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それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第74回 下町の中古物件! パティオ長江局

(74)こんなふうにして、ぼくは一時間あまり、漢口の租界建築を見てまわった。宋慶齢旧居、八七会議旧址、巴公房子(バーゴンファンズ)、俄国(ロシア)領事館旧址、美国(アメリカ)領事館旧址、東方匯理銀行旧址などの威厳ある建物があった。八七会議とは、1927年、第一次国共合作失敗の折に緊急開催された、中国共産党・中央委員会会議である。党設立者の一人で、初代総書記だった陳独秀が解任され、新指導部が発足した。毛沢東が「槍桿子里面出政権(鉄砲から政権が生まれる)」と発言し、武装反抗を訴えたのはこの会議である。巴公房子は赤レンガの四階建て公寓(アパート)。丸みを帯びたフォルムで鋭角の三角地帯に建つさまは、上海・淮海路(ホワイハイルー)に建つ「写真映えスポット」武康大楼(ウーカンダーロウ)を彷彿とさせる(あちらは八階建てなのでサイズでは比べようもないが)。ただし、現在は修繕中。武康大楼のほうは、たしか一階に洒落たパン屋が入居していて、じつに良い雰囲気だったが、此処(ここ)はどのように改装されるのだろう。

(75)さて、洋館めぐりで最も印象深かったのは、珞珈山路(ルオジアシャンルー)の長江局(1927年)とその周辺である。ぼくは旅行前、地図アプリでこの建物の画像を見つけ、租界建築めぐりのコースに組み込んだ。数ある魅力的な旧跡のなかで、なぜかこの三階建ての古ぼけたレンガ建築が気になったのだ。蘭陵路(ランリンルー)と黎黄陂路(リーホワンピールー)に挟まれた珞珈山路は、約150米(メートル)のごく短い通りである。大型建築が稀で、雰囲気の良い街路が続いている。平板電脳(タブレットパソコン)で地図を確認しながら、心躍らせて足を踏み入れた。道路幅はおよそ10米。三階建てに統一されたレンガの建物がならび、空調の室外機や洗濯物、折り畳まれたパラソルが目につく。いや、広げたパラソルの下で食事しているおっさんもいる。これは開業前に腹ごしらえしている創作中華店の主のようだ。さて、中程まで歩いていくと、全体像がつかめてきた。そこはパティオ風の広場を持った、レンガ建築の集合地だったのだ。二十世紀初頭の中庭付き長屋といったところか。中でもとりわけ古ぼけた建物が、中共中央長江局旧址である──何やらおっそろしい名前がついているが、壁にそんな掲示が嵌(は)め込まれてあるだけで、とくに目立った解説や展示はない──。ひとことで説明すると、ここはかつて中国南部の党指導と工作を統括した機関であった。1937年設立。いまは広場の一隅に洞庭社区党員群集服務中心という、つまり当該社区(コミュニティ)における共産党の出先窓口があるだけだ。ともかく、古びたレンガの洋館に四方を囲まれたその中庭は、一般歩行者にも開放されており、ただし車両は通行できず、地元民の息づかいが立ちこめる「ほのぼの空間」となっている。頭上では、住宅の高さをゆうに超える樹木が、鬱蒼とした森を形成し、もはや緑豊かな都市公園の様相である。涼しそうな木陰では、住人と思しきご老女たちが運動系遊具でエクササイズに打ち込んでいたり、マルコメ風の赤ん坊をあやしていたり、あるいはベンチで談笑していたりする。考えてみると、不思議な広場である。静けさと賑わい、光と陰、老いと若さ、政治性と商業性、そして西洋と中華。とかく対比されがち(対立しがち)な競合モードが、ここでは何のわだかまりもなく、また遠慮もなく共存している。

