檸檬読書日記 和歌に溺れ、ゆうれい犬と散歩して、5が終わる。 12月25日-12月31日
12月25日(月)
クリスマス!
きれー。真っ赤。クリスマスっぽい。
酒井順子『鉄道無常 内田百閒と宮脇俊三を読む』の文庫版が発売されているらしい。買わねば。
最近、毎日少しずつ読んでいる『ブレヒト全書簡』を読むのが楽しい。
1日3つ(3枚)までと決めているのだけれど、楽しくて先を読みたくて堪らない。でも我慢。まぁ、読めよ、という話なのだけれど、勿体なさもある。
ブレヒトの言葉のチョイスも良いし、手紙だからこそ見れる内面が面白い。
移ろいやすいのか、恋人なのか想い人なのかが変わっていくのも興味深いし、何より情熱さが好きな人よりも友人というか芸術に対してあるのが見所。
友人・カスパル・ネーヤーという人がいるのだが、ブレヒトはその人に結構手紙を書いている。どうやらカスパルは絵を書いているらしく、手紙の殆どが絵を書いてだとか送ってくれというもの。そして、絶賛。熱量も凄い。その人の感性が相当好きなのか、来て欲しいとか一緒に見れたら良かっただろうにとか、想い人に対するより情熱的だ。
それほど、芸術に対しては移ろいはなく、芸術に1番の熱を向けているのを感じられるのがまた良い。
それにしても、それほどまでに絶賛なカスパルの絵とはどんなものだったのだろう。気になる。
探したけれど出ぬ。残念。
高原英理・編『川端康成異相短篇集』を読む。
「離合」を読み終わる。
田舎で教師を務める男・福島のもとに、娘と結婚したいと言う青年が現れる。
いたく感激した父親は、娘婿と共に娘が住む東京まで赴く。
娘は再会した父親に、別れた母親(妻)と会ってほしいと頼み、福島はそれ渋々承諾し、久しぶりに元妻・明子と会うのだが…。
終始、ソワソワさせられた。何かありそうだなぁが充満していて、その正体を知りたくて読むけれど、ほんの少しの怖さがソワソワとさせ、どんどん物語の中に引きずり込んでくる。
文章の端々から、もしかしたらというのがあって、それが広がって真実に近づいた時、美しさに目眩がする。やはりそうかあ、という感じなのだが、確信的なものは曖昧で、それがまたくらくらさせてくる。
曖昧で足元がぐらついて、落ちる。けれど落ちたのにも気づけない。気づけても、甘んじて受け入れてしまうような…何言ってるのか自分でもよく分からないけれど、1度入ったら抜け出せない魅力が川端康成にはあるなあという話。結論。
12月26日(火)
『ブレヒト全書簡』良いぞ良いぞと思っていたら、急展開。恋人の1人だと思っていた人が、まさかの奥さんだった。苦くて甘い人と書くからてっきり。そして子どもがいるという事実。そしてそして、ブレヒトの怪しい一面が…。情報過多。でも面白い。
ようやくテレビ周りの掃除が終わった。テレビ周りは、日頃あまり目を向けないようにしているからか、ホコリが…。
本当は日々少しずつやるのが良いらしいけれど、なかなかなあ。
後は水周りとカウンターかぁ。終わるかなあ。終わらせたいなあ。
12月27日(水)
中澤晶子『いつものところで ワタシゴト 14歳のひろしま・3』を読む。児童書。
ワタシゴトシリーズ三部作の最後。1、2も良かったけれど、3も良かった。(1、2も感想書いているけれど、探すのが面倒になったから載せるのを断念)
まとめるなら、修学旅行で広島に行った中学生が、1は「物」2は「建物」を中心に、原爆のことを見て考える。今回は音楽や絵、手芸など「芸術」面から見つめていく。
相変わらず深く、考えさせられる。
ただこの本の良いのは、児童書なだけに重すぎない、ということだ。さらりと情報が流れ、その中にドキッとするところや、立ち止まって自分の中に受け入れ考えることがあった。
例えば、手芸部の子が、昔の制服を再現しようとする場面。
