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檸檬読書日記 蛇は足を飾り、黒澤明応援隊と、季節外れのクリスマス。 2月19日-2月25日

2月19日(月)

「花粉のやつが飛んでいる」

そう忌々しそうに言うから

「雨とか降って落ちるといいのにね」

と返したら

「そうすると、降ってる時はいいけど、止んだ後にそれが舞うんだよ」

「でも、たくさん降ってたくさん落ちたら、その分早く終わるんじゃないの?」

「いや、そういうことじゃないんだよなあ。これだから花粉症じゃないやつは…やれやれ」

と言われてしまった。そういうことじゃないのかあ。なんかすみません。



『覚和歌子詩集』を読む。


愛のことは知らない
なのに
かりんの実が路地に匂って
立ち止まるとき
(略)
そこにいないあなたで
わたしはいっぱいになった

愛のことは知らない
なのに
にじんでしまうものは なに
かたつむりが這ったあとのように
思いを残して
風に乾いていくものは なに

「かりん と かたつむり」


一拍置いた後の「なに」が好き。



『アンディ・ウォーホルのヘビのおはなし』を読む。絵本。

黄色い表紙にお洒落な蛇の靴が印象的で、惹かれて見てみた。

ファッションデザイナーの作品なだけに、中身もお洒落。蛇を取り入れたデザインのものが並んでいる。

絵本というよりも、画集、イメージデッサン、という感じ。大人向け。飾るにも贈り物にも良さそう。

この方、日記もあるらしい。(絵本ではない)

『ウォーホルの日記』(上・下巻) 

少し気になる。





2月20日(火)


新しいテーブルクロスを購入。
なかなか良い。檸檬みが気に入った。



淀川長治『淀川長治、黒澤明を語る。』を読み始める。

この本は、黒澤明を知った際に教えてもらったもの。

タイトル通り、淀川長治さんが黒澤監督のことを語ったり、黒澤監督に関しての対談をまとめた1冊。

最初は、少し前に観た『羅生門』の話から始まる。特に興味深いなと思ったのが、背景の色の話。
検非違使の庭を白、羅生門を黒、藪の中を灰色にあえて分けて、効果を狙っていたのだとか。そう言われれば、明らかに色が違っていた。
狙ってやっていたとは…流石です。

最初の段階から既に良いよ。



車で危うく死にかけて心臓止まるかと思ったー。びっくり。
最近なんだか危ないなあ。もしやお迎えが近づいている、のか…?(キョロキョロ)とりあえず黒い奴はいなそう。





2月21日(水)

本屋に行ったら、まさかの椎橋寛『ぬらりひょんの孫』の新刊を見つけ、嬉声を上げそうになった。出てたのかー!即座に買う。
何年振りだろう。完結しても、ひょこっと出してくれるの嬉しすぎる。人気作品はそういうのがあるからいいよなぁ。(『BLEACH』の時も嬉しかった)

読むのが楽しみ。でも勿体ないから、少し熟成させよ。 
そういえば自分は氷麗ちゃん推しだったなあ。だから最後は。合掌。
たくさん出てるといいな。



淀川長治『淀川長治、黒澤明を語る。』を読む。

『どですかでん』の話。
天気が悪い日の撮影の際、影が出ないからと、ベニヤ板で形を作り、黒スプレーで塗って影を演出したのだとか。
発想が天才的。


大林(宣彦) :(略)黒澤さんという方は、本当に対話好きな方だと思いました。話好きだし、対話好きだし、それを更に補うために音楽を付けたり、絵を描いてみせたり、そして結局は映画もそうなんですよね。あれは対話なんですよ。想いをどう伝えるか、そのことに、とにかく物凄くそのことに関して完璧ですね。完璧な対話を目指してらっしゃる。


映画は対話かあ。なるほどなあ。でも確かに、黒澤明監督の作品は、何か語りかけてくるように感じる。だから余計に耳を傾けたくて、見入ってしまうのだろうか。

そういえば、正直自分は淀川長治を知らなかったのだが、母親に聞いたら知ってて驚いた。
映画界では有名で、昔の金曜ロードショーの解説をやっていたのだとか。
最後に「それでは、サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」と言っていたと。
それはなんか覚えている気がした。言っている声が聞こえてきた。あの人だったのかー。