(76)凡人の発想で述べさせてもらえば、生命保険や紅茶のCMが撮れそうな好ロケーションである。ぼくは、この美しい中庭をゆっくりと一周して、最高の森林浴をさせてもらった。中央の広い植え込みには、敬老にちなんだ標語を示す看板がいくつか立っている。たとえば、「老少同楽」「莫道桑楡晩、人間重晩晴(日没と言うなかれ、人生には夕方の輝きがある)」「尊老」「父母老了、常回家看看(父母が老いたら頻繁に会いに帰ろう)」と。あとで調べると、莫道云々とは中唐の劉禹錫の詩「酬楽天咏老見示」からの引用のようだ。なかなか典故が利いてるなと感心していたら、この一節は近年、習近平の講話でも取り上げられたらしい。なるほど古典の出汁を使っているようで、どっこい共産党の味わいがちゃんと染みているのだ──講話と看板がどちらが先か、あるいは頻繁に引用される詩句なのかは知らぬが、場所柄そんな忖度(そんたく)もあろうかと推量したのである──。さてさて。中庭をひと回り観察して思うのは、ここでは人と植物と建物とがともに寄り添って生き、現在進行形で老いているということだ。みな等しく刻まれた、年輪や皺(しわ)や傷を持って。けれども見方によっては、毎日、これでもかこれでもかと生まれ変わっている。お婆ちゃんたちは朝日を浴びて、飯を食らい、日陰に腰かけ、おしゃべりをして、お茶を飲み、昼寝をして、またおしゃべりをする。赤ん坊をあやしたり、身体を動かしたり、新聞を読んだりして、家族のことを思い、日暮れどきに家に帰るのだろう。そうしてみんな今日を生きている。政治的な縛りが日常に組み込まれ、よそ者には見えにくい厄介ごとやしがらみもあるだろう。だが一方で、地域社会とかコミュニティーとかいう言葉がかしこまった造語に思えるくらい、彼女たちは日々自然とその中にいる。そのような気がした。

  園庭 依然として旧時に同じ
  小径回りて 少時立つ
  緑深く 樹密にして 老幼憩う処
  清陰自ずから涼有り 是れ風ならず
  *原詩「夏夜追涼」 夜熱依然午熱同 開門小立月明中 竹深樹密蟲鳴處 時有微涼不足風

南宋の楊万里(1127─1206)の詩。微(かす)かな涼を感じたのは、風が吹いたからではない。きっと、中庭空間がたたえる清涼感のせいだ。

(77)長江局旧址の一隅にある中共窓口には、紅い横断幕が掛かっている。曰(いわ)く「改革開放不忘固国防、科学発展不忘興武装」と。こんな物騒なスローガンを見上げながら、住民たちは日々粛々と、したたかに長屋暮らしを営んでいる。上に政策あれば下に対策あり、とでもいうように。周囲には、他に四川料理店やイタリアン、理髪店、台湾系ティーハウス、マカロンが売りの洋菓子店、それに雰囲気の良い珈琲館(コーヒーハウス)などが発見できたが、まだ大部分が開店前。糯米包(ヌオミーバオ=もち米のおにぎり)と油条(ヨウティアオ=揚げパン)の店だけが、朝から絶賛営業中であった。

沿江大道に面した宋慶齢旧居記念館。とても落ち着かぬ立地に思えるが…
ロシア系茶商(皇帝の親戚筋)の旧居、巴公房子(左)。
八七会議旧址(題字は鄧小平)。党史文物の展覧会などが開かれるようだ。
巴公房子の裏手(鄱陽路と蘭陵路の交差点)。こちらも重みのある雰囲気。
珞珈山路に入る。洋館に挟まれつつ、開放的な中庭エリアへと進む。
中庭の奥(東側)にひっそりと「武漢市文物保護単位」の掲示が。
北東方向から中庭を写す。人口密度が低く、比較的静かなエリア。
中庭は「珞園」と称され立派な門(!?)まで設置されていた。
高齢居住者が過半と思われるが作業員など若者も数多く通行、終始賑やか。

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