制服作りが一段落した帰り道。蝉が鳴く。
もう一つ。演劇部の子が、劣化ウラン弾のヒバクシャを知って。
本当に、忘れてはいけないよなあ。正義で片付けて美化してもいけない気がする。人を傷つけ、ましてや殺めるのに、正義はない。どんな名目を掲げても美辞麗句で飾り立てても。やられたからやりかえすも。
他人事ではない「ワタシゴト」なのだから、やはりちゃんと考えなくてはなあと、改めて思わされた。
12月28日(木)
久しぶりに『古今和歌集』を見る。
昔は全く分からなかったけれど、今ようやく少し分かる、ような、気も、するような。もごもご。
自分は理解が遅くて、大概終わってからあれってそういうことだったのかあと分かるのだが、(理解出来るまでの時間はバラバラで、最悪数年かかる場合もある。)
和歌もそうで、前は何がなにやら分からなかったけど、今になってようやく分かった。(かといえ、まだ訳や解説を含めないと理解出来ないけれど。でも昔はそれでも理解出来なかった)
理解出来て分かる、和歌の素晴らしさよ。
和歌も一種の日本の素晴らしい伝統文化というか、誇るべき芸術の1つな気がする。
ぎゅっと制限された文字や言葉の中に、様々なことが含まれ絡んでいて、解釈も無限大に想像出来てしまう。背景を知れば物語性まで見えてきて。いやぁ素晴らしい。そして美しい。
和歌も素晴らしいけれど『古今和歌集』とかの、構成もまた面白い。
古今は春の項から始まるが、桜が咲いたとかではなく、暦上の春から始まる。つまりは1月。
けれど最初は、正確に1月初めではなく、12月頃には春を感じた、から始まるのだが、それがだんだん春らしくなって梅が咲いてと、春が深まっていく。のだが、これがまたなかなか梅が咲かない。春の象徴である梅が。だが、そのまだなのかまだなのか、というのもまた楽しい。咲いた時の興奮よ。(実際は咲くというより匂うだけど)
流れがきちんと組み立てられていて、考えられているなあと分かるのが面白い。
季節以外にも、恋歌なんかも流れが見えて興味深い。こちらはなかなか咲かないではなく、なかなか会わない。想ったり噂に聞くばかりで、なかなか接触しないもどかしさよ。面白い。
そして会わないばかりか、想いばかりが募っていって、恋煩いが重症化していき、
(きちんと読んでいないから正確にはわからないけれど、確か)
漸く出会い、そして恋が終わるまでの流れで構成されている。
そして恋歌の最後の最後など、人生ってそういうものだよなと達観までしてる。それを終わりに持ってくるセンスよ。
和歌といえば、引歌もまた面白いんだよなあ。
引歌とは、和歌の一部を(例えば『源氏物語』などの物語の)文章に織り交ぜて、物語や文章に深みを持たせるというものなのだが、どの和歌を引歌として使用しているかによって、解釈が違ってきたりするから楽しい。そして大概はっきりとは特定されていないから、自分で探すのも良い。
和歌の一部分だから、探すと結構該当するものがあったりする。その中から年代に合うものを一つ一つ検証していくのだが、もしこの和歌だったらこれはこうなるし、こっちだったら少し違う感じになるしと、和歌によって物語ががらりと変わってくるから、無限に可能性や想像が広がって、物語がより楽しめたりする。
でも個人だと検索は難しいから、小学館の「新編日本文学全集」や、新潮社の「新潮日本古典集成」とか(他にも2~3種類良いのがあったけれど、忘れてしまった)にも引歌は載っていて、それぞれで引歌とされる和歌が違ったりするから、それらを見比べるだけでも楽しかったり。
和歌も興味深いけれど、引歌もまた興味深し。
引歌を検証したまとめ本とか出たら絶対良いと思うのだけれど、なかなかないんだよなあ。残念。
うんぬんかんぬん。流石に長っ。止まれ。
