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それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~

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それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第1回 ごあいさつと目次

2019年9月下旬。世界がコロナ禍に見舞われることになる、その少し前のことーー。 ぼくは愛用のタブレットPCを手に、およそ1年ぶりに中国の街を徘徊した。行き先は常州、荊州、そして武漢。子供時代からたびたび中国を旅しているが、今回いずれも初めて訪れる都市だ。ネット予約した高速鉄道で長距離を移動し、清潔なビジネスホテルに宿泊する。 最近は主に電子地図と口コミアプリを頼りにリアルな中国を濃密に体感できるようになった。『地球の歩き方』も出番がない。長江を眺めたり、バドミントン日本

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第2回 "中国ノ壁"ヲ攻略セヨ!

 一人ひとりがゾウの鼻や耳の感想を述べあうばかりで、肝心の全体像が杳(よう)として解(わか)らない。そんな喩(たと)えを聞いたことがあるだろう。もとより二十一世紀の中国には、巨象を通り越して底知れぬモンスターの気がある。食に言語に自然環境、交通、芸術、歴史、商工業など、あらゆる分野にわたって多面的性質を帯び、変化も異常に速い。  およそ外部の者にとって、「中国の壁」はおそろしく高くて分厚く、また堅固である。攻略の裏ワザなんてあるのか知らぬ。ただ、日本のぼくらの「眺め方」にも

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第3回 プレイヤーは勇者か!? 愚者か!?

(01)日出(い)ずる国から勇者が一人、いま中国の旅に出る。 (02)と、こうのっけから勇者だなんて力(りき)む必要もないのだが、本書をあの手この手で愉快なる冒険奇譚(きたん)に仕立てたいという浅薄(せんぱく)な思いが抑えきれず、ひとまずこう名乗ってみたのである。調子にノッて付け加えるならば、もちろん賢者でもよいし、英雄、君子、豪傑、大丈夫(だいじょうふ)の呼び名も悪くない。また旅人という意味の、遊子(ゆうし)なんて古めかしい言葉も乙(おつ)である。しかし、どうだろう。これ

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第4回 上海駅で高速鉄道を待ちながら

(05)真夜中に東京羽田を発ったぼくの乗機は、順風満翼ゴーウエスト、朝方には日没する処の魔都上海に着陸した。上陸後はいたってスムーズに入国をはたし、そのままタクシーに乗り込んで上海駅へと直行。いつだって異星人の気分にさせられる浦東新区の落ち着かない眺めのなか、車は高速道路をすいすいと走行し、見込みどおり小一時間で駅に到着した。さっそく窓口へ出向き、予約番号を伝えて切符四枚を受けとる。  9月20日(金) G7002号 上海―常州 二等席  (74.5元)  9月21日(土) 

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第5回 アプリ駆動! 常州散策スタート

(09)天高くン馬も蟹も肥ゆる秋。かたわらには真白きコーティングに青帯の装い、まさに東海道新幹線生き写しの車体が連なり、少時逗留している。彼は小休憩ののち、終着駅・南京をめざして江南デルタを疾走する。残り区間の安全走行を祈り、ぼくはこれに別れを告げた。イヤホンを外し、サントリー烏龍茶のアルバムを止めて歩き出す。しばし人波にもまれて、降車専用通路から改札を抜けると、そこは駅南広場。振り返りて仰ぐ駅舎はモダンなスケルトン構造、人口450万都市を睥睨(へいげい)していかめしい。ただ

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第6回 閑話休題 旅のあらましを語る

(13)ホテル到着は午前8時15分。鉄道きっぷとともに、大手旅行情報サイトの「携程旅行(通称トリップドットコム)」で事前予約した。フロント女性の迅速なる応対と現下の空室状況により、すぐに部屋が用意された。九階の小暗い廊下の先にある、北東の角部屋だった。小窓からは今しがた歩いてきた関河中路がのぞめる。街路をこんもりと覆う巨木の陰から、行き交うクルマや自転車の一台一台が、図々しくも元気ハツラツと目的地へと突進していくのが見えた。もちろん、ぼくの知らないどこかに向かって。特別眺望が

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第7回 木漏れ日と人民キッズと

(17)さて、野暮な持論はしばらく措(お)くとして、話を元に戻そう。 (18)ぼくはホテル到着早々、ベッドに倒れ込み、そのまま一時間半のあいだ仮眠した。身支度を整えて部屋を出ると、時刻は午前十時過ぎ。先ほど歩いてきた関河路(グワンホールー)と直交する太平橋路(タイピンチアオルー)、まずはこれを南下する。関河路の全六車線に対して、こちらは四車線道路である。一階を店舗とする集合住宅が両側に建ちならぶ。広い歩道にはクルマやバイクが停まっており、それをいちいち避けながら歩く。歩行者

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第8回 ノスタルジックな街区をさがせ!

