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それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第76回 秋の武漢大学散策記

(81)校園(キャンパス)は山あり谷ありの大公園だった。

(82)沿道の樹々は、高さ10米(メートル)から20米とみごとな茂りっぷりで、南国風のワイルドな密林を構成している。制限速度30公里(キロ)の二車線道路には、マイクロバスやタクシー、バイク、それに各種運搬車両が走り回っている。そんな中を、やけに賢そうな男の子、女の子たちが主にリュック姿で闊歩している。気のせいか、上海の名門大学とくらべて物静かで落ち着きはらった子が多い印象。女子の日傘使用率は7、8割ほどと高く、中には相合い傘も見受けられる。ぼくはこれから、北東の凌波門(リンポーメン)から南西の正門まで、大学をつらぬく約2公里の道のりを歩く。

(83)そもそも武漢大学は、中国における国家重点大学の一つ。早い話が超名門である。略称は武大(ウーダー)という(たとえば昨年日本でも翻訳・刊行された『武漢日記』の著者は、武大卒業、地元テレビ局勤務、のち作家という経歴だ)。春は桜の名所として名高く、構内の珞珈山(ルオジアシャン)には、今回はパスするが周恩来・郁達夫(いくたっぷ)・郭沫若・蒋介石らの旧宅が残されている。そんなところから、中国の旅行サイトでも軒並み、人気上位の散策スポットに挙げられている。広大な敷地には、教職員と学生の居住区域も含まれる。ぼくは、セキュリティーゲートのある住居棟とか、売店や食堂とか、あと用途の分からぬ、様々な建造物を通り過ぎていった。視線を上げると、建物の入口、林道の途中、いたるところに監視カメラが設置されている。すれ違うのは学生だけではない。そこかしこに、高齢者集団や、赤ん坊を抱いた母親が歩いており、そうしてアップダウンのある森林の中を歩いていると、ここが大学構内だという意識が薄れていく。これまでにも、上海交通大学、復旦大学、南開大学など中国の大学校園(キャンパス)を幾つか散策したことがあるが、いずれも平面的なロケーションだった。今日はまるでハイキング気分だ。さて、途中でうっかり道を間違えたりもして、およそ20分かけて、中間地点の運動場に到着。なんと当校園内には、足球(サッカー)場陸上競技場が五カ所もあるのだが、その中の一つである。トラック外では籃球(バスケ)の授業が行われていた。ぼくが立っているのは、競技場の北端である。対面(といめん)の南端には、行政楼の名を持つ、武大のシンボルともいえる建物が鎮座している──1936年落成、美国(アメリカ)人設計──。坐南朝北の五階建てで、上部は青緑の瑠璃瓦を特徴とする方形屋根を戴(いただ)く。屋根は二重でひさしが長く、すぐ下にはバルコニーがついている──余談だが、ひょっとして来賓の指導者が此処(ここ)から訓辞を垂れたりするのだろうかと考えていたら、実際1958年9月12日に毛沢東が当地を訪問したことを記念して「九一二操場(グラウンド)」と呼ばれていることを帰国後に知った──。しかも、いま正面からこれを眺めると、地上とすり鉢(ばち)競技場の高低差をつなぐ折り返し階段が、ちょうど行政楼の真下に厳粛な前景をなしている。その高さ7、8米はあろうか。階段はしゃれた欄干付きで、茶系色の石垣に依(よ)って設(しつら)えてある。よって、行政楼はあたかも、その石垣と階段を下部構造として競技場の芝の上に建つ、一座の城郭のように視認される。背景は珞珈山だ。すこぶる野趣に富む山城である。ところで、この競技場に接する櫻花大道(インホワダーダオ)こそ、千本の桜並木で知られる武大の名所である。もとは1930年代に日本軍が慰安目的で持ち込んだのが始まりで、のちに72年の国交正常化を記念して日本側が贈ったという。いまの季節は葉が生い茂るだけであるが、構内中央に位置し、しかも平坦なためか、関係者の散策路として賑わっている。聞くところによると、開花シーズンは混雑をきわめ、最近では専用ゲートを設けるほか、ネット予約や顔認証システムまで導入して花見客の数を抑制しているという。いやはや、なんという情報化ぶりだ。あまりにも日差しが強いので、ぼくは道を外れ、運動場の周りの木陰を歩いた。小径(こみち)を進んでゆくと、前方に一人の女子学生が本を広げ、しきりに何か喋りながら同じ場所を行ったり来たりしていた。熱心に英語の練習をしていたのだ。邪魔にならぬよう、離れた所をそっと通過する。

