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それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第75回 こちら武漢大学凌波門前プール

(78)沿江大道(イエンジアンダーダオ)でタクシーを停め、「武漢大学(ウーハンダーシュエ)・・・・・・凌波門付近的那个(リンポーメンフージンドナーゴ)・・・・・・遊泳池(ヨウヨンチー)」と告げた。すると運転手は、それきた任せろとばかりご機嫌なようすでクルマを発車させる。アレだろ、写真を撮るんだろ。そして回答も待たず破顔一笑、シャッターを押すジェスチャー。お見通しなのだ。じつは、昨日訪れた東湖の湖畔に武漢大学の校園(キャンパス)が広がっているのだが、その東北の門外に、凌波門遊泳池というプールがある。そこへ行こうというのである。といって、泳ぐわけではない。とびきりの絶景を撮ろうというのである。其処(そこ)では湖畔から湖の中へと突堤(とってい)状の散策路が伸びていて、学生や市民が自由に湖上を歩けるようになっているのだ。地図アプリにも名所マークが付き、超高評価の口コミが並ぶ。その矩形(くけい)のゾーンは「遊泳池」と称され、投稿写真によれば、たしかに夏場は人が泳いでいる。先にご案内したさだまさしの著書『長江・夢紀行』(1981年)にも、完全に同一地点かは分からぬが、鬱蒼とした緑地をバックに桟橋付近で泳ぐ人々の写真がある。今から四十年ほど前のことだ。地元民に知られた、そんな人気行楽スポットへGO!

(79)今日も快晴、絶好の撮影日和である。目的地に到着し、直ちに下車してみれば、それはもう噂にたがわぬ大パノラマだった。午前の陽光が均(ひと)しく湖面を照らし、東湖はクソ真面目に上空の世界を映していた。あたかも、光という光がこの聖地の引力に抗えずにこぞって参集し、いつまでも湖上を大循環しているような印象を受けた。そして、前方数公里(キロ)先には、対岸の園林と高層建築が杳然(ようぜん)として青い影を見せ、なにやら絵画的・幻想的である。反対にぼくの立っている湖畔付近では、間断なくさざ波が立っている。このせわしない湖面の動きが、周囲の人々やクルマや風になびく植物とともに、こちら側の「身の丈的」小景を形づくっている。併(しか)し、これを俯瞰してみれば、かように一種の連動とまとまりを持った近場の小景の存在こそが、はるか遠くの湖面の神々しい景観をぼくから遠ざけ、いっそう特別なものに見せているともいえる。どこか実像として受けとめるのが畏れ多いほど、雄大で神秘的な風景である。かつて二度訪れた杭州の西湖よりも、ぼくはこの東湖が気に入った。やあ、最高の場所じゃないか。

(80)先ほど遊泳池の概要について説明したが、なるほど実際に来てみると、釣り客のための桟橋のようにも見える歩行路が、岸辺から見て縦50米(メートル)ほど、横幅150米弱と広範囲にめぐらせてある。突端の広いスペースには先客がいて、中年のサングラス男がなぜか一人で座っていた(彼も遥か彼方の湖面に目を当てているようだった)。それと若い女性二人が、この絶景を利用して撮影に興じている。モデル役の子が一人、スタスタと湖上を歩いていったかと思うと、しだいに小さくなって、そのうち自由にポーズを取りだした。狭い歩行路に腰かけて、脚をぶらぶらさせてみたり、こちら向きで髪をかき上げたり、思わせぶりなポージングが止まらない。体育座りになって、対岸に向け一眼レフを覗いたりもする。ルンルン気分で絶景を撮っているアタシ、の写真を要求しているのだろう(女優やTVタレントの「一人旅」レポートでは定番のショットである)。カメラマン役の子は岸から動かず、少し右に移動してよとか、もう一枚撮るからね、などと身ぶり手ぶりで合図する。これはお互い慣れてる感じだな。ぼくは彼女たちの邪魔にならぬよう別のコースを選んで、湖の上を歩いた。さっきから桟橋・突堤と書いているが、ここは船着き場でもないし堤防の用もなさない、ただの湖上の歩行路である。湖面からの高さはおよそ1米半。道幅は1、2米の個所もあるが、わずか五十厘米(センチ)ばかりの部分もある。重いカバンを肩に掛けたぼくは、危険を避けて安全な場所を歩いた(風にあおられてよろめき、ドボンしたらシャレにならない)。と、そのうち訪問者がわんさか増えてきて、あたりはどっと賑やかになった。家族連れもいれば、やはりおっさん一人が散歩に来ているケースもある(まあ、かくいうぼくも同類なのだが)。彼らの服装は、赤、青、オレンジ、黄色、水色、ピンクと、昔のレナウンのCMみたいに色とりどりだ。さあ、最高の日光浴ができたことだし、写真も撮れたし、そろそろ出発しよう。すっかり満足したぼくは、岸へ上がって東湖と別れ、武漢大学凌波門をくぐった。

  武漢東湖に何かある 遊泳池あり 歩行路あり
  美女至る 緑の黒髪柳腰
  顔は桃夭(とうよう)の如し 装腔作勢(ポージング)やまず
  武漢東湖に何か有る 遊泳池あり 晒台(テラス)あり
  大叔(おっさん)至る 黒シャツ短パン太陽鏡(サングラス)
  雄気堂堂たり それ老板(ラオバン)の甲羅干しなるかな   

  *原詩「終南」
  終南何有 有条有梅 君子至止 錦衣狐裘 顔如渥丹 其君也哉
  終南何有 有紀有堂 君子至止 黻衣繍裳 佩玉将将 寿考不忘

『詩経』秦風より。老板はわりと知られた中国語単語だが、店主・社長・ボスの意。

沿江大道の旧匯豊銀行大楼(中国HSBC銀行)、現中国光大銀行。
租界建築に別れを告げる(沿江大道)。左=旧米国領事館、右=旧東方匯理銀行。
遊泳池に到着。絶好の撮影日和、そして突端におじさんがいるのみ。
ご丁寧に「凌波門游泳池」なんて石碑も設えられている。
ぼくとほぼ同時にやってきた二人組は、さっそく撮影に集中。
おじさんは他人に目もくれず、ずっと湖を眺めていた。
平日とはいえこれからの時間、撮影ラッシュになりそうだ。
湖上の歩行路から東湖南路、武漢大学側を写したところ(左に凌波門)。


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