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それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第78回 山の上のコンテナハウス

(92)さあ、最後の目的地だ。大通りでタクシーを拾い、長春観をめざす。其処(そこ)は元代創建の道観で、道教界では湖北における聖地の一つとされる。長春とは、当地にゆかりある人物の号である。明の様式を模して、清代に再建された。唐の李白も「黄鵠山を望む」で此(こ)の地を「中峰紅月に倚(よ)る」と詠んでいる。12時32分到着。

(93)かなり古めかしい紅壁(あかかべ)が敷地を取り巻いていて、現代的な周辺環境のなか異様な光景である。これだと「城内」はよほどワイルドな史跡迷宮となっているだろうと期待するが、10元を払って中にはいると、意外とキレイめの伽藍(がらん)がどれも美術品のごとく澄まして建っていた。参観者はまばらである。太清殿、財神殿、蔵経閣、王母殿、七真殿、元辰殿をめぐる。いやはや、個々の殿宇は伝統的かつ個性的な建築様式で、たいへん立派である。惜しむらくは、境内の足元が今日完成したばかりのように舗装・整備されていて(しかも建物のそばまで)、しかも多くの乗用車が厚かましく停車しているので、いまいち歴史散策のノリに入り込めないのだ。ぼくは一つ一つ廟を訪ねながら道教の神さまや聖者に挨拶をし、ひととおりの参観を終えた。ただ少し物足りないので、昨日訪れた蛇山、とくに黄鶴楼の遠景が望めれば最高だなと欲をかき、とても参観路には見えぬ裏山の階段を上がっていった。だんだん工事現場のような様相になってきた。そうして上った先には、瓦礫(がれき)と建材の散乱する平坦な土地が広がり、どういうわけだかニワトリが数羽、よちよち歩いていた。反射的に「なんだこいつら」と思ったが、それはまあ向こうの言い分だろう。つまらないので戻ろうとすると、何処(どこ)かからラジオだかテレビの音声が聞こえてくる。恐る恐る前進してみた。と、高台の一角にコンテナ風の小屋が二つあり、中に寝床が見えた(よい子は真似をしないようにと書いておく)。人がいるような、いないような。よもや長春観の関係者ではあるまい。地方から来た労働者の宿所だろうか。では、この土地はいったい。

(94)確認しておくが、此処(ここ)は湖北省を代表する道観の裏山である。併(しか)しぼくの迷い込んだ場所は、まるで天上界からも下界からも隔絶された、行き場のない空気がただよう、現代の虚無的な空き地だった。テニスコートくらいの面積はあろうか。武漢を離れる前にもう一度黄鶴楼を眺めたいなどと高望みしたあまり、街の雑踏とも厳粛な聖域とも結びつかぬ、妙に殺風景な空間へと足を踏み入れてしまったのだった。とはいえ、5日間めまぐるしく新旧名所を周遊してきたぼくにとって、この同時代の隙間風景にはいささか新鮮味が感じられた。音もなく、美しくもない、時間を無為に過ごすだけの、ただ暑苦しい場所である。しかもあらかた壁に囲まれ、向こうは崖下というロケーションである。行き止まりである。下を覗き込むと、崖の際(きわ)にそって鉄道の線路が伸び(長江大橋へとつづく線路だ)、周囲は高層住宅が幾重にも屹立(きつりつ)していた。武漢市民の生活圏、彼らの住み処(か)、そのありふれた「背面」であった。ついでに反対側もと、つまり見学したばかりの長春観を見下ろす。境内にこんもりと森を形成し、先端部に鮮やかな黄色い花をつけているのは欒木(モクゲンジ)だろうか。上界とも下界とも切り離された場所、忘れられた時間、そして目的を見失った旅行者。ただ、きちんと入場料を払った身分であるし、問題ないさという傲慢さも手伝い、ぼくはこの時空の狭間みたいな「展望台」を借りて、武漢最後の時間を過ごすことにした。まあ慣れてしまえば、なんだかんだ言って悪くない、珍風景の穴場である。ぼくは山上で深呼吸を繰りかえした。周囲には何も起こらない。尾崎放哉の詩じゃないが、咳をしても一人、みたいな心境だ。のんきな見学客も、こうなると内省的になる。この数日間、ずっと進行を気にして旅を急いできたことが、妙におかしく感じられた。思えば、常州でも荊州でもノンストップで、なんだか必死だったなあ。今だって、結局は1公里(キロ)先の黄鶴楼はおろか、広大な敷地をもつはずの蛇山さえ見えなかった。せっかく登ったのに、残念だったなあ。心中で嘆息するたびに独りごとを言いそうになるが、静寂に遠慮して言葉を呑み込む。そうだ、このまま静かに武漢を去ろう。そう思った。もうじゅうぶん歩いたよ。時刻は13時8分。上海虹橋(ホンチアオ)ゆき高速鉄道の発車時刻が、15時00分。そろそろ潮時である。いつかまたこの街で下車して、なんでもない通りをゆっくり歩こうじゃないか。カタコトの中国語で地元の人達をひやかしながら。そして、いまどき珍しい日本の旅行者だなとイジられながら。そんなことを考えて、ぼくは長春観を出た。

