医学部で楽しかったこと②肩こりを知れば人生変わるという話
プロローグ
医学部時代、大学の歴史資料館でアルバイトをしていました。この歴史館は、私が2年生の時に同窓会によって「医学部の歴史を保存・記録するスペースを作る」というミッションのもと創設されました。創設に関わった中心メンバーの一人のある先生が言うには、「日本には医学を理解して研究できる歴史学者、歴史研究のトレーニングを受けた医療者のいずれもあまりおらず、ほとんどの医学の歴史は歴史オタクの医師が趣味で行ったものである。」ということで、この歴史館を通じて、医療者と歴史学者が協力し、しっかりとした歴史学的手法を用いて医学史の知識ベースを構築したいとのことでした。
アルバイトの自分は、フロントで受付をしたり、歴史館に集まってくる資料を歴史学的手法でラベリングしていく作業を手伝ったりなどしていました。職員や他のアルバイト学生も皆国籍(日本、韓国、中国、ドイツ)や専門(医学部や文学部)が多種多様で、非常に自由でオープンな雰囲気の楽しい職場でした。
ある日、歴史学の博士課程に在籍していた同僚から、人類学的アプローチで医学史を研究されているハーバード大学の栗山茂久教授の特別講義があることを教えてもらいました。私はその講演会に参加し、その後、1時間ほど先生とお話する機会をいただきました。栗山先生にはいろいろと興味深いお話を伺いましたが、特に「肩こり」の研究について伺ったお話が、私のものの見方をすっかり変えてしまいました。
肩こりとは
肩こりは、日本人に最も多い病の一つで、最近の研究によると、1122人(男性426人、女性696人)のうち45.6%が「肩こりがある」と答えています(Kumagai et al., 2021)。私自身肩こり持ちですが、特にこの2週間はPCの前に座って書類を書く時間が長かったため、確実に悪化しています。
興味深いのは、日本人の間で肩こりはこれだけ多いのにも関わらず、他の地域には肩こりがほとんど存在しないことです。栗山先生の研究は、なぜ日本人だけが肩こりに悩まされるのか、肩こりの意味が時代とともにどのように変化してきたのか、という問いに対して興味深い考察をしています。物理的な現象や病気も、空間軸や時間軸を移動すれば、存在しない、あるいは全く違うものになるという事実に私はとても驚かされました。
なぜ日本人のみ肩こりに苦しむのか
文化的背景: 気の流れ
なぜ肩こりは日本人に特異的なのか、その理由を理解する鍵は文化的背景にあると考えられます。肩こりはしばしば"stiff shoulders"と英訳されますが、栗山教授は、それはこの病を説明するには不十分だと指摘しています。
このように、肩こりを理解するためには、「凝り」という概念を理解する必要があります。「凝」という漢字には、「水のように流れるものが滞る」という意味がある(例: 凝固)。日本では、エネルギーは液体のような流れであると考えられていますが、これはおそらく仏教の考え方に大きく影響されているのでしょう。(ヨガをやっている人や『NARUTO』を見たことがある人は「チャクラ」という言葉に馴染みがあるかもしれません。)このような精神文化が、肩こりを生み出す土台となり、現在では人々のアイデンティティに統合された大きな痛みに発展したようです。
しかし、これだけではなぜ肩こりが他の仏教の影響を受けた文化圏には存在しないのかが説明しきれません。栗山教授はその答えを求めてさらに歴史を遡ります。
肩こりは江戸時代に別の名前で存在していた
肩こりという単語は明治になって初めて出てきたようですが、栗山教授は江戸時代の医学書に「肩がこる」という言葉がすでに存在してることを発見しました。江戸時代に多くの人が「肩が詰まる」といった訴えをしていました。当時、このような訴えを「痃癖(けんぺき)」と読んでいました。1630年の日ポルトガル語辞書にも「Quenbeqi: 肩の不調」として記載されています。栗山教授はさらに江戸時代の文学やイラストの中での日常生活の描写に、人々が現代の肩こり患者が行うのと同じような方法で治療をしている様子が描かれています。お灸を据えたり、他の人にマッサージをしてもらったり、自分で肩たたきを行ったりなどです。
痃癖という言葉は、中国語の「痃癖(xuanpi)」が語源ですが、これは医療関係者だけが使う専門用語で、腹部の不調を表すもので腰とは全く関係ないものでした。その言葉が日本へ伝わり、専門家の間で使われていましたが、いつの間にか、一般大衆の間で間違った意味で使われるようになったのです。
