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武漢のおひとり様女子に人気の和食店を礼賛する話――「脱構築!」14歳からの中国街歩き練習帳


小川料理とは何ぞや!?

(1)武漢の旅の一コマである。場所は松竹路(ソンジュールー)。ぼくは、ある日本料理店を探していた。地元の若者に人気の和食店で、店の名を小川料理という。現地アプリで調べたところ、口コミの評価が高い。そして値段が手ごろである。武漢市内に何店舗か営業しているのだが、せっかく近くに来たのだからなんて勝手に意気込んで、この日はわざわざ食事時間を遅らせて来たのである。だがしかし、一瞬であきらめた。すでに店先には、およそ二十名が順番を待っている。見た感じでは、ほとんど学生のようである。彼らは店が無造作にばらまいた簡易椅子に座っている。歩道の幅は約十米(メートル)と広いのだが、その半分あまりが待ち客によって、なんとなく占拠された格好である。看板には「小川料理、大衆レトロ酒場」と大書され、小さな字で「刺身・ラーメン・焼き物・丼・板焼き(原文ママ)」と添えられている。外壁も凝(こ)っていて、瓦(かわら)を載せた檐(ひさし)まで造作してある。軒下には「お食事処」なんて提灯がぶら下がり、どこから仕入れてきたのか、壁にはレトロ広告の貼り紙までしてある。ヤマサ醤油、オリエンタル即席カレー、トリスウヰスキー、オロナインなんて具合に。我々からすると、スーパー銭湯の飲食コーナーみたいな印象もないではないが、とはいえ芸が細かいのには脱帽する。いったいぜんたい、この日本料理店をして(あるいは武漢の消費者をして)、ここまですっかり昭和風味を再現させたり、没入させたりする力とは何なのだろう。尚のこと、店内の様子と料理が気になる。飛び込みで体験してみたかったが、しかたがない。今日のところは退散しよう。

高評価が気になり来てみたが、あえなく退散。

(2)あくる日。武漢大学の校園(キャンパス)を散策したあと、午前一一時二八分、開店直前の小川料理・武漢大学店に到着。幸いにも歩道に人影はない。日本髪の美人がニコリと微笑む、旧時の白玉ホワイトワインの広告に出迎えられた。隣には雑誌『少女の友』の表紙が掛かる(竹久夢二の絵だ)。店は二階にある。階段をのぼると、すでに二十人余りの若者が開店を待っていた。やっぱりものすごい人気だ(さすが大衆点評という有力サイトで一万を超える口コミが寄せられているだけのことはある)。店外スペースの壁には、キリンラガーの大判ポスターが一枚。桜を背景に、菅原文太がとびきりの笑顔でジョッキを掲げていた。やんちゃな昭和一ケタ男が、平成の世で美味そうにビールを飲んでいる。そんな豪快一辺倒の絵面(えづら)の広告が、いま海を越えて令和の武漢人に引き取られているのが妙に面白い。よもや中国の学生たちが映画「トラック野郎」にハマるとも思えないが、第三者のぼくから眺(なが)めると、彼ら彼女らと菅原文太御大(おんたい)が並んだ目の前の光景こそ、まさに何でもありの新世紀中国らしい取り合わせだなあと感じ入ってしまう。

菅原文太の迫力とインパクトには何も及ばず。一枚でガラッと印象を変える。

楚姫に交じりて和食を摂りつつ

(1)さて、ぼくが来てから程なくして入口が開き、順番に呼ばれる。昨日から入店を試みて、ついに本懐を遂げることができた。見ていると、二人客と一人客女性が半々くらい。男性客はぼくを含め、五人もいない。完全に少数派だ。店内は日本の飲み屋を忠実に再現した感じ。しかも手探りでアイテムを配置しました風ではなく、かなり完成度が高い。天井からは提灯(ちょうちん)型の間接照明がぶら下がり、柱にはそこかしこに千社札風のシールが貼られている。満員御礼、出世開運、千客萬来、朝市、七転八起。ほっとけない日本語が堂々と各所に踊る。さらに、錦絵風の天狗や富士山、大漁旗が壁に掛かり、達磨に招き猫もいる。なんだか本気度が伝わる。愚直なこだわりによって細部が構築されているのは、とりもなおさず武漢人消費者の側、とくにここの客層である二〇代女性たちに、隣国日本に対するピュアな本物志向が芽生えているからだと推測してみる。一人客のおとなしめな女の子たちが、昼間から居酒屋のカウンターに横一線に並び、一心にスマホを覗き込んでいる。そんな不思議な光景のなか、ぼくも案内されてカウンターの端に座った。なるほど、彼女たちは店の運営ルールに沿って、さっそく料理を注文しにかかっているのだ。誰も手を挙げて店員を呼んだりしない。頭(こうべ)を垂れて黙々、スマホと対話している。そういえば、背後の卓子(テーブル)席から漏れ聞こえる談笑も声が小さく、ぼくの知っている中国とはとても思えない。まるで大国から切り離された新生独立国家のようだ。いや、この風景こそが、現代中国のなかの、すぐれて日本化してしまった一小景なのかもしれない。

