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イタリアの避難所は日本と比べてほんとうに快適で先進的なのか?

イタリアの避難所が理想だとする日本の意見

日本のテレビなどのメディアで、イタリアの避難所が快適で、先進的だとする意見を多く見る。

ただ、実際私の友人の被災者たちは、避難所がいい場所だと語ったこと、まして日本と比べてイタリアのほうがいいなどといったことは一切なかった。

私も、数々の報道を見ると、日本のほうがいいとまでは言わなくても、イタリアが日本と段違いにいい場所だとは思えない。

この記事では、実際に被災者が直面するであろう問題について、イタリアの避難所の別の側面を語っていく。

結論: 私はイタリアで被災したいとは思わない

もちろん、誰だって被災したいなんて思うひとはいない。

ただ、いろいろな対応を加味すると、イタリアでの被災者としての生活は、日本と同様に、決して楽なものではないという結論が私には出せる。

それを踏まえて、今後の議論を書いていく。

イタリアの避難所がいいとされる理由

日本で「イタリアの避難所は最高! 先進的! 理想的!」といった報道がされる際には、たいがいこういった側面に光を当てる。

  1. 食事が美味しい。温かい。健康的。

  2. テントなどプライバシーに配慮した設備。

  3. 被災者の健康を第一に考えている運営体制。

  4. 初動が早い。

  5. 国(市民保護局)による一元化された対応なので、市区町村(イタリアではコムーネ)の負担が少ない。

  6. 全国からボランティアが集まり、市民保護局の対応に任せるので、人手がたくさん確保できる。

  7. 体育館で雑魚寝したりしない。

  8. 冷たい食事を食べることがない。

  9. ホテルなど、環境のいいところに避難ができる。

  10. テントには冷房がついていて、快適。

こういった理由から、イタリアの避難所はいいところだ、という報道がされている。一部は事実で、一部は誇張されている。

完全に間違えたことは言っていないのだが、あまりにもいい側面しか見ていないということが、これらの報道の共通点だ。

だから、私は「リアル」に近づけるため、負の側面を多く書いていく。

食事が美味しい。温かい。健康的。

事実、イタリアは食事が美味しい。

それは避難生活に関わらず、先般的にそうだ。

私はイタリアに留学していたので、食事のおいしさはよくわかっている。

避難所の場合、たしかに健康的で温かくて美味しい食事が出るといったことは、実際にありそうだ。

ただ、日本だって「炊き出し」という文化がある。あれは数少ないかもしれないが、温かい食事の典型例だ。

イタリアの場合、食事は基本的に温かい。

肉は温かくないと焼けないし、パスタだってそうだ。

だから、自然とイタリアの食事が温かいものになるというのは、ありえる話だろう。

テントなどプライバシーに配慮した設備。

イタリアの避難所と言えば、よくテントの映像が流れる。

実際にテントは使われているが、これにはいくつかの課題がある。

ひとつは、炎天下ではいくら冷房がついていようと(あのテントの中には扇風機のようなものがあり、冷房設備が完備されている)テントは厳しいということ。

2009年4月のラクイラ地震

テントが多く使われた災害としては、2009年4月のラクイラ地震がある。

この場合、ラクイラは高度714メートルに位置することもあり、夜は涼しく、朝は心地よく、昼でも不快な暑さではないという気象条件がある。

そのため、テントでの生活は2009年9月まで続いたが、ものすごく大変といったことはなかったのかもしれない。

ただ、ラクイラ地震の場合、周辺地域が多数被災していたことと、広大な土地がなかったことにより、倒壊した建物の前にテントを置かなければいけなかった事例が San Gregorio 地区において実際にあった。