漢字の代用が誤用の原因だったかもしれない
しかし、どのようにして腹部の不調を表す言葉が肩を表すようになったのだろうか。首や肩の問題と、腹部の問題との誤解は、意図せずに生じるにはあまりに大きすぎるギャップのように思われます。栗山教授は、何か隠された論理があるに違いないと考えました。
これによって、肩こりが日本独特の概念である理由がはっきりしてきました。元論文で栗山先生はさらに詳しいニュアンスを説明されているので、興味のある方はぜひご覧になってください。
肩こりの認知は時代によっても異なる
ここまでで、ある病が特定の空間(文化圏)のみに存在することがあり得るということを見てきました。同じことが時間軸についても言えるのです。ある時代に存在する病気が他の時代に存在していなかったり、現象自体が存在していても全く違う意味のものとして認知されていることがあるのです。この点においても肩こりは良い例です。私の肩こりが近日のデスクワークで悪化したように、現代では過労の象徴とされているが、江戸時代ではむしろ逆の意味を持っていました。
貝原益軒による新しい健康ガイド
江戸時代(1603-1867年)は、最長かつ最期の武士政権による封建時代でした。鎖国政策と相まって、長く平穏な状態が続き、その間芸術や文化が発展した。経済成長とともに、お金は体内のエネルギー(気)と同じように循環するものになりました。
儒学者、本草学者であった貝原益軒(1630-1714年)が唱えた理論は江戸時代の社会を表すものになりました。
貝原益軒は中国が理想とする隠居、隠遁の生活を否定しました。
鎖国により産業革命を逃す
貝原益軒の思想が広まり、精励は美徳となりました。しかし、勤勉であることは当時の社会で必要不可欠なものでもありました。経済史学者である速水融氏によれば、17世紀の日本では人口爆発により、個人の土地、資本、家畜等の資源力が低下し、人力への依存度がますます高まっていきました。日本の農家は、より少ない動物資源で、同じかそれ以上の収益をあげるために努力していました。その上、江戸時代の鎖国政策により、日本は産業革命で発明された工学技術の恩恵を受けることができなかったのです。
痃癖の痛みは、怠惰の象徴だった
江戸時代に生まれた近代的な勤勉の美徳や健康観から、人々はエネルギーの停滞をお金の停滞とを結びつけました。そのため、「痃癖は」怠け者の病気となり、現代の肩こりとは正反対の意味を持っていたのです。
栗山教授は、社会の繁栄がもたらす怠惰な生活を描いた文学作品として、井原西鶴の小説『好色一代女』を引き合いに出し、次のように述べている。
元論文で栗山教授は、この医療と社会とのつながりに付け加えて、触診の文化についても考察されています。
おわりに
栗山教授から肩こりのお話を伺う中で、一番魅力的に感じたのでは、場所軸や時間軸を移動すると、ある現象が全く別の意味を持つということです。私がいかに人工的に作り出したカテゴリーを元に世界を切り取り、そのレンズに縛られて物事を見ていること、そしてそのカテゴリーは流動的であり、文化や時代を超えて決して一貫していないことに気付かされます。
日本に学びにきた留学生が日本文化にひたり、肩こりを引き起こして一生付き合うこととなることがよくあると聞きます。この記事が同じような影響を与えないことを祈っています。
参考文献
Kumagai, G., Wada, K., Kudo, H., Tanaka, S., Asari, T., Chiba, D., … & Ishibashi, Y. (2021). The effect of low back pain and neck-shoulder stiffness on health-related quality of life: a cross-sectional population-based study. BMC Musculoskeletal Disorders , 22(1), 1-9.
Kuriyama, S. (1997). The Historical Origins of” Katakori”. Nichibunken Japan Review , 127-149.
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