(2)いよいよ菜単(メニュー)を見るとしよう。だけど、ぼくにはスマホがない。服務員に聴かせる湖北方言もない。そう、空回りしている場合じゃない。仕方なく独り菜単と手書きの注文票を取り寄せて、しばしこれと睨めっこする。一応、店内の撮影許可をもらう。最近は自撮りが当たり前になり、大目に見てくれる場合がほとんどだが、念のため。菜単は和紙製の横長、紐綴(ひもと)じで、古いお蕎麦屋風。飲み物、前菜、焼き物、揚げ物、サラダ、刺身、主食、手握(にぎり)寿司、アメリカ寿司、和菓子とジャンル分けされ、全百種類近い品を揃える。ちなみに啤酒(ビール)は麒麟(キリン)と朝日(アサヒ)で、三得利(サントリー)の角瓶晦棒(ハイボール)まで揃(そろ)えてある。菜単の中程には料理名のほかに、なかなか遊び心ある文言が並んでいた。ご紹介しよう(原文ママ)。
  二日酔いって響きはいい!! 宿醉這個詞聴起来真響亮!!
  乾杯の挨拶は短めに!! 干杯前的到詞都要簡短俐落!!
  お前が注文すると全部揚げ物だな!! 你毎次都浄點些炸物!!
  隣のテーブルの合コンが気になる!! 對隔壁卓的聯誼充満了好奇!!
  チェイサーの意味が最近分かった!! 最近終于知道chase是什麼意思!!
  お通しが最後に出てきた!! 前菜總是最後才送来!!
  おつまみ好きに悪い人はいない!! 喜歡下酒菜的人都不是壊人!!
  飲むか飲まれるか、 是喝到爽還是喝到挂?
  勝負の夜が今日も始まる!! 一决勝負的夜晩今天也即將展開!!
右のように日本語と中国語が併記されていて(しかも漢字はなぜか繁体字)、待ち時間のいじりネタとしては最高だ。さて、先に入店していた客の料理が、幾つかカウンターにならび始めた。ステーキが二、三皿見えた。昼前から和食居酒屋でステーキを食う武漢の女子たち。第三者的にはツッコミを入れたくなるところなのだが、今はそれどころではない。腹ペコなぼくはこれが看板メニューだろうと確信し、迷わず第一品にチョイスした。「鉄板一口牛肉」三八元。あとは主食が決まればオーケーだ。炙(あぶ)り海鮮丼もいいし、カレーうどんもいい。「超級鰻魚牛油果巻=スーパー鰻のアボカド巻き」四八元や「爆爆頭軍艦=モチャモチャ軍艦巻盛合」三八元も気になる。が、迷ったあげくに豚骨拉麺(ラーメン)二八元を頼んだ。現地化された日本式拉麺の味に興味があったのだ。

老舗おそば屋さん風のメニュー。ポエムの作者は、現代の李白か!?(左下)

