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それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第8回 ノスタルジックな街区をさがせ!

(22)それはそうと、ぼくがどこへ向かっているかというと、目的地は江南を代表する禅寺の一つ、天寧寺(てんねいじ)である。常州駅やホテルから、南方に約一公里(キロ)の地点にある。そこへ到るまでに、文廟、(ぶんびょう)、基督(キリスト)教会、さらに青果巷(チングオシアン)風景区といった名勝旧跡に立ち寄りつつ、街路をぶらぶらし、ついでに昼食も済ませようというプランである。ぼくは中国旅行を計画するときはいつも、先ほどからご紹介している「高徳地図(ガオドーディートゥー)」という中華アプリと谷歌地球(グーグルアース)に頼る。まず手始めに、地図でめぼしい名所を洗い出し、優先順位をつける。高徳地図は「大衆点評(ダージョンディエンピン)」という口コミサイトと連動しているので、観光スポットのほか、飲食店や小売店の評価も参考にすることができる。ユーザーが投稿した写真も豊富なので、旅行中のガッカリを未然に防ぐのに大変役立つ。それからぼくは、谷歌地球で市内を俯瞰し、昔ながらの建物が残るエリアをしらみつぶしに探す。上空のアングルからはブツブツの砂利のように見える、瓦屋根の密集が目印である。このようにして、今のところ開発を免(まぬが)れている、雰囲気の良い地区がなんとか判別できるというわけだ。ただし、都市によっては旧街区が根こそぎ破壊され、高層建築ばかりになっていたりもする。だだっ広い土地がすっかり更地になっていて、唖然とさせられることも多い。それはあたかも、巨大隕石の直撃を連想させるほどである。日本人によく知られた数千年の古都でも、残念だが軒並みそんな状況なのだ。

(23)ここ常州の場合も、古い街並みはほとんど残っていない。だからハナから期待薄、ダメ元の構えである。けれども、旅行前に一縷(いちる)の望みをつなぐところが見つかった。それが青果巷などの、京杭(ジンハン)大運河にほど近い地区である。そして地味ながら、興味深い歴史的スポットも見出した。常州文廟と基督教会である。文廟とは、春秋時代の思想家、孔子(こうし)さまが祀(まつ)られている儒教の霊廟である。孔廟(こうびょう)ともいう。古い町の一角に必ずあるが、この周辺にはたいてい、地元住民が行き交う、昔ながらの落ち着いた街並みが残っている。教会も同様だ。地元の歴史に密着してしぶとく残存していることが多く、街並み保存にとっても素晴らしき重石(おもし)となってくれている。高徳地図でも百度地図(バイドゥーディートゥー)でもいい。中国の地図アプリを開けば、今も数多くの基督教会が存在することがわかるだろう。新しい景観に見事に溶け込んでいる場合もあれば、昔ながらの街区に頑固に鎮座しつづけ、情緒の継承に一役買っている場合もある。

(24)右折、左折ときて県学街を南へ歩いていくと、やがて左側の壁に「縣学遺址」なる文字が現れた。県学とは明代以降の公立学校で、ここで行われる「県試」の合格が、官吏登用試験である科挙挑戦の第一歩であった。この地がつまり、文廟である。孔子を祀って学問をおこなう(湯島の御学問所や日本各地の藩校も同様である)。まず目に飛び込んできたのは、円(まる)い池状のちいさな堀だった。これは泮池(パンチー)といって、いうなれば巷間(こうかん)と学問世界との境界である。池の奥に、黒い甍(いらか)をいただく石造りの門。壁は真白に塗(ぬ)られている。趣(おもむき)がある。いいぞいいぞ。ただし門は閉じている。人気(ひとけ)もない。はて、入口はどこだろう。歩いてきた県学街を左に折れ、またすぐ左に曲がる。右手には侘(わ)び寂(さ)びの雰囲気を壊すような、ごくのっぺりとしたビルが接近して建っている(なんだか邪魔くさいなあ)。それでも真っすぐ行くと、文廟のちいさな入口に行き当たった。脇に「江蘇省文物保護単位 常州文廟大成殿」の石碑。とにかく到着したようだ。つい、声にならない、中国人風の深いため息をつく。なるほど、この文廟は長方形の敷地のうち、正門を含む南側半分が閉ざされていて、正殿ともいうべき大成殿だけが一般公開されているのだ。ただし、現在は工人文化宮(先ほどのビルが本館)という施設の一部となり、そちらでは大成殿改め道徳講堂と呼称されている。工人文化宮とは、日本流にいうならば公民館や市民センターのたぐいである。いかにも社会主義っぽい呼び名だが、こういうところは改革開放後もお国柄が残っている。敷地を囲う回廊の切れ目から、中へと入る。

入口にたどり着いた。駐車車両の主はいったい・・・

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