(95)4日間過ごした湖北省を離れ、これからいよいよ上海へと戻る。

(96)ぼくは地下鉄を乗り継いで武漢駅に到り、それから定刻出発の高速鉄道で800公里を走った。武漢駅はまるで未来の空港みたいな巨大駅舎──高速鉄道用の站台(ホーム)が20番線まである──で、おおいに圧倒された。其処で欧米旅行客の団体と遭遇したが、とうとう日本人とは上海浦東(プードン)空港まで出会わなかった。上海虹橋(ホンチアオ)駅へ到るまで、車内では気ままに日本語の動画チャンネルを視聴した。お笑い、野球、ニュース、柴犬と赤ちゃん、昆虫マニア、そしてまたお笑いというように。名残惜しい湖北の大地を、車窓から途中途中で見やりはしたが、心のなかではもう帰り支度をはじめていた。

(97)余談だが、帰国してから検索してみると、ぼくが長春観の山上の小屋と書いたのは、得労斯(ドーラオスー)という会社のレンタルコンテナハウスであった。確認したのは2011年の広東省の記事だが、それによると約3米(メートル)×6米×3米のスペースに最大10名が居住可能で、主に工事期間中の臨時宿泊施設として利用されるようだ(敷金別で当時一日6元)。これが回りまわって、はるばる湖北の武漢の小山まで持ってこられたというわけ。知らないビジネスがあるもんだ。ところで、高徳(ガオドー)地図の情報によると、長春観では2020年1月から工事が始まり、暫(しばら)ク営業ヲ停(や)ム、と一時記されていた(現在は開放されている)。となると、裏山のコンテナハウスの主もやはりその仕事に参加していたのだろうか。そして、あの異様な空き地は、もう消えてしまったのだろうか。鉄道の線路、高層アパートメント、そして黄色い花々。あそこで撮った平凡な写真数枚を見るたび、ぼくは武漢を恋しく思う。

一面の紅壁とゴツすぎる門に気分もアガる。たのもう!
それぞれ立派な殿宇で回遊が楽しいのだが、境内に車両を停めすぎ…
こんな階段を発見すれば、つい登りたくなるのが個人旅行者の人情。
山上。奥の像はガラクタなのか新品か…尊顔を拝みそこない後悔している。
当のコンテナハウス。工事を経て現在はどんな状況なのか…非常に気になる。
山の裏側は在来線の線路、そして高層住宅が建ち並ぶエリア。
地下鉄の切符売場。路線&降車駅選択または運賃選択で購入。
荊州からの移動では歴史ある漢口駅を、帰りは武昌エリアの武漢駅を利用。
同じく武漢駅の巨大駅舎。高速鉄道が居並ぶさまは圧巻!

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