(3)カウンターの向こうの兄ちゃんたちは、みな黒Tシャツに黒キャップ姿。淡々黙々と調理中。ホールでは同じTシャツの男女が動き回り、オペレーションに滞りや粗さは見られない。キッチンと客席のあいだで会話が少ないようにも感じるが、このへんは自然な時代の流れとも受け取れるし、おとなしく機器操作に長(た)けた若者どうしが、未来を見据えて理想的な妥協点を見いだしているようにも見える。ふと思い出したのは、二十年くらい前の桂林での外食風景である。たまたま入った公営食堂では、服務員の女性たちは客をドヤしたてながら食券を売り、一方仲間内では超ゴキゲンにおしゃべりしていた。また食事時間になると、彼女らは丼と箸を持って営業中の客席をぶらぶらし始め、人によっては客のそばで、立って昼飯をかき込んでいた。そんな牧歌的すぎる光景が、中国の街ナカにはふんだんにあった。当時は、出た出た、トンデモ中国の衝撃ネタ、としか捉(とら)えられなかったが、今となっては完全に良き思い出である。ただ、あの頃のおばちゃんたちの生活ぶりや理想がどんなものだったのかということについては、学生当時のぼくも現在のぼくも、まったく想像がおよばない。率直にいうと、どこか別の惑星を旅しているような気がしたものだ。それを考えれば、目の前の子たちが日々どんなことを希求して生きているのかは、よくよく観察したり他人の見解を集めてたどっていけば、どうにか理解に近づけそうだなと楽観できる。それはもちろん、ぼく自身が歳を取ったせいもあるだろうけど、他方で日本と中国がいまだ多少のズレを抱えながらも、個人レベルでは意外と似かよった話題・関心を持ち、同じような生活様式で暮らしている、そんな実感が芽生えてきたからかも知れない(これは如何(いか)なる先人も立ち会えなかった、ひそやかに祝福すべき「歴史的快挙」だと思う)。具体的にいうと、今や星巴克(スタバ)や無印良品や優衣庫(ユニクロ)が各都市に定着し、そればかりでなく各社の推す企業理念や生活スタイルまで、瞬(またた)く間に中国社会に浸透しているとさえ感じられる。まるで日本の麦当労(マクドナルド)が日常風景に溶け込み、今やぼくたち自身の一部だとも感じられるように。いやはや。ぼくがいま見ている従業員や客は、まだ社会主義的だったあの服務員たちの子や孫の世代だ。中国は変わったと、こんなところでも思う。ところで、小川料理の従業員たちのシャツの背中には、筆文字で勇(いさ)ましい日本語フレーズが書かれてあった。曰(いわ)く、「先んずれば夢を制す」と。嗚呼(ああ)、先んずれば夢を制す、か。背中の文字が目に入るたび、ぼくは胸の中でこれをなぞり呟(つぶや)いた。そして読めば読むほど、武漢の若い彼らにこそふさわしい言葉だよなと、そう思った。

やはり一升瓶の視覚効果は大きい!? コロナ禍前のマスク着用もポイント。

(4)さあ、お待ちかねの鉄板一口牛肉がやってきた。二〇一九年の武漢で、サイコロステーキをにんにく醤油でいただく。パセリとミニトマト、にんにくのスライス3枚が添えてある。これがアタリだった。ご飯も啤酒(ビール)もなしに、肉を口へと放り込む。醤油、にんにく、牛肉。各食材たちが、中国で慣れないコラボを果たし、新ユニットを形成している、そんな印象だ(そうはいっても食べ慣れた味なので、単純に「おいしいおいしい」とパクパク食べるのだが)。未知と既知、相反する性格の情報が、アタマの中で錯綜する。そもそも、ぼくには中国駐在経験もないし、日本人が集まるような飲食店にも入ったことがない。せいぜい地元客でにぎわう吉野家、食其家(すき家)、味千拉面(ラーメン)を何回か利用した程度だ。だが、最近ようやく中国の和食店にも心惹(ひ)かれるようになった。手ごろな値段、豊富なメニュー、高い評価、良き立地、店内と料理の見映え、と条件が揃ってきたのだ。そして、おそらくは同様の情報をもとにやってくる、中国の若者たちがいる。彼らの流行に乗っかって、今後は行く先々で和食店を訪ね歩いてみたいとも思う。そういえば余談になるが、前年は南京の繁華街、新街口(シンジエコウ)の裏通りで豚骨拉麺(ラーメン)を食べていたところ、突如)店主が出てきてコンニチハ、じつはわたくし日本に留学していましたと話す。彼もまた、日本式拉麺(ラーメン)の味に心を動かされたはいいが、それを現地に馴染ませるのに苦心しているという(中国人の味覚に合わせて塩分を控え、素材の味を楽しめるようにしているそうだ)。店の繁盛ぶりと味の進化を確かめに、いつか再訪したいものだと思っている。シン中国の「紅い遺伝子」ならぬ「和の遺伝子」が今後どのように伝承されるのか、そして如何(いか)なる発展・多様化を遂げるのか。その輝ける未来を楽観的に見守りたい。