(22)それはそうと、ぼくがどこへ向かっているかというと、目的地は江南を代表する禅寺の一つ、天寧寺(てんねいじ)である。常州駅やホテルから、南方に約一公里(キロ)の地点にある。そこへ到るまでに、文廟、(ぶんびょう)、基督(キリスト)教会、さらに青果巷(チングオシアン)風景区といった名勝旧跡に立ち寄りつつ、街路をぶらぶらし、ついでに昼食も済ませようというプランである。ぼくは中国旅行を計画するときはいつも、先ほどからご紹介している「高徳地図(ガオドーディートゥー)」という中華アプ

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第9回 孔子さまはどこへ消えた!?

(25)大成殿がでんと建つ。青空の下で、くすんだ臙脂(えんじ)の壁と多色の瓦が、なかなか渋い味を出している。なだらかな曲線をえがく屋根には、ところどころ雑草が伸び放題。いや、小さな木すら勝手に生えている。おごそかな空気と、ほのぼのした空気が、本当にいい塩梅(あんばい)に共存する。この大成殿は、南宋の咸淳(かんじゅん)元年(1265)の創建。その後たびたび戦火に遭い、現在の建物は清(しん)の同治六年(1867)に再建されたものだという。ちょうど徳川幕府による大政奉還の年である。

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第10回 チョコレート色の尖塔

(30)次に立ち寄ったのは、先に述べた基督教会である。じつは文廟に入る前から、前方に教会のすがたは見えていた。工事現場を覆うコバルトブルーのフェンスの先に、ひときわ大きな異国風の建物がその身を現していたのだ。中層からは、鉛筆の先っぽような尖塔(せんとう)がにょきっと生えている。これがなかなか大きい。周囲は、再開発を待つ古い住宅群である。外壁も屋根瓦も荒れ放題で、さらなる崩壊と建材の飛散を防ぐためだろう、工事用シートがぞんざいな格好で被せられていた。傾(かし)いだ電柱からは、無

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第11回 いずれザワつく!? 青果巷(チングオシアン)

(35)さらに南へと歩いていく。文化路(ウェンホワルー)を行き、延陵西路(イエンリンシールー)を横断、それから正素巷(ジョンスーシアン)に入る。新しいビルが増え、飲食店も目に入るが、客の姿はほとんどない。まっすぐ青果巷(チングオシアン)風景区に向かう。ところでこの風景区とは何ぞや。夫(そ)れいうなれば景勝地のことなりき。有名どころでは黄山とか桂林とか、絶景自慢の景観保護地区に使われる言葉だが、わりと汎用性が高く、町並みの美観を保存している指定地区にもこの語が使用される。さて、

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第12回 水餃子に告ぐ

(39)ここまで来ると、天寧寺までの道のりはあと少し。だが、時間は早いがこのへんで最初のチャイナ飯をいただく。というのも、午後の羽毛球(バドミントン)会場は再開発区域にあり、ほぼ陸の孤島。まともな食事がとれない可能性が高い。このため昼食は天寧寺付近で、と散策の前にアタリをつけておいたのだ。連鎖(チェーン)店よりも庶民的な人気店、変わりダネより食べ慣れたもの。そんな願望を満たすべく浮かび上がった店が、麻巷の(マーシアン)という通りにある李記鍋貼(リージーグオティエ)だった。鍋貼

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第13回 愛され食堂を後にして

(つづき)一方の春雨鍋はというと、牛肉、白菜、長葱、えのき、木耳(きくらげ)と具だくさんで、これまた体にやさしい一品である。苦手な香菜は取り除かせてもらったが、水餃子諸共(もろとも)、これもちょいちょい醤油を付けて美味しくいただいた(欲を言わば、ポン酢でも食べてみたかった)。栄養バランスが良くて、お手ごろサイズ。こんな素朴な鍋料理が、中国一人旅にはちょうどいい。砂鍋(シャーグオ)の美味しい店に出会うと、旅行中の食事がぐっと楽しくなる。以前、ずっと内陸の甘粛(かんしゅく)省天水

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第14回 五百羅漢があらわれた!

(44)さあ、もう目と鼻の先だ。天寧寺を拝みに行こう。阿弥陀佛(オーミートゥオフォー)! (45)わが食道街にして胃袋の新朋友、麻巷を過ぎて延陵中路(イエンリンジョンルー)を横断したところに、その境内は広がる。唐代に開山、のちに北宋のとき現在の寺号となった。現存する大寶雄殿・普賢殿・金剛殿・羅漢堂などは清代のものだが、やはり文革のときに破壊、のちに修復されたという。ちなみに、江南地方が大のお気に入りだった清の乾隆帝は、北京からわざわざ三度もこの天寧寺を訪れている。さて、現時