12月29日(金)
久しぶりに体重量ったら過去最高に(最低に?)なくて驚いた。中学生以来かなあ。痩せやすい夏の方があったな。まあこれから餅が待ち受けているから直ぐ戻るか。
中村一般『ゆうれい犬と街散歩』を読む。漫画。
最初の感想「ゆ、ゆるーい!」
「私」が犬の幽霊と実際にある街をただ散歩し、その街の思い出を振り返っていく、というものなのだが…まあ、緩い。思い出話も緩いし、ゆうれい犬との会話も緩いし、散歩も気の向くままという感じで緩い。
そして、絵も緩い。なのに街並みや景色は本格的だから、実際の街を一緒に歩いている気分になる。それがまた、楽しい。
三軒茶屋、中野、高円寺、鮫洲、北千住、奥多摩。自分は実際には行ったことはないが、行かずともこんな感じなのかあと体感出来たのは、とても良かった。
ただ、緩いだけではない。ゆうれい犬の言葉に、時々ハッとさせられるものがある。
骨を海に流されたゆうれい犬が、海に来て思うこと。
確かに。
その後の締めの会話も好き、というか1番好きな場面なのだが、割愛。
とにかく緩いが、緩い中にも考えされられたり、散歩した街の情報が知れたりと、大変満足な1冊だった。紹介された街に行ったことある人もない人も、揃って楽しめる、そして癒される作品だと思う。
最後に
グエー。凄い刺さったー。
12月30日(土)
やっと掃除が全部終わった。達成感。ふぅ。
谷川俊太郎『朝のかたち 谷川俊太郎詩集Ⅱ』を読み始める。
光があってこそ影ですよ。影があるからこその、光。
こがれるほどの光が分かるなら、後はきっと一歩だけ。なんて。
やはり良いなあ谷川俊太郎。
少しずつ読んでいこう。
今年も餅を作った。今回も愛いなあ。むちむち。
12月31日(日)
毎年そうだけで、この日は朝からバタバタになるなあ。やること盛りだくさん。動けー。
嵐山光三郎『追悼の達人』を読む。
「島崎藤村」編を読み終わる。
詩人・小説家。「初恋」の詩が有名ということくらいかなぁ、知ってるのは。
ふむふむ。「初恋」の詩から、勝手にロマンチストななよっとしたイメージがあったけれど、違うみたいだ。
それにしても芥川龍之介は、結構好き嫌いがハッキリしてたんだなあ。
そして姪に手を出すとは…藤村さん。結構とんでもな人だったんだなあ。その上とんでもを小説にして、尚且つ友人さえもモデルとして小説に出して、非難されている。
そりゃあ、追悼文もピリピリするよなあ。何を言われても仕方なし。
海野弘『366日 物語のある絵画』を読み終わる。
毎日1日1枚ずつ、1年に見続けた本が終わってしまった。去年は『366日 風景画をめぐる旅』で、毎日季節にあわせた何処かの国へ旅するような楽しさがあったが、今回は「物語」なだけに、短い映像を観るような楽しみがあった。まるで登場人物たちが踊って歌っているような、劇場で芝居を観られているような。
そして神話的な絵は、どうしてこうも艶めいた、何処か禁断めいたものがあるのだろうか。見ながらドキドキとした。
風景画も良かったけれど、物語絵画もとても良かった。
1年がもう終わるのかぁ。早いなあ。
今年読んだ本の総数は、250冊(絵本含む、漫画除く)だった。去年は280冊だったから、去年と比べるとあまり読めなかった印象。
来年は何冊になるだろう。でも読めた冊数よりも、良い本にたくさん出会えると良いなあ。そして、それを届けられると良いのだけれど。うーむ。
来年はどういう1年になるのだろうか。
来年も色々ありそうだけれど、とりあえず頑張ろう。
ここまで読んで頂き、ありがとうございました。
皆様にとって穏やかで健やかな、良い年になりますよう、心よりお祈り申し上げます。
ではでは。
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