(5)ややあって、豚骨拉麺が着丼。具はほうれん草、ネギ、半熟玉子、コーン、わかめ、あとは薄い焼き豚が二枚入り、麺はたいへんソフトな細麺である。味はだいたい予想どおり。塗り箸でそうめんを食べているような感覚になるが、中国らしい薄味で食べやすいのはたしかである。日本人には物足りない味に違いないが、言いかえればシンプルな拉麺の味にこそ、日中間の味覚の違いが如実に出てくる。こういう中国向けに進化した「逆輸入」拉麺(ラーメン)が、よもや日本へ「再輸出」されるとは考えにくい。だけど、ひょっとしたら遠い将来、日本人が既存の拉麺に飽きたころ、ちょうどこんなあっさりメニューが日本人の舌と胃袋を掴(つか)むかもしれない。まるで日本人向きじゃなさそうだと思っていた伊斯蘭(イスラム)風牛肉面(ニウロウミエン)だって、それでも小さなブームを生んでいるくらいなのだから。ともかくこうして、ぼくは武漢の食事を締めくくった。

鉄板一口牛肉(38元)と豚骨拉麺(28元)

知日体験 in 武漢の記念に

(1)いささか一方通行なプチ交流もあった。隣席のポニーテールの女の子が、ステーキと三文魚(サーモン)の刺身を前にしてぎこちない様子。ひとしきり料理写真を撮ってから、手許(てもと)のワサビと醤油差しに向けて交互に視線を送っていたのだ。きっと食べ方を知らないんだな。じれったいあなあ。ぼくは多少音を立てながらズイズイ中国式拉麺(ラーメン)を啜(すす)っていたが、その手を止めて、彼女のために刺身の食べ方を簡単にレクチャーしてあげた。エイ你好(ニーハオ)、君この店は初めてなの? 刺身も初めてか。フーン、それじゃ説明しよう。これワサビと日本醤油ね。皿のここにワサビをちょこっとつけてさ、醤油を注いで混ぜてから、それから、こう食べるんだ。これが日本式だよ。美味いからやってみて。分かった? あとはご随意にね、じゃどうぞどうぞ、と。相手の箸や皿に触るのもなんだから、いちいち身ぶり手ぶりで大げさに解説を試みた。昔の食堂なら荒っぽく大声で話すところだったが、現況を考えてできるだけ端的に解説してみたつもりだ。その子はひどく不思議そうな表情でぼくの話を聞いていた。日本から来たんだけど、とぼくが明かすとさらに驚いて、口を開けたまんまになった。そして数秒考え込んでから、やっとぼくの説明どおりにワサビを溶いて、ぎこちなく三文魚を口に運んだ。そして、ウンウンと刺身を味わいながら、やおら親指を突き立ててぼくに合図した。そうか、美味いか。よしよし。まだ日本に来たことはないという。ぼくは京都だとか大阪だとか北海道といった地名を挙げて、日本観光を熱烈に推しておいた。そうだ東京も悪くないよ、と最後に付け加えた。彼女はやっぱり不思議そうに聞いていた。ぼくのほうが先に食べ終わり、会計を済ませて外に出た(六六元)。なんだか、本国のぼくまで疑似「知日」体験をしたような、そんな不思議な感覚で武昌の街に舞い戻った。

(2)さあ最後に、古(いにしえ)の賢者にならって爆詠みしよう。

  朝(あした)に洋書を読み 昼に和食を試す
  吧台(カウンター)の諸客 各々相見ゆ 日本菜(リーベンツァイ)
  楚姫(そき) 未(いま)だ解せず 芥末(わさび)を添えるを
  也(ま)た醤油に溶いて生魚片(さしみ)を食すを知る
  *原詩「四時田園雑興 夏日 其七」 昼出耘田夜績麻 村荘児女各当家 童孫未解供耕織 也傍桑陰学種瓜

これは店内の諸客、みんな武漢大学の女子学生という設定で。詩は、南宋の范成大(一一二六―一一九三)の作。

*情報は2019年9月当時(通貨為替レートは1元約16円)。新型コロナウイルスの影響等により現在の状況と異なる場合があります。

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