高原英里『川端康成異相短篇集』を読む。
「めずらしい人」を読み終わる。

とても短い。
国語教師の父と娘の話。妻は娘が小さい時に別れ、可愛がった息子は、結婚し出ていったため、今でも2人で暮らしえている。
ある日父親が「めずらしい人に会ったよ」と言う。それから度々、父親はめずらしい人に会った話を娘に聞かせるのだった。
しかしそのめずらしい人たちは…。

色々な意味で恐ろしい。

川端康成の良いところは、それでもはっきりさせないところだ。もしかしたらという要素があって、考えられる余地があって、読み手によってガラリと変わってくる気がする。
この話も、人によって恐ろしさが変わってくる作品だろうなと思った。





2月22日(木)

猫の日だ。
あー、だから最近本屋で猫関係の本が多かったのかあ。納得。



佐藤雅彦『毎月新聞』を読み始める。

新聞で連載していた記事を集めたもの。
ミニ新聞仕立てになっていて、短いコラムと、カエルの漫画と、その日起きた世の中の出来事が簡単に書かれている。

ある日、珍しいお菓子を見た大学生の女の子に「私たち学生って、こういうレアもの好きじゃないですか」と言われ、モヤッとした時の話。


外国の珍しいお菓子が欲しければ、素直に欲しいと言えばいいのに、それを「私たち学生って」と言うことで、一般論にしている。なぜ、個人的な欲望を、わざわざ、学生一般のこととして置き換えなくてはならないのか。(略)
この言葉の力は、個人の欲望のカムフラージュにとどまらない。
「~じゃないですか」と言われたら(略)そのことを知ってて当然、というニュアンスまで生むことも多い。つまり、だれかがその言葉を言った途端、そのことが、既成の事実と化してしまう、実に巧みな言いまわしである。


著者は、この言葉遣いに憤りと共に不安も感じていた。そしてその不安は、的中。


学生を中心に始まったこの言葉遣いは、まず若い会社員に拡がった。「こういう仕事って、手間がかかるじゃないですか」一般論とはせず、なぜ自分はめんどくさいと言えないのか。(略)
今や、言葉遣いの手本となってほしいアナウンサーやキャスターまでもこう言っている。「不景気って政治が悪いからっていわれるじゃないですか」ニュース番組の中で同意を求めてどうするの。
(略)
言葉はまわりで使っていると知らないうちに自分も使っているように、とても感染力の強いものである。つい癖になってしまうものである。しかし、それによって、無意識に私たちが大切にしなくてはいけないこと損なっているとしたら、それはとても危険なことなのである。


最初から良すぎて、読みながら頷いていた。
結局、責任を負いたくない人が増えているんだろうなあ。自分を薄めたがっている。だから自分が知らず知らずのうちに薄まって、分からなくなる。確かに危険だ。大切にしてほしいものです。

それにしても、たまたま古書店で目について、形式が面白いからと読まずに買ったけれど、買っておいて良かった。見た目からもう少し軽めかと思ったけど、意外と深かったのも嬉しい誤算。
これから少しずつ読んでいこう。



淀川長治『淀川長治、黒澤明を語る。』を読み終わる。


(略)日本という国は侍の国で、仇討ちの国で、悲劇といったら、義理人情の板ばさみしかない。豊かなユーモアもないこんな国、嫌いで嫌いで、僕、日本から逃げようと思ったことさえあるの。黒澤さんも、今日までこの日本にさいなまれつづけている。その気持ちが分かるから、僕はよけい陶酔して見ちゃうのね。


凄い分かるから凄い刺さる。自分も日本のユーモアのなさと異常な真面目さと従順さ、嫌になってしまう。だから自分も惹かれるのかなあ。貫くのは大変だったろうなと感じるから。

黒澤監督は日本ではあまり待遇が良くなかったらしい。けれど淀川さんは、彼の作品が素晴らしいと理解していたからこそ、怒り、自ら動いて支えようとした。
本当に、日本は何故黒澤明を大切にしないのかと、読みながら自分もジタバタした。

黒澤監督だけでなくても、日本は芸術面に関して、あまり重視しない傾向にある気がする。反面、海外はきちんと評価し、素晴らしいものにはお金も惜しまない。だからこそ保たれている。でも日本は…悲しきかな。
重視するのはスポーツばかり。(勿論スポーツも大切だけど。何かが絡んでいなければ)

