見出し画像

それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第2回 "中国ノ壁"ヲ攻略セヨ!

 一人ひとりがゾウの鼻や耳の感想を述べあうばかりで、肝心の全体像が杳(よう)として解(わか)らない。そんな喩(たと)えを聞いたことがあるだろう。もとより二十一世紀の中国には、巨象を通り越して底知れぬモンスターの気がある。食に言語に自然環境、交通、芸術、歴史、商工業など、あらゆる分野にわたって多面的性質を帯び、変化も異常に速い。

 およそ外部の者にとって、「中国の壁」はおそろしく高くて分厚く、また堅固である。攻略の裏ワザなんてあるのか知らぬ。ただ、日本のぼくらの「眺め方」にも、課題がありそうだ。巷(ちまた)ではしばしば、ゾウの鼻毛一本の議論が白熱し、中国の広さや多面性は忘れられがちである。これが安全な船旅もままならず、現地情報が稀少だった時代ならいざ知らず、互いによく行き交い、広範かつ細密な情報のやりとりが可能となった現在も「知中」がおぼつかない。同時代を彩(いろど)るディテールへの興味と視線が軽んじられるのはなぜだろう。

 思えば、李白さんの「白髪三千丈」の詩を、艱難辛苦(かんなんしんく)の末の嘆きだとすなおに了解するのではなく、なんだか大げさだね、と内輪で共感して始末するのがぼくらの習慣だといえよう。仲間うちで社交辞令を尽くし、丸く収まればそれで良しとするから、えてして大事と本質が置きざりにされてしまう。これはぼくたちの悪癖(あくへき)である。素質というより経験値の問題だ。こんな調子で語らえば、中国のすがたは永遠に非現実かジョークに映る。仮に「不可解」の原因の大半が相手側にあるとしても、こんな悪癖と懇(ねんご)ろになって自分たちを苦しめる必要はない。ぼくらが建前や社交辞令の心地よさに閉じこもっていては、ますます相手のすがたが見えづらくなり、不安が倍増するだけではないか。一衣帯水、同文同種なんていうのも言葉の蜃気楼(しんきろう)であり、トラップである。結局ぼくらは、現実の大地と出会うたびに、なんだか思ってたのと違う、こんなはずじゃなかったなんて経験を積み重ね、いつのまにか対中苦手意識の無限ループにハマってしまった。

 此処(ここ)にぼくが提案したいのは非常にシンプルなことで、すなわち時代の変化にあわせて中国をガン見しましょう、というものである。たまには目先の笑いと共感を棚上げし、生まれ持った好奇心で、いまどきの大地を直視しようではないかと。便利な機器も、膨大な情報も、好きなだけ駆使すればいい。まじめなフリして終生困り顔とウソ泣きをつづけるくらいなら、とっとと何食わぬ顔で中国のディテールを観察した方がずっと話が早い。そう、ガン見あるのみ。ぼくらの内なる敵は自ずから明らかだ。

 一、中国のことを熟知していると考えてきた、楽観的で根拠のないプライド。
 一、たゆまぬ他者理解よりも、胸のすく批評を優先させてきた安直な思考癖。
 一、場の空気を重んじて、本音や新事実を語れなくなった我々の貧弱な言語。

 いよいよ本題に入るが、ここは脱力して読んでほしい。そもそも、およそ全国民が納得するニッポン観察法がないように、きっと百パーセント正しい中国観察法もこの世に存在しない。そこでとりあえず、時代の変化をポジティブに受け止めたい。物事が常に相対的でフラットに、かつスピーディーに眺められる今の時代だからこそ、中国の歩き方や眺め方だって、本来は無限の切り口があるはずだと考えてみる。たとえば、あたかも広大な国土に無数のドローンを飛ばして上空から動態を観察するが如(ごと)く、さまざまな属性の人が独自の観察眼でとなりの大地の蠢(うごめ)きを追いかけた方が、より総体としての中国のありようと変動をうまく捕捉(ほそく)できるのではないかと思うわけである。

 むろんこれは極論であり、空想的なアイデアにすぎない。いかなる分野でも専門家の知見というのは、適切な理解ないし思索のために有効な枠組みと補助線をぼくたちに提供してくれる。また種々の制約のなか、現地に駐在するなどして日々情報発信しているマスメディアの働きと役割にも、変わらず敬意を払うべきだと思う。とはいえ、シン中国というモンスターの全容・動向が彼らの仕事だけで解明されるわけでもない。もっと大量の観測(とツッコミ)が必要だ。それに、情報の受け手もまた、時代に合わせて賢くなる必要があると思う。情報過多の世では、それを冷静に取捨選択して流されない、我々の感性や教養も大切ではないだろうか。とくに一人一人の多様な価値観を支える心の栄養こそ、ぼくは日々の生活、読書や旅など個人的経験の積み重ねと、そこで養われる想像力であると考える。