San Gregorio 地区は、Onnaというコムーネにほど近い場所で、割とラクイラ市外から離れた場所にある。

この Onna は小さい村だった。現在は350人程度が暮らしている。

しかし、ここでは人口の1割以上(40名)が亡くなったともされ、割と被害が大きいところだった。

そのため、このような事例が起きてしまったのではないだろうか。

2016年8月のアマトリーチェ近郊での地震

日本では一般にイタリア中部地震と呼ばれるこの地震だが、ラクイラ地震もこの地震が起きるまでは「イタリア中部地震」と呼ばれていた過去を踏まえ、この記事では「アマトリーチェ近郊での地震」などといった書き方をする。

この場合、問題があるのは、気候だ。

炎天下だが、夜は冷え込む。

私の友人がこの周辺に住んでいるが、夏でも日中は比較的涼しいものの、夜には長袖が必要なほど冷える気温だと語っていた。

この環境でテント生活をするのは割と無理がある。

日本でもこのような特集があったようなので、参考にしてもらいたい。

また、この地震の課題はコミュニティの分散である。

震源地が4つの州の真ん中で起きたため、州ごとに対応しなければいけない場面もあり、なにかと分断が進んだ。その4つの州とは、ラツィオ州、マルケ州、アブルッツォ州、そしてウンブリア州だ。

いくら市民保護局が統括しているとはいえ、被災したコミュニティが分断される側面はあった。仮設住宅などのときにそれは露骨に表れる。

また、高齢化と過疎化が進んでいたため、ひとつのコミュニティが割と小さな集団しかいなかった。

被災地域がとった決断

そのため、アマトリーチェ近郊での地震で被災地域がとった決断は、体育館での雑魚寝である。

まさに日本と同じだ。

体育館での雑魚寝はそんなに悪いことだろうか?

ここでは、なにかと叩かれる体育館での雑魚寝について、もうすこし掘り下げたい。

もちろん、プライバシーや騒音の問題があるといったことは理解の上だ。

体育館での雑魚寝は理想的な環境ではない。

誰だってあんなところにいたら、早くここを出たいと思うことだろう。実際、一部は車中泊だったり、ホテルへの二次避難だったり、親族宅に身を寄せたりといったことは、日本でもイタリアでも起きる。

ただ、体育館での雑魚寝にはメリットもある。

ただ、場合によっては冷房も入るし、それが無理でも扇風機はできるし、雨風はしのげるし、ものすごく寒かったり暑かったりといったことも屋外に比べればましだし、一元化した対応ができる(用があれば校内放送を鳴らせばいい)し、避難者の健康管理もやりやすいし、物資も集まりやすい。

テントだと、情報が集まってもそれを伝える手段がないから、小規模な災害だったらいいのだが、上にあげた2例のように災害が広範な範囲になればなるほど、一元化した管理の必要性が大きくなる。

日本とイタリアの人口と気候を考える

簡単に言うと、日本とイタリアの国土はそんなに変わらない。そこにイタリアの2倍の人口が住んでいる。

そう考えると、イタリアの対応をやろうと思ったら、2倍のテントを用意しないといけない。

テントは1個1万円で、1世帯がそこに入れるものがAmazonで売っているらしい。

それを2倍用意するには、相当な予算、単純計算イタリアの2倍の予算が必要になる。

また、日本の場合はこの蒸し暑い夏をどう過ごすかという問題がある。

イタリアの夏は、気温は高くても、からっとしている。

日本での炎天下のテントは文字通りの蒸し風呂になりそうだ。

その他の問題について

被災者の健康を第一に考えている運営体制。
初動が早い。
国(市民保護局)による一元化された対応なので、市区町村(イタリアではコムーネ)の負担が少ない。
全国からボランティアが集まり、市民保護局の対応に任せるので、人手がたくさん確保できる。
体育館で雑魚寝したりしない。
冷たい食事を食べることがない。
ホテルなど、環境のいいところに避難ができる。
テントには冷房がついていて、快適。