自分の力では微力すぎてなんの足しにもならないかもしれないけれど、素晴らしいものはきちんと評価されるように、少しでも広められたらいいなあ。

この本の何が言いって、この中に出てくる人たちが、全員映画好きということだ。映画を愛しているんだろうなあというのが凄く伝わってきて、それが凄く良かった。読んでいて何故か自分が嬉しくなった。
何よりも、誰よりも、淀川長治の黒澤明愛が凄い。
最後、怒涛のように流れる語りも、これまた凄い。賛美だけでなく批判もあるが、これは自分はどうかなあ思うというのも、一身に受けとめて理解しているからこそ、愛があるからこそという感じがして、それもまた良かった。

少し前、黒澤明関係の本を読んだ時も思ったけれど、ある程度黒澤作品を観てからの方が、もっと楽しめただろうなと思った。
それでも十分なほど楽しめた。けれど、観ていたらよりだったろうなあ。でも、本の内容を踏まえて観るのも楽しいかもしれない。

とりあえず『夢』と『乱』は近々観たいな。





2月23日(金)

あんなにあった蜜柑がとうとうなくなってしまった。毎日食べていたから、ないと物足りない。蜜柑が、食べたい…!(既に禁断症状が)



佐藤雅彦『毎月新聞』を読む。

多機能の話。
家電も物も多機能になり、次第に機能が増えてきている。その中に便利な機能も勿論あるものの、基本的に使うのは限られていて…けれど憧れなのか、人はそれに踊らされがちで…。


自分のまわりを見渡すと、長く愛用しているものは単機能のものばかりである。
(略)
やっぱりモノはちゃんと使う目的があって初めて買うものである。「なんでも使える」は「なんにも使えない」に通ずるのだ。そんな簡単な基本をどうしても私たちは忘れがちである。


そうなんだよなあ。
どんなに増えても、結局使うのは限られている。それなのにどんどん増やすから、複雑で、反対に使いづらくなってしまっている。本末転倒。
機能を増やすよりも、自分は寿命を伸ばしてくれた方が嬉しいけどなあ。人と環境を優先させたいと思っていたら、そうなるはずなんだけどなあ。機能よりも。
どうでしょうか。




おやつ。
五三焼きカステラ(白)に、クロテッドクリームに、黒蜜。お供は紅茶で。
何度もやって何度も食べているけれど、やはりこの組み合わせ最高だなあ。





2月24日(土)

突然死が一段と多くなってきている気がする。
でも有名人が報道される場合、あまり死因を言わない。
気づいてほしいなあ。



岡本真帆『水上バス浅草行き』を読む。歌集。

少し前にnoteでよく見かけていて、気になってパラりと見たら結構良かったから、随分前に買っておいた(熟成させていた)もの。

やはり良かった。
分かりやすくて、頭に浮かびやすく、あるあると思うものもあれば、想像してくすりと出来るものまであって、楽しい作品。

特に気に入ってるものを少々。


かすれてて読めないけれどこれはたぶん小学校の連絡網だ

犬がいる! 駆け寄ってみて少しずつ岩だってことに気がつく

くるみボタン、ぜんぶ胡桃になってたの だからこんなにリスがすごいの

ありえないくらい眩しく笑うから好きのかわりに夏だと言った

深すぎるお辞儀でひらけランドセル スーパーボールスーパーボール

いつの日か殺人犯になったとき使われそうな免許の私

思い出し笑いを思い出し笑うきみを真昼に思い出してる


他にもたくさん良いのはあるけれど、これくらいに。
表紙や間に入るポップな絵も良かった。結構好み。短歌とも合っていて、情景がこの絵のようにシンプルな線で浮かんでくるようだった。

やはり短歌って良いなと思った。短い言葉、限られた言葉で、物語を生む。これから広げたい世界だ。



恋しきや 夕日のように 燃えていた オレンジたちは 今消え夜に

自分も感化されて短歌を作ってみた。
毎日あんなに食べていた蜜柑がなくなって、悲しい。あの頃が恋しく思います。





2月25日(日)

嵐山光三郎『追悼の達人』を読む。
「永井荷風」編を読み終わる。

小説家。
なかなかの自由人だったからか、世間ではスキャンダラスに報道されてしまったのだとか。だから追悼は、それを批判するものが多い。同時に、永井荷風自身の批判も少々。

特に女性に関わることが目を引いたけど…うん。書くのはどうかなあと思うから、省略。読んで確認してほしいなあ。 



大島渚『戦場のメリークリスマス』(映画)を観る。

記事を見て、気になって観てみた。

もうどう表現していのか分からない。
とにかく衝撃的で、日本兵が英国捕虜に対して酷い仕打ちをしたりと、目を背けたい場面も多かった。最初から最後まで結構辛くて、でも止めることが出来なかった。日本人として、観てちゃんと受け止めなくてはいけないと思った。

要約が凄く難しいけど、ざっくり言うと、日本軍捕虜収容所での日本軍と英国捕虜の話。(それにしてもざっくりすぎる…)

戦争によって、生まれるものはないのだと改めて思わされた。でも、今回映画を観て、生まれるものはないけれど、学ぶものはたくさんあるのだなと感じた。

そしてこの映画、なんと言っても俳優たちの演技、特に感情表現が素晴らしい。言わずとも伝わってくる。特に揺れ動く感情。
正直、喋りはそこまで滑らかではない。だから聞きづらい部分もあったりする。あるところなど、吃ってしう部分まであった。でも自分は、あれはあえて撮り直さなかったのではないかなと思った。演技っぽさがあったからこそ、余計に硬い雰囲気が出ていて、軍人らしい緊迫感や臨場感を感じられた気がする。反対に滑らかだったら、この感じは出ていなかったかもしれないとも思ったり。

映像は、どことなく綺麗さを感じた。今の映画や映像のように、明度は少し低めだけど、所々に綺麗だなあと思わされるところがあった。例えば、人の顔だったり、風景だったり、庭の花だったり、蝶々だったり。
だからこそ余計に、吸い込まれていった。

それと、少し男色みがあって最初は戸惑うこともあった。けれどそれも最初だけで、後はあまり気にならなかった。自分はね、自分は。

後、ハラという役を演じる北野武さんが、凄く若くて驚いた。最初に登場してきた時、若っ!となった。

過去の日本のことや未来の日本のこと、海外との関係、観て考えさせられることがたくさんあった。日本という国、そして日本人として生まれたからこそ、観るべく映画だと感じた。たくさんではなく、全ての日本人に観てほしい、そう願わずにはいられない作品だった。

(本当はもう少し書きたいことがあるけれど、ネタバレになりそうなので、とりあえずここまで。もう少しお付き合いできる、大丈夫という方だけ1番下へお進み下さい)





とうとうBlueskyを始めた。
読書感想(noteよりもふわっとした内容)と写真とか、後はまた再熱してきた短歌なんかを投稿していく予定。
SNS系が数億年ぶりだから不慣れ感が凄いし、好きな人たちを眺める…見守る(それも少し違う?)ほぼ見る専の役割が大きいから、あまり稼働出来ないかもしれないけど、見つけた際はよろしくお願いします(?)。






映画『戦場のメリークリスマス』続き。


最後、ロレンスという人物が「正しいものなどどこにもない」と言う場面がある。まさにその通りだなと思った。そして、それはこの映画を通して思ったことでもあった。

どちら側にも正義があって信念があって、どちらも自分たちが正しいと思っている。だから曲げない。だから交われない。でも結局、どちらも正しくなくて…。

最後、無性に感情を揺さぶられた。込み上げてくるものがあって、最後はもう喉も目も痛くなった。
でも何故自分はこんなにも込み上げてくるのか、分からなかった。分からないけど、止まらなかった。
おそらく、悲しいような場面ではないのだと思う。切ないけど、悲しい、という感じてはない、と思う。でも、止まらなかった。
今でも、ハラとロレンスが話す場面、そして、ハラの顔、最後のアップにされた彼の綺麗な黒い目を思い出すだけで、込み上げてくる。
セリアズという人物が、ハラに対して「ヘンな顔だ。でも目は綺麗だ」と言う。それも相まって、最後に目を注目させたことに、自分はこの映画の素晴らしさを感じた。
そして始まりがハラの顔というところにも。

皆狂わされていた。それが正しいと思っていた。正しいから平気で酷いことも出来るし、正しいから恥は死で持って償い、正しいから国のために死ぬ。
傍から見ると狂っていることでも、自分たちは正しい行いだと信じて疑っていない、揺るぎないからこそ、目だけは綺麗。あまりにも純粋すぎたのかもしれない。

ロレンスにはあってハラにはなかったのというのも…。結局巡ってくるということだろうか。

だんだん自分でも何を書いているのか分からなくなってきた。それに書いてるだけでも思い起こられて込み上げてくる。感情がぐちゃぐちゃで上手く書けない。(きちんとしてても上手くは書けないけど)
上手く言えないけど、観れて良かった。知れて良かった。そう思える作品だった。




ここまで読んで頂き、ありがとうございました。
皆様の毎日が笑顔に溢れますよう、願っております。
ではでは。

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