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それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第4回 上海駅で高速鉄道を待ちながら

(05)真夜中に東京羽田を発ったぼくの乗機は、順風満翼ゴーウエスト、朝方には日没する処の魔都上海に着陸した。上陸後はいたってスムーズに入国をはたし、そのままタクシーに乗り込んで上海駅へと直行。いつだって異星人の気分にさせられる浦東新区の落ち着かない眺めのなか、車は高速道路をすいすいと走行し、見込みどおり小一時間で駅に到着した。さっそく窓口へ出向き、予約番号を伝えて切符四枚を受けとる。
 9月20日(金) G7002号 上海―常州 二等席  (74.5元)
 9月21日(土)  D352号 常州―荊州 二等席 (330.0元)
 9月22日(日) D2224号 荊州―漢口 二等席  (76.0元)
 9月24日(月)  G600号 武漢―上海 二等席 (336.0元)これが、今回の旅の全行程分である。それから別棟の巨大駅舎へと移動し、身分証提示とX線検査を済ませてから意気揚々と入場。エスカレーターを上がって中央通路を進み、所定の待合室にたどり着く。ここまで来れば安心である。売店でペットボトルの清涼飲料を調達し、とりあえず給水。よし、順調順調。

(06)待合室の広大な空間を埋める、これから各地方へと散っていく人の群れは、外見上ずいぶんと様変わりした。老若男女、たいていスマホを覗き込んで静かにベンチに座っている。荷物の分量は格段に減り、カバンはますます上等になり、垢ぬけて逆に隙がない。昔のゆるい雰囲気は、いったいどこへ行ってしまったのか。外地の者に等しく文化的衝撃(カルチャーショック)を与え続けた、あの怒号ともいうべき物凄いボリュームの話し声も、今では仄(ほの)かに懐かしい。むかし敗軍の殿(しんがり)として橋上一騎立ちふさがり、敵を大音声(だいおんじょう)で一喝したというは三国志の英雄、張飛の逸話であるが、よもや全中国人民が彼の末裔(まつえい)ではあるまいなと、以前は疑うほどであった(いささか空想的ではあるが)。逆に、大音声で一喝ってのは作品が煽(あお)りすぎだよね、だって中国人にとっては普通の行動だったでしょ、とクールに断ずる見方もあるだろう(ただし、それも今は昔というべきか)。

(07)改札が始まった。中国では到着見込みの列車ごとに一定時間、自動改札を稼働させ、該当する乗客を一束にしてホームへと送り込んでいく仕組みだ。放送を合図に人民のみなさんが大集合したので一瞬たじろぐが、みな効率的に入場せんと自然に列を成すところは、まさに今世紀初頭に起こった社会的革命の賜物(たまもの)である。もはやこれは、お上(かみ)からの押しつけというよりも、個々の旅客の物質的・精神的余裕を感じとるべきであろう。おかげで、最近は旅行中のストレスもだいぶ軽減された。それはそうと、鉄道駅の自動改札といえば切符挿入が基本であったが、ここではなぜかIC身分証のタッチが求められるという、運用上の変更があった。そうした予期せぬ事態に乗客一同まごついているところ、天下御免の日本国パスポートしか持たぬぼくは、右端に有人改札が開いたのを見逃さず、ススッと移動し、真っ赤な表紙を見せただけで楽々これを通過した。

(08)早(つと)に上海を発した高速鉄道は、左右両岸、万重のビル群のふもとを呵々(かか)と駆けぬける。ゴーゴーウエスト。小籠包(ショーロンポウ)の南翔古鎮、蟹たはむれる陽澄湖、夢の船唄水の蘇州、それから愛と涙の無錫へと、線路はつづく。しだいにぬくぬくした江南の田園が車窓に現れ、各地の都市景観と競演する。ぼくは二等車内にて、ご存じまい泉のヒレカツサンド、昨夕東京で購(あがな)いし折詰の六切れを食す。わが旅のお供は変わりなく美味であった。午前7時54分、耳慣れた自動音声が、「常州、到了(チャンジョウ、ダオロ)」と報(しら)せる。走行距離は165公里(キロメートル)、所要は1時間と6分。いにしえの詩仙詩聖なれば論をまたず、大正年間に訪中せし谷崎・芥川でさえも仰天必至の爆速ぶりである。記念すべき当地初上陸。ぼくは荷物両個(リャンコ)を帯びて、気分よくホームに降り立った。グッドモーニング、常州!

案内表示にしたがい、上階の指定された待合室に進む。
さあ、乗り込もう!
まだ上海駅(向こうに見えるは旧式車両)
途中の昆山南駅。シャープなデザイン、抜ける青空。
シン・中国スケールの車窓風景に、だんだんと目が慣れてくる。

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