これらは先ほど挙げた理由で説明できるところもあるが、これらにおいて触れられていないことがある。

避難の「その後」について

避難所は、いつかの段階で用済みになる。

仮設住宅ができるからだ。

仮設住宅ができると、より環境の悪い避難所はなくなる。

そして、仮設住宅ができるころには、生活再建を諦めてほかの地域に出ていくひととか、親族関係を頼って身を寄せるひととか、あるいは国外や国内のほかの場所に移住するひとや、それとも車中泊やまだましな建物を頼って住み慣れたコミュニティに住み続けるひとや、いろいろな選択肢が生まれてくる。

イタリアの仮設住宅の2つの大きな課題

正直このテーマだけでもいくらでも記事が書けそうなほどなのだが、その課題とは以下である。

ここでは簡単に述べておく。

1 設置までが遅い

下手したら数年かかる。

それまでずっと被災者は避難所なり親族宅なりに住まないといけない。

日本では、数か月で最初の仮設住宅ができる。

2 設置されても環境が悪い

真冬の電力に耐えきれず(2016年の地震の被災地は、冬には豪雪地帯となる)、停電が頻繁に起きる。

床は雪の湿気で腐る。

家もすぐ歪むし、粗末な造りであることが多い。

イタリアの避難所に多数の人員と多額の予算を割ける理由

イタリアの避難所がいい環境にあるとすれば、それにはちゃんと理由がある。

それは長期での運営が予測されているためだ。

しかも人口は日本の半分。同じ予算でも、2倍いいものができる。

仮設住宅ができるまでの結構な時間を、避難所で過ごすことが予想される。

そのため、比較的早く解散する日本の避難所と比べ、どうしてもいい環境にしないといけない。

そのため、高額な設備と多数の人員を用意しても、うまくいく。

日本がとっている対策

たしかに、避難所だけを比べると、日本はだめだ、イタリアはいいという結論になりがちだ。

ただ、日本の場合、避難所の環境が悪い代わりに、避難所がすぐに解散する。

そのぶん、より長い時間を暮らすために、より早く、より快適な仮設住宅や災害公営住宅をつくろうというほうに予算が使われているのではないだろうか。

イタリアの被災者は日本やイタリアの避難所について議論しない

私には多数の被災者の友人がいるが、以下のような意見は一切聞いたことがない。

「イタリアの避難所は日本と比べて良かった」

「イタリアの避難所は日本と比べて嫌だった」

日本、でなくても、ほかの国でもいい。そんな話を聞いたことがない。

それは、単純にそんなトラウマティックなことを語りたくないということもあるのだろうが、そもそも日本とイタリアという前提条件があまりにも違う国を比較してもしょうがないと考えているのか、理由は推測の域を出ない。

日本でこんなにイタリアageの報道があると言ったときには、いつもびっくりされる。

イタリア人が普段議論していることは、日本(など)の高い防災のレベル

逆に、イタリア人はよく日本の環境を羨ましがる。

それは避難所ではないが、早い復興というテーマでくくれる。

仮設住宅がこんなに早くできた、道路がこんなに早く直った、倒壊した建物がこんなに早く撤去された、といったことだ。

そして、防災についても日本はいい印象を持たれているし、実際に日本の防災は優れている。

そもそも被害がほとんど出なかった、こんなに大きな災害があっても誰も死んでないじゃんといった話だ。

台湾などもこの「など」に含む。

イタリアの避難所を報道する日本のメディアの3つの課題

マスコミ側にも責任がある。

  1. 被災者にインタビューしていない。市民保護局のひとにしかインタビューしていない。そりゃいいことしか言わないでしょ。被災者の生の声こそ大切じゃないの。

  2. イタリア語で検索してみてほしい。Google翻訳がある時代、そんなに難しいことではない。無理でも英語。

  3. 「その後」のこと、つまり仮設住宅などのことも報道しないとフェアではない。避難所だけが災害対応のすべてではない。

これらのことをちゃんと守らないと、どうしても報道は偏ってしまう。


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