いを感じてしまう。第一に、ここでは政治意識の欠片(かけら)も感じられない。親日というよりも、知日であるのがポイントである。そして、あとで調べて興味深かったのだが、両誌の創刊は『知日』が2011年、『知中』が2017年、ここに6年の開きがある。つまり、情報感度の優れた市民の心の機微をとらえ、あれやこれやと日本文化を紹介してきた雑誌がついに6年遅れで、自国文化を題材とする新レーベルを立ち上げたというわけである。くどい表現をするならば、日本文化に魅せられた中国人がたゆまぬ調査・発掘によって「俺たちの日本(リーベン)の眺め方」を磨きつづけた結果、それが思わぬ予行演習、あるいは良きウォーミングアップとなって、今度は中国人自身が「未知なる中国文化」をクールに見つめなおす契機を生んだとも言えるだろう。今や中国人はまるで飯を食らうがごとく、日本作品をモリモリ摂取・咀嚼(そしゃく)し、そっくり消化しているかのようである。武漢の人みんなが知日派ってわけじゃないさ、という見方もできるだろう。たしかに、上記の観察とつぶやきには、ぼくの主観が多分に混じっている。だが、物外書店は武漢有数の流行の発信地でもある。都会の一等地に建つ人気書店のシビアな選書を思えば、日本関連本の物量・売場展開・レコメンド状況は、見れば見るほど、現代中国人の旺盛な知日熱を浮き出たせるのである。

(63)もっと視程を長くして考えると、1978年の改革開放以降、物質的豊かさのみならず、安らぎと自信に満ちた精神的着地点を追い求めてきた中国人民にとって、その理想郷探しのモデルの一つが日本文化であったのは間違いないだろう。最初は高倉健、栗原小巻、三浦友和、山口百恵、田中裕子が憧れの対象であったといわれる。タバコは七星(チーシン=マイルドセブン)。アニメなら聡明的一休(一休さん)、龍珠(ドラゴンボール)、聖闘士星矢、哆啦A梦(ドラえもん)、北斗之拳(北斗の拳)、灌籃高手(スラムダンク)、美少女戦士(美少女戦士セーラームーン)、櫻桃小丸子(ちびまる子ちゃん)、幽游白書(幽☆遊☆白書)といったところ。さらに酒井法子、宮崎駿、久石譲、村上春樹、東野圭吾、無印良品、優衣庫(ユニクロ)などと象徴的アイコンが変遷し、またそれらが象徴する文化や精神が、中国人自身の体内へと取り込まれていった。日本品牌(ブランド)のイメージや体験が膨らんでいくなかで、日本人の思惑とは別のところで、中国人による日本物語が編まれていったのである。時間をかけてゆっくりと、中国全土で(しかも途方もない地域差や個人差を孕みながらだ)。だから、どだいぼくらが訪日ブームの背景など完璧に読み取れるわけもないし、彼らの心理を正しく理解しようとなると、あらゆる属性の中国人から体験談を聞き取って、少なくとも四十年分の中国人生活史をなぞらなくてはいけないだろう。

(64)こう考えてみると、ふだん政治・経済というレイヤー中心で相手を眺めているぼくらが、隣国理解に苦戦する理由はおのずと明らかだ。でも、手遅れということはない。これまでどおりメディアや専門家の話を聞きながら、みんなで中国情報の扉を押し開き、社会のディテールを幅広く知るようになれば、中国人とより賢く付き合い、より正しく恐れることができるのではないだろうか。一人一人の体験や感覚はナローでズレていても、大量に蓄積されるうちに偏りや誤りが発見され、適宜修正されていくはずだ。日本人は国民総出で気長に、ワイドな「中国(人)攻略法」を育めばいいと、ぼくはそう楽観的に考えている。試みに、豆瓣(ドウバン)読書、豆瓣電影といったサイトを開いて、日本作品のページをチェックしてみてほしい(日本漢字で検索できるので初心者でも楽勝である)。映画ならば小津安二郎や黒澤明にはじまり、是枝裕和、新海誠にいたるまで高評価の嵐。しかも、人気タイトルには軒並み千や万単位の評価が付いている。ポイントの高さもさることながら、大量のコメント数にも驚かされる。同時代の中国人によって、日本作品がこれでもかとばかり読み尽くされ、鑑賞し尽くされているのが手に取るように分かる。まずはそんなところからも、個人個人が中国理解の補助線を自由に引ける時代であることがたやすく実感できるだろう。

(65)そういえば、この武漢にAV大久保という謎めいた名のロックバンドがあるのをご存じだろうか。これが、戸川純率いるヤプーズの名曲「赤い戦車」を「紅坦克(ホンタンコー)」と訳し、中国語ロックとして唄っている。なんだか最近は、中国の若者のあいだで戸川純の人気が高まっているらしく、2018年には彼女が深圳(しんせん)のイベントに招待されたなんて報(ほう)も聞く。1978年生まれのぼくにとって戸川純というと、NHKみんなのうた「ラジャ・マハラジャー」の歌い手なのだが、彼女の歌唱やアイコン力が時空を越えていまどきの中国男子、中国女子たちの心を捉えているのは面白い。九〇后(ジウリンホウ)の子たちは、ネットを介して縦横無尽に自分のお気に入りを見つけている。いや、バーチャルに時空を行き来し、リアルにも世界中へと旅立っている。あべこべにぼくらの国では、中国報道に接する機会はこの十年二十年で急増したが、中国の文化を温(たず)ねようという欲求は急速に萎(しぼ)んでしまったように見える。良いものは採り入れよう、好きなものは欲しがろうという、中国人の素朴で楽観的な消費者態度が、どこか違う星のものみたいに思えてくる。時代を飛び越えて人と人が、人と作品が繋(つな)がる、その環境や素地(そじ)はすでに出来上がっている。中国は不自由で、日本は自由だというのは一面では正解だが、無限の可能性の中から何を選びとり、何を探し当てるか。それはすぐれて、ぼくらの意欲とセンスの問題なのだ。

『知日』創刊'11年、『知中』同'17年。日本を知り自国文化を再発見する流れ?
古典文学シリーズの装丁にもさりげないセンスを感じる。
村上春樹と川端康成(下段)の著作が並ぶ棚。作品数がとりわけ多い。
芥川『江南游記』も馬琴『八犬伝』もつい所有欲にかられるデザイン。
太宰治『人間失格』もモダンな表情で存在感がある。

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