(84)10時35分、ようやく行政楼前を通過。校園内の道には名前がついている。入構してから、ぼくは凌波路(リンポールー)・湖濱路(フービンルー)を歩き、櫻花大道をちょっと覗いて、それから人文路(レンウェンルー)を南下してきた。ここからは緩やかな勾配(こうばい)の自強大道(ズーチアンダーダオ)を1公里ほど歩いて正門に到る。途中、難破船が地面が突き刺さったような形の芸術博物館の横を通り過ぎ、あるいは池の噴水をぼんやり眺めたりして歩いた。ここでも、籃球の授業風景に出会った。運動系のファッションに身を包んだ籃球好きと、ジーンズを穿いた普段着の子が混在している。中央コートでは、女子が縦一列になってフリースローの練習をしているが、湖北の秀才たち、これがまったく入らない。むやみに身体が突っ込むなど、まずフォームがなってない。武漢大学なんて名前は強そうだが、少林サッカーのようにはいかないものかなあ。じれったくなった頃、9人目でやっと決まった。跳ねて喜んでいる。その後も、平凡なシュートがとんでもない放物線を描きつづける。やれやれ。木陰で小休憩していたぼくは、フリースロー成功一本を見届けて、また歩き始めた。それにしても、運動施設が充実していて羨ましいかぎりである──高徳(ガオドー)地図では、校園内に籃球場がなんと40面ほど確認できた──。午前11時、正門到着。花壇の花々と、来賓歓迎的なカラフルな旗が出迎えてくれた。ここには表玄関らしく、「國立武漢大学」と書かれた牌坊が建っている。石造りだが、比較的新しいものである。裏側には「文法理工農醫」と六学門を表す文字が篆書(てんしょ)体で彫り込まれている。書体が旧(ふる)すぎて、まるで紀元前の戦国時代の趣だ。名門大の正門らしく、団体観光客がしきりに写真を撮っている。ちなみに、正門を出て一公里先の地点にはもうひとつ、武大の牌坊が建っている。じつはそちらのほうが旧式で、古めかしい石門が商店街のアーチゲートのごとく、場違いに現れる図も見たかったのだが、やはり時間都合でパスする。東京でいうならば、あたかも本郷三丁目駅前に、東大赤門のコピーが突如出現するようなものである。ちょっと面白いでしょ?

(85)武漢大学の見学を済ませたぼくは、次なる目的地、校園からほど近い一軒の古本屋に入った。集成古旧書社(ジーチョングージウシューショー)は大通りの一本裏に位置する雑居ビルの一階である。店先には、岩と苔(こけ)と草木の詰まったプランターがドサッと置かれていた。店名はなぜか簡体字・繁体字併記で印刷され、やけに存在を主張してくる。そんな良い意味で周囲から浮いた、独特の雰囲気を平然と纏(まと)っているところは、日本の昔ながらの古本屋とどこか通じるものがある。丁度ご主人が、モップで玄関を掃除しているところだった。軽く挨拶して入店、真っ赤な提灯をくぐる。内部は奥行きがあり、おしゃれとは無縁な書棚が真っすぐ並んでいる(一部は手作りのようだ)。蔵書は古典や学習参考書、とくに国家ないし各省の公務員試験対策本が多く、ぼくの目当ての写真誌や観光ガイドは発見できず。じつは前年は上海の古書店を訪れていて、そこは大変古びてはいたが、映画ロケ地になりそうな奇跡のアンティーク物件であった。そのうえ、分類がゆるいためか興味ぶかい雑本にあふれ、つい長居をしてしまったのだけれど、ここは実用書とお堅い文学の両極に振れて、遊び感覚のひやかし客ではどうにも太刀打ちできない。明代の文人・唐伯虎の作品集には一瞬惹かれたが、どうせ読めやしないので棚にもどす。滞在時間は十分弱、通路を一巡したところで店を出た。ぼくが店内でどの本よりも気になったのは、伝統的な文様がこれでもかと彫刻された、店主用の木製椅子だった。よく江南の富豪の屋敷に置いてあるような、重厚なやつである。あれはいったい幾らするんだろうか。ご主人に訊いておけばよかった。

東湖南路に面した武漢大学・凌波門。いよいよキャンパス内ハイキングへ。
学生寮の一つ。ゲートが設置され、セキュリティーは万全!?
凌波門付近の食堂と、校内バスを待つ学生たち。
散策途中に横断した櫻花大道。いつか満開の季節に訪れたい。
「九一二運動場」越しに望む行政楼。かなり見映えが意識されている!?
男子学生のバスケ風景。後ろのコートが件のフリースロー大会。
受験生必見! 武漢大学メインキャンパスの正門。建国70周年の飾り付き。
なかなか渋い構えの古書店、外観と店内。他に来客はなかった…

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