 かくいうぼくは、大学時代に中国政治を専攻しただけの平凡な勤め人である(卒論テーマは九十年代中国の汚職事件とその摘発でした)。研究者でも記者でもないし、中国との接点といえば、たまの旅行や観光客相手の商売ぐらいしかない。中国語のレベルも中級の入口にとどまる。ぼくはこれまで、子供の頃のそれと地続きにある小人(しょうじん)の冒険心を原動力に、ごく趣味の範囲で中国各地を旅してきた(四半世紀のあいだに約二十回、述べ4ヵ月程度にすぎないが)。学生時代は主に『地球の歩き方』のお世話になりながら、また近ごろは新技術の恩恵を受けて、最新交通網をキント雲の如(ごと)く乗りまわしたり、便利なデジタルツールを如意棒(にょいぼう)のように使いたおしたりしながら、である。

 でも2020年以降はコロナ禍のさなか、自分の趣味を遠ざけて、少しく俯瞰(ふかん)する時間をもった。はたして中国はどこへ向かっているのだろう。ぼく自身は中国をどう歩き、どう眺めてきたのだろう。ぼくらにとって「中国の壁」攻略のキーやアイテムって何だろうと、今さらながらふりかえり、自分の体験をゆるゆると書き起こしてみた。

 本書の取扱説明書をお示ししよう。『それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~』は、ぼくが旅先の街路風景を中心に書き起こした、いわば中国探訪プレイの記録である。ご存じのように李白は、中国を代表する唐代の詩人である。自分の旅を再現するにあたり、ぼくはリアルな心情と風景を詠(よ)みまくった、彼ら中国詩人たちの口まねを試みた。現地のディテールを泰然(たいぜん)と見つめ、ワイドな視点で再構成するため、古(いにしえ)の賢者の「言葉遣い」を借りることにしたのである。それは日本語や日本文化の基礎を形作ってくれた偉大な先人たちにささげるオマージュであると同時に、中国理解に資(し)するものは何でも有効利用させてもらおうという、ぼくの現代的かつ自己チューな発想でもある。

 もし李白が二十一世紀の中国を訪れたら、いったい何を呟(つぶや)くだろうか。そんなたわいもない妄想が、本書のなかには溢(あふ)れている。思いつめた社会派目線からはできるだけ距離をとって読んでもらいたい、という意図もある。これは情報まみれの今の時代、ぼくらが等身大の生活者や旅人の目線を保つことが意外と大切だと思うからである。この本についていえば、①中国のすがたを自分の言葉で捉(とら)え、②リアルに近い形でイメージできてこそ、③研究者や報道のプロが示す切り口と見立ての値打ちが改めて知れよう、と考えるのである。仮にこの前提と順序が崩れると、ぼくらシロウトは何の土台もないまま、事の軽重(けいちょう)も信憑(しんぴょう)性も分からず、永遠に玉石混交のコンテンツに振り回されてしまう。

 そうはいっても、本書を手に取ってくださった方の多くは、おそらくこうお考えだろう。まあ、たしかに中国は気になるけどさぁ、やっぱり危険でしょ? 旅行なんか絶対行きたくないよ、と。此方(こちら)はすっかり丸腰、反論の用意はない。でもそんな方にこそ、変わりゆく中国を3D感覚で体感していただきたいと思うのである。本書の特徴は、新聞やテレビが日頃スルーしがちな「端っこリアル」を、ランダムに多数取り上げているところにある。だからなんとなれば、自分がゲームの主人公になったつもりで、街角の等身大風景にツッコミを入れることもできるし、また時には、李白や杜甫の心持ちになって絶句・嘆息していただくのも一興である。そんなふうに本書を読みたおして、思い思いに愉快な時間を過ごしてもらいたいというのが作者の願いである。なによりも、快適なご自宅やカフェでお読みいただくぶんには、安心・安全百パーセント。これは請(う)け合える。

 けれども、これからご案内するのは2019年中国の旅。コロナ禍以前の話なので(発生時期は諸説あるけれど)、3年前とはいえ皆さんと時間感覚を共有するのに若干の不安がある。できれば、いざ旅立ちにあたって心の平仄(ひょうそく)を合わせておきたい。そこでぼくは、皆さんのごきげんな記憶の糸をたぐり寄せるという戦法によって、当時の感覚をいっしょに呼びさましてみたいと思う。さて、ここにいくつかの流行語を列挙する。すなわち、ワンチーム、ジャッカル、にわかファン、笑わない男、である。よもや忘れたとは言わせません。時を巻きもどそう。日本列島に熱狂と感動の渦(うず)をよび、数々の名場面・流行語を生んだラグビーワールドカップ2019年大会。ぼくの旅のはじまりは、ちょうどその開幕日のことである。しずかに目を閉じて、そのころの思い出に暫時(ざんじ)浸(ひた)っていただいたところで、皆さまを東京羽田空港発のフライトにご案内します。どうか素朴な現場実況と正直なボヤきを聴いて下さい。

凡例とご注意
*中国人民元の換算レートは、旅行時の1元16円を使用しています。
*文中のルビは、該当部分の文脈および読者の便宜を考慮・勘案し、日本語読み、標準中国語読み、その他の慣用表記、または当て字を作者の判断で適意使用しています。なお、標準中国語読みのカタカナ表記は、原則として平凡社「中国語音節表記ガイドライン」に準拠しました。
*中国渡航の際は、最新の情報を元に、くれぐれも健康および安全に留意してお出かけ下さい。

この記事が参加している募集

#休日のすごし方

54,612件

#国語がすき

3,850件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?