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ドイツ思考で読んでみた上川陽子外相発言

2024年5月

産経新聞・政界徒然草

産経新聞

【川勝平太静岡知事の「知性」発言が浮き彫りにした合理主義の病理 】と題された産経新聞の【政界徒然草】という有料記事を目にした。

が、記事は川勝元知事が使われているタイトル写真とは関係なく、冒頭から上川陽子外相の「この方を私たち女性がうまずして何が女性でしょうか」発言で始まる。

(注 私は有料プランで読んでいませんので、この記事も無料の部分だけしか読んでいません。無料の部分に対してだけの所見ですので、どうぞ悪しからず、、。)

今もあちこちで取り沙汰されている、上川陽子外相のこの発言。

私は、この問題の入り口は【女性=産み出せる】というニュアンスを含んだ発言をする→問題ない、と事前に(←原稿のようなものがあったでしょうから、、。)判断してしまった【認識の甘さ】ではなかっただろうか、と思った。

「うむ」「うまない」というワードだけを問題視するべきではないという人もいるが、そういう人のために、上川陽子外相のこの発言を区切ってみよう。

「私たち女性が」
「うまずして」
「何が女性でしょうか」

どうだろうか?

「うまずして」だけ切り取れば、私も問題は全く感じない。

でもその前後に「私たち女性が」と「何が女性でしょうか」がプラスされると、どうだろう?

そこに「女性」が加えられることにより、「うまずして」という平仮名が、一気に「産まずして」と脳内で変換されてしまうことになる。

私にとっては、特に「何が女性でしょうか」という問いかけの意味、そしてその問いの先にある目的との関係性も理解が出来ない。

更に、私が日本で習った高校までの国語の記憶だと、この「何が〜でしょうか」の後には「否、〜ではない」という否定形がセットになっていたと思う。
その現国のセット構文に当てはめて考えると、「何が女性でしょうか→否、女性ではない」となってしまい、私にはもっと理解出来なくなる。

