見出し画像

「自分責め」が止まらない人へ

今日は自分責めがなぜ起こるのか?について書こうかしら。

自分責めを違う言葉で言うとなんだろう。
自己否定、自己嫌悪、自己矮小化などなど、それが過剰になると自己憐憫、自傷行為などまで発展するかもね。

結論から言うと、
「他人の価値観で生きる」をやると、自分責めが起こります。

人生は、自分の価値観で生きることをしなければ、他人の価値観を採用して生きることになる。

生きる(Doing)ためには「決める」必要があり、それには何かの「価値観」が必要なわけで。

そして人生では、自分でこれがほしい、これがやりたい、これを実現たいと決めないと、他人が「あなたの全て」を決めることになる。

あなたが自分の人生を創造しなければ、他人があなたの人生を創造することになる。

そして、この「抑圧」のプロセスには多くの場合、「怒り」が伴います。
自身の「怒り」を抑圧すると、あなたは「自分責め」が辞められなくなります。

「自分責め」をしやすい人、背中が硬いって言われるでしょう?
そこから腰や肩まで派生して、身体の裏側がこりやすい人が多くない?

身体心理学を学べばわかるけど、多くの場合、「怒り」のエネルギーは、背中の筋肉を緊張させて、抑えるから。
つまり、あなたの背中が硬いのは、そこで常に「怒り」のエネルギーを抑えているからなんだよ。
「感情」の抑圧は、物理的に筋肉を緊張させることで、起こるのです。

ここで一つ質問です。
あなたは一体誰に怒ってるのかね?
考えればわかるはずだよ。あなたは誰に怒ってる?

「怒り」と言うのは、社会的にはよくないと言われることが多いけど、本当はとても大切な感情で。
生命エネルギーそのものとも言えるんだよ。

「怒り」という感情は、自分を守るために、自分への攻撃、自分への侵略を外側に跳ね返していく行為。
自分を守るために、内側から外側に大きく発露していくエネルギーなんだよ。

つまり、「私は生きるのだ」と言う「意思そのもの」なんだ。
「生きる」ための膨大なエネルギーなんだよ。

そのエネルギーを抑圧して、外に発露させないとどうなるか。

全部自分に跳ね返ってくる。

これをゲシュタルトの世界では「反転行為」という。

外に発露させていくはずのエネルギーが外に出せず、今度は自分に跳ね返ってきて、自分を攻撃し始める。相手を責めないと、今度は自分を責めることになる。これが「自分責め」の正体であり、自己否定、自己嫌悪、自己矮小化、自己憐憫、自傷行為の正体だよ。

つまり、「私が大切にしたいもの」を守るために「怒り」があるわけだ。
そして、社会適応の過程で、親をはじめ、「相手が大切にしたいもの」を採用しなければいけない場面が多々出てくる。
親の言うことを聞く、上司の言うことをきく、など。

(親への怒りを抑圧するパターンを持っていると、上司や同僚に対してもパワハラの的になり、適応障害とか鬱になったりするよね)

そして、この時に他者の価値観を「鵜呑み」にすることがある。
自分の価値観ではなく、他者の価値観を無条件で採用する。
というか生きるために、採用せざるを得ない。

この時に「抑圧」をすることになる。

「本当はこう生きたい」のに、「そうじゃない生き方」を強制させられるわけだから、本当には嫌なんだよ。
「怒り」があるんだよ。でもそれさえも発露させずに、他者に迎合する、過剰適応することで、生き抜くわけだ。生存戦略として。

ただ、それは子どもの時まで。
自立して、大人になったらその戦略はいらないわけだ。

そして、大人になるまでにそれをたくさんしてきた人は「自分責め」が止まらない。大人になって、過剰適応する必要がない状態になっても、「今」も無意識に過剰適応をしようとし続けているからね。

「今ここ」においても、自分の中で抑圧を続け、他者の価値観を自身で採用し、生き続けている。

そう言う人は、自分の中に眠る「未完了」を完了させる必要がある。
「今ここ」において、自分の抑圧に気づき、その価値観に、「NO!」と言うプロセスをやる必要があるんだよ。

それは一度自分で無意識で取り込んだ価値観を吐き出し、そして、自身の「本当の願い」に繋がり、改めて「自分の価値観」で生き始めるプロセスなんだ。

本当に自分の価値観で生き始めたとき、あなたの「自分責め」は次第に収まっていく。

「自分責め」をすることが悪いことではないんだよ。
いいことでも悪いことでもないし、それをどうこうすることでもない。
せっかくなら、やりたいなら、やり尽くすまで存分にやればいい。

あなたは、自分の価値観で生きることをしなければ、他人の価値観を採用して生きることになる。
あなたが「自分の意思」で何かを決めないと、他人が「あなたの全て」を決めることになる。

それは苦しでしょう?
とあるセッションで、何かを決めるとき、周りの状況のことばかり話している人がいた。おれは聞いた。
「あなたは今、あなたの外のことばかり話していて、あなたの話を何もしていない。」
「私はあなたの話を聞きたい。」
「周りのがどうとかは一切関係ない。周りがどう思おうが、そこで何が起ころうか、あなたの人生には一切関係がない。そんな話はある種、どうでもいい話だ。」
「あなた自身は今、何を感じているのか」

あなたが、あなたが感じてることに従い、あなたの「意思」で「決断」する必要がある。

最後に、人の顔色を伺って、他人の価値観で生きて、自分責めが止まらない人へ。これはおれの価値観からの、独断と偏見のメッセージ。

もういい加減気づいているでしょう。
他人に迎合して、何かをうまくやろうなんてやめとけ。
あなたが苦しくなるだけさ。
嫌な時はね、逃げたっていいんだよ。
なぜ、あなたがそいつらに合わせる必要がある?

あなたの人生の主役はあなたでしょう?
自分で選んでさえいれば、あなたの人生の主役は、いつだってあなただよ。

あなたの生命(いのち)は、今、なんて言っている?
聞こえているはずだよ。

この記事が参加している募集

仕事のコツ

with 日本経済新聞

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?