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それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第73回 朝の洋館めぐり おじさん描写を添えて

(69)とうとう最終日、五日目の朝。最後の宿である錦江之星旅館(ジンジアンジーシンホテル)を退房(チェックアウト)、出発時刻は8時12分。ロケーションは良いし、部屋は清潔だし、言うことはなし。これで一泊2,565円とは嬉しい。かような旅ができるのも、商務旅館(ビジネスホテル)のおかげです。さあ、今日も計画どおりに武漢散歩を進行できるだろうか。もう酒店(ホテル)には帰らない。寄存行李(ジーツンシンリ=荷物の一時預けをせず、背包(バックパック)も肩掛け鞄もすべて身につけて歩きだす。

(70)洞庭街(ドンティンジエ)を直進し、上海路(シャンハイルー)、南京路(ナンジンルー)を過ぎ、青島路(チンダオルー)との十字路に到着する(ここまで旧英国租界のエリアである)。この東角に、1915年完成の古典主義建築、保安洋行旧址という洋館がある。保安洋行とは、英国宝順洋行(デント商会)の傘下企業で、主に上海─漢口間の水運に関わる保険事業を展開していたという。全六層、くの字形の両翼20米以上もあり、周辺の新建築と比べて存在感はピカイチである。交差点の角っこは二階以上が半円形を呈していて、五階には装飾用の石柱とバルコニーが見える。いかにも文化財らしい荘厳な構え。とくに、丸みを帯びた正面の外観には武骨さの中に愛嬌も感じられ、なかなか親しみの持てる百年建築である。現在は酒店やシックな珈琲店(カフェ)、それに甲魚(すっぽん)料理の老舗が入居しているようだが、そんな現代的実用とのギャップもまた良い。

(71)交差点の西角には、麦加利銀行大楼が建つ。1865年落成の三階建てである。麦加利とは英国渣打銀行(チャータード)の中国名の一つで、初代支配人であるジョン・マッケラーの名前に由来するという。この銀行はかつて、上海・広州・香港・北平(北京)・天津・青島・漢口に支店を設置していた(なお旧上海支店の建物は現在の外灘18号である)。先の保安洋行は堅牢な雰囲気むき出しの、ザ・石造り建築であったが、こちらは全体をアイボリーに塗られた、華やかで涼しげな三層建築である。ものの解説によれば、高温多湿な気候に合わせた、典型的な英国式植民地建築だという。屋根はチョコレート色の方塔を載せ、側面は多数の大きなアーチ窓と花瓶型の欄干が特徴的である。また一階の方柱がことごとく、グレーとアイボリー二色のストライプ柄で、そんなところは時代を越えて格別にファッショナブルである。火曜日の午前、日はまだ低く、歩道はみな日陰である。そして、プラタナスの並木がこれを覆い、路上の影の色をいっそう濃くしている。そんな暗がりの縁石や階段にぺたっと腰を下ろし、やけにリラックスしている四、五十代のおっさんたちがいた。これといって特徴のない風体の、スーツでも作業着でもない、ゆるい私服姿の彼らである。いったい何をしているのだろう。こざっぱりした服装ではあるが、これではロマンや感傷のへったくれもない。いや、ロマン云々はこの際どうでもいいのだが、建築と街路の美観をも吹き飛ばす、彼らの存在感が気になって仕方がない。平和の象徴感、または巷のボスキャラ風情。そんなものに、ぼくは思いがけず打ちのめされた。おっさんは全部で7名。内スマホ使用1名、それを覗き込む者3名、豆乳だか珈琲だかを飲む者1名、あとの者は、ただぼんやりと前方を眺めている。疑問は消えぬ。いったい何をしているのだろう。ふと、常州・天寧寺の回廊に安置されていた五百羅漢像が、ぼくの頭にオーバーラップした。ぼくは中国の街角で出くわす、こんな捉えどころのない、シュールであけすけな風景が大好物である。読者の中にも、多分似たような感覚をお持ちの方が隠れていらっしゃると思うのだが、いかがだろうか。ただ、そのような偏愛を語っていると長くなるので、まずは散策実況を先へ進める。

(72)青島路を西北に向かう。次なるお目当ては青島路10号、平和打包廠(ピンホーダーバオチャン)旧址である。1905年の建物で四階建て、武漢で最初の鉄筋コンクリート建築といわれる。租界時代、ここでは綿花の加工と梱包を行っていた。外観はレンガと石組みの切り返しが美しく、いうなれば我らが世界遺産、富岡製糸場をもう一歩モダンな様式に建て替えたような趣である。これは帰国後に知ったことなのだが、この建物は往事の雰囲気を残しつつもグッと近未来風にリノベーションされており、すでに高感度なショップやギャラリーが続々と入居していたのだ。内観は上海の郵政博物館と似ている。それと、まさにこの年、2019年にはユネスコから文化遺産の保護・再利用の表彰を受けるなど、今をときめく武漢の注目スポットとなっていたのだ。そして口コミサイトの投稿は、インスタ映えを求めてやって来た女子たちの自撮り画像と撮影指南ばかりであった。ということで、ぼくはうっかりスルーしたのだけれど、漢口の租界建築めぐりなら、こちらの内部見学を熱烈におすすめしておきます。

(73)それから鄱陽路(ポーヤンルー)を直進し、北京路(ベイジンルー)を越えると、そこは旧俄魯斯(ロシア)租界だ。屋根に玉ねぎを載せた小さなロシア正教会が見えてくる。現在は中俄文化交流館。まるでお菓子の家のような佇(たたず)まいだ。そして対面(といめん)には、中央に黄金のドームを冠したトウモロコシ色のビルが建つ。これもなかなか可愛いな、宗教施設か学校かな、と近づいていくが、入口に五星紅旗が翻(ひるがえ)るので、思わずひるむ。あとで調べると、ここは武漢市の供銷合作総社という組合であった。農産物の販売、生産・生活資材の購買をおこなう、日本の農協に相当する組織だといわれている(それにしても外貌と中身のギャップが大きすぎるよ)。この角を曲がって天津路(ティエンジンルー)に入ると、いっぺんに空が開け、一面のうろこ雲が現れた(サムネイル画像に記載の八七会議旧址・巴公房子は次回!)。

洞庭街を進むと、右に保安洋行、左に麦加利銀行大楼が現れる。
青島路から麦加利銀行大楼を写す。自転車の奥の人影が文中のおじさん達。
「青島路片歴史文化街区」の案内地図。
青島路。平和打包廠旧址。低層・高層部分を分かつ切り返しが美しい。
同じく平和打包廠旧址。洞庭街側はまた外壁の印象が異なる。
鄱陽路を進み平和打包廠旧址を振り返る。現在は改装工事も完了した模様。
鄱陽路と天津路の交差点、武漢市供銷合作総社。役所業務が似合わない風貌。
天津路。漢口租界のシンボルの一つ、漢口東方教堂。

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