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それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第77回 楚姫に交じりて和食を摂りつつ

(86)さて、そろそろ昼食タイム。候補は二軒ある。一つは評判の良い手ごろな韓国料理店。そしてもう一つが、昨晩からアタックを試みてきた和食店、小川料理の武漢大学店である──此方(こちら)も大衆点評(ダージョンディエンピン)で1万を超える口コミが寄せられている人気店だ──。が、昨日からの流れではぜひとも小川料理に入りたい。ランチタイムの開店時間は11時半。あと10分後である。理想的な進行だ。おおよそ五百米(メートル)先の目的地へ、ぼくは迷わず歩き出した。

(87)11時28分、開店直前に和食店「小川料理」に到着。日本髪の美人がニコリと微笑む、旧時の白玉ホワイトワインの広告に出迎えられる。隣には雑誌『少女の友』の表紙が掛かる(竹久夢二の絵だ)。階段をのぼると、すでに20人余りの若者が開店を待っていた。予想どおり、すごい人気だ。入口の脇には、キリンラガーの大判ポスターが一枚。満開の桜を背景に、菅原文太がとびきりの笑顔でジョッキを掲げている。やんちゃな昭和一ケタ男が、平成の世で美味そうにビールを飲んでいる。そんな豪快一辺倒な絵面(えづら)の広告が、いま海を越えて、令和の武漢人に引き取られているのが妙に面白い。よもや中国の学生たちが映画「トラック野郎」にハマるとも思えないが、第三者のぼくから眺めると、彼ら彼女らと菅原文太御大が並んだ目の前の光景こそ、まさに何でもありの、新世紀中国らしい取り合わせだなあと感じ入ってしまう。さて、到着からほどなくして開店、順番に呼ばれる。昨夕から入店を試みて、ついに本懐を遂(と)げることができた。見ていると、二人客と一人客女性が半々くらい。男性客はぼくを含め、五人もいない。完全に少数派だ。店内はというと、日本の飲み屋を忠実に再現した感じ。しかも、手探りで和風アイテムを配置しましたというレベルではなく、かなり芸が細かい。天井からは提灯型の間接照明がこれでもかとぶら下がり、柱にはそこかしこに千社札風のシールが貼られていた。満員御礼・出世開運・千客萬来・朝市・七転八起など、ほっとけない日本語が堂々と各所に踊る。さらに、錦絵風の天狗や富士山、大漁旗が壁に掛かり、達磨に招き猫もいる。これはただならぬ本気度が伝わる。愚直なこだわりによって細部が構築されているのは、とりもなおさず武漢人消費者の側、とくに此処(ここ)の客層である20代女性たちに、隣国日本に対するピュアな本物志向が芽生えているからだと推測してみる。一人客のおとなしめな女の子たちが、昼間から居酒屋のカウンターに横一線に並び、一心にスマホを覗き込んでいる。そんな不思議な光景のなか、ぼくも案内されてカウンターの端に座った。なるほど、彼女たちは店の運営ルールに沿って、さっそく料理を注文しにかかっているのだ。誰も手を挙げて店員を呼んだりしない。頭(こうべ)を垂(た)れて黙々、スマホと対話している。そういえば、背後の卓子(テーブル)席から漏れ聞こえる談笑も声が小さく、ぼくの知っている中国とはとても思えない。まるで大国から切り離された新生独立国家のようだ。いや、この風景こそが、現代中国のなかの、すぐれて日本化してしまった一小景なのかもしれない。

(88)いよいよ菜単(メニュー)を見るとしよう。だけど、ぼくにはスマホがない。服務員に聴かせる湖北方言もない。そう、空回りしている場合じゃない。仕方なく独(ひと)り菜単と手書きの注文票を取り寄せて、しばしこれと睨(にら)めっこする。一応、店内の撮影許可をもらう。最近は自撮りが当たり前になり、大目に見てくれる場合がほとんどだが、念のため。菜単は和紙製の横長、紐綴(ひもと)じで、古いお蕎麦屋風。飲み物、前菜、焼き物、揚げ物、サラダ、刺身、主食、手握(にぎり)寿司、アメリカ寿司、和菓子とジャンル分けされ、全百種類近い品を揃える。ちなみに啤酒(ビール)は麒麟(キリン)と朝日(アサヒ)で、三得利(サントリー)の角瓶晦棒(ハイボール)まで揃えてある。菜単の中程には料理名のほかに、なかなか遊び心ある文言が並んでいた。ご紹介しよう(原文ママ)。

  二日酔いって響きはいい!! 宿醉這個詞聴起来真響亮!!
  乾杯の挨拶は短めに!! 干杯前的到詞都要簡短俐落!!
  お前が注文すると全部揚げ物だな!! 你毎次都浄點些炸物!!
  隣のテーブルの合コンが気になる!! 對隔壁卓的聯誼充満了好奇!!
  チェイサーの意味が最近分かった!! 最近終于知道chase是什麼意思!!
  お通しが最後に出てきた!! 前菜總是最後才送来!!
  おつまみ好きに悪い人はいない!! 喜歡下酒菜的人都不是壊人!!
  飲むか飲まれるか、 是喝到爽還是喝到挂?
  勝負の夜が今日も始まる!! 一决勝負的夜晩今天也即將展開!!

右のように日本語と中国語が併記されていて(しかも漢字はなぜか繁体字)、待ち時間のいじりネタとしては最高だ。さて、先客の料理が、幾つかカウンターにならび始めた。ステーキが2、3皿見えた。昼前から和食居酒屋でステーキを食う武漢の女子たち。第三者的にはツッコミを入れたくなるところなのだが、今はそれどころではない。腹ペコなぼくはこれが看板メニューだろうと確信し、迷わず第一品にチョイスした。「鉄板一口牛肉」38元。あとは主食が決まればオーケーだ。炙(あぶ)り海鮮丼もいいし、カレーうどんもいい。「超級鰻魚牛油果巻=スーパー鰻のアボカド巻き」48元や「爆爆頭軍艦=モチャモチャ軍艦巻盛合」38元も気になる。が、ぼくは迷ったあげくに豚骨拉麺(ラーメン)28元を頼んだ。現地化された日本式拉麺の味に興味があったのと、これなら野菜も一緒に摂(と)れるなあという、ごく平凡な理由でだ。

(89)カウンターの向こうの兄ちゃんたちは、みな黒Tシャツに黒キャップ姿。淡々黙々と調理中。ホールでは同じTシャツの男女が動き回り、オペレーションに滞(とどこお)りや粗さは見られない。キッチンと客席のあいだで会話が少ないようにも感じるが、このへんは自然な時代の流れとも受け取れるし、おとなしく機器操作に長けた若者どうしが、未来を見据えて理想的な妥協点を見いだしているようにも見える。ふと思い出したのは、20年くらい前の外食風景である。たまたま入った公営食堂では、服務員の女性たちは客をドヤしたてながら食券を売り、一方仲間内では超ゴキゲンにおしゃべりしていた。また食事時間になると、彼女らは丼と箸を持って営業中の客席をぶらぶらし始め、人によっては客のそばで、立って丼をかき込んでいた。そんな牧歌的すぎる光景が、中国の街ナカにはふんだんにあった。当時は、出た出た、トンデモ中国の衝撃ネタ、としか捉えられなかったが、今となっては完全に良き思い出である。ただ、あの頃のおばちゃんたちの生活ぶりや理想がどんなものだったのかということについては、学生当時のぼくも現在のぼくも、まったく想像がおよばない。率直にいうと、どこか別の惑星を旅しているような気がしたものだ。それを考えれば、目の前の子たちが日々どんなことを希求して生きているのかは、よくよく観察したり他人の見解を集めてたどっていけば、どうにか理解に近づけそうだなと楽観できる。それはもちろん、ぼく自身が歳を取ったせいもあるだろうけど、他方で日本と中国がいまだ多少のズレを抱えながらも、個人レベルでは意外と似かよった話題・関心を持ち、同じような生活環境に囲まれている、そんな実感が芽生えてきたからかも知れない──これは如何(いか)なる先人も立ち会えなかった、ひそやかに祝福すべき「歴史的快挙」だと思う──。ぼくがいま見ている従業員や客は、まだ社会主義的だったあの服務員たちの子や孫の世代だ。中国は変わったと、こんなところでも思う。でも他方では、各時代・各世代における社会の風潮や庶民の熱量の振りむけ方がこんなあからさまに異なると、異邦人としても途方に暮れてしまう。率直に言って、とても同じ国とは思えないのだ。やはり同時代を生きていても、各世代の頭の中や人生観はまるで違うのだろうなという、ごく当たり前の気づきも頭をもたげる。道路や建物が刷新され、自動車やスマホやSNSが普及しても、個人の記憶に刻まれた歴史は入れ替え可能ではない。だから、多種多様な人々の心を推し量るのは本当に難しいのだ。ところで、小川料理の従業員たちのシャツの背中には、筆文字で勇ましい日本語フレーズが書かれてあった。曰(いわ)く、「先んずれば夢を制す」と。嗚呼(ああ)、先んずれば夢を制す、か。背中の文字が目に入るたび、ぼくは胸の中でこれをなぞり呟いた。そして読めば読むほど、武漢の若い彼らにこそふさわしい言葉だよなと、そう思った。

(90)さあ、お待ちかねの鉄板一口牛肉がやってきた。2019年の武漢にて、サイコロステーキをにんにく醤油でいただく。パセリとミニトマト、にんにくのスライス3枚が添えてある。これがアタリだった。ご飯も啤酒もなしに、肉を口へと放り込む。醤油、にんにく、牛肉。中国であまり出会わない物たちが奇跡のコラボを果たし、新ユニットを形成している、そんな清新な印象を受けた。一方で、そうはいっても食べ慣れた味なので、単純に「おいしいおいしい」とパクパク食べる。未知と既知、相反する性格の情報が、アタマの中で錯綜する。そう、そもそもぼくは中国駐在経験もないし、日本人が集まるような飲食店にも入ったことがない──せいぜい地元客でにぎわう吉野家、食其家(すき家)、味千拉面を数回利用したことがある程度だ──。旅先でぼくは、現地の外食風景を観察し、実体験したいという子供みたいな好奇心で食事している。それでやっと最近、自分のなかで和食店がヒットするようになった。手ごろな値段、豊富なメニュー、高い評価、良き立地、店内と料理の見映え、と条件がそろってきたのだ。そして、おそらくは同様の情報をもとにやってくる、中国の若者たちがいる。彼らの流行に乗っかって、今後は行く先々で和食店を訪ね歩いてみたいとも思う。ややあって、豚骨拉麺が着丼。具はほうれん草、ネギ、半熟玉子、コーン、わかめ、薄い焼き豚の薄いの2枚が入り、麺はたいへんソフトな細麺である。味はだいたい予想どおり。塗り箸でそうめんを食べているような感覚になるが、中国らしい薄口で食べやすいのはたしかである。和食でも洋食でも中華でもない、だから(もちろん経験はないが)宇宙食を食べているような感覚になる。ラーメン好きの日本人には物足りない味に違いないが、言いかえればシンプルなラーメンの味にこそ、日中間の味覚の違いが如実に出てくる。こういう中国向けに進化した「逆輸入」ラーメンが、よもや日本へ「再輸出」されるとは思えない。だけど、ひょっとしたら遠い将来、日本人が既存のラーメンに飽きたころ、ちょうどこんなあっさりメニューが日本人の舌と胃袋を捉えるかもしれない。まるで日本人向きじゃなさそうだと思っていた伊斯蘭(イスラム)風牛肉面(ニウロウミエン)だって、近頃小さなブームを生んでいるくらいなのだから──ただ香菜(シアンツァイ)嫌いのぼくは苦手です──。ともかく、牛排と豚骨拉麺。もう金輪際ないだろうという組み合わせで、ぼくは武漢の食事を締めくくった。

(91)いささか一方通行なプチ交流もあった。隣席のポニーテールの女の子が、ステーキと三文魚(サーモン)の刺身を前にしてぎこちない様子。ひとしきり料理写真を撮ってから、手許(てもと)のワサビと醤油差しに向けて交互に視線を送っていたのだ。きっと食べ方を知らないんだな。じれったいあなあ。ぼくは多少音を立てながらズイズイ中国式拉麺を啜(すす)っていたが、その手を止めて、彼女のために刺身の食べ方を簡単にレクチャーしてあげた。エイ你好(ニーハオ)、君この店は初めてなの? 刺身も初めてか。フーン、それじゃ説明しよう。これワサビと日本醤油ね。皿のここにワサビをちょこっとつけてさ、醤油を注いで混ぜてから、それから、こう食べるんだ。これが日本式だよ。美味いからやってみて。分かった? あとはご随意にね、じゃどうぞどうぞ、と。相手の箸や皿に触るのもなんだから、いちいち身ぶり手ぶりで大げさに解説を試みた。昔の食堂なら荒っぽく大声で話すところだったが、現況を考えてできるだけ端的に解説してみたつもりだ。その子はひどく不思議そうな表情でぼくの話を聞いていた。日本から来たんだけど、とぼくが明かすとさらに驚いて、口を開けたまんまになった。そして数秒考え込んでから、やっとぼくの説明どおりにワサビを溶いて、ぎこちなく三文魚を口に運んだ。彼女は、ウンウンと刺身を味わいながら、やおら親指を突き立ててぼくに合図した。そうか、美味(うま)いか。よしよし。まだ日本に来たことはないという。ぼくは京都だとか大阪だとか北海道といった地名を挙げて、日本観光を熱烈に推しておいた。そうだ東京も悪くないよ、と最後に付け加えた。彼女はやっぱり不思議そうに聞いていた。ぼくのほうが先に食べ終わり、会計を済ませて外に出た(66元)。なんだか本国のぼくまで疑似「知日」体験をしたような、そんな宙に浮いた感覚で武昌の街に舞い戻った。

  朝(あした)に洋書を読み 昼に和食を試す
  吧台(カウンター)の諸客 各おの相見ゆ 扶桑の菜
  楚姫 未(いま)だ解せず 芥末(わさび)を添えるを
  也(ま)た醤油に溶いて生魚片(さしみ)を食すを知る
  *原詩「四時田園雑興 夏日 其七」 昼出耘田夜績麻 村荘児女各当家 童孫未解供耕織 也傍桑陰学種瓜

これは店内の諸客、みんな武漢大学の女子学生という設定で。原詩は、先に紹介した『呉船録』の著者である南宋の范成大(1126─1193)の作。

大正ロマン風味の入口階段風景。そして待ち客が溢れている。が…
菅原文太の迫力とインパクトには何も及ばず。一枚でガラッと印象を変える。
ぶらっと古い蕎麦屋に入ってきたような感覚。作者のセンスよ!
主食・焼き物・寿司などのメニュー。つい現地独自メニューにも惹かれる!
その他メニュー。当時は1元約16円、現在は20円。懐に優しい時期だった。
やはり一升瓶の視覚効果は大きい!? コロナ禍前のマスク着用もポイント。
鉄板一口牛肉(38元)と豚骨拉麺(28元)
二階店舗とはいえ(楚河漢街店と比べ)簡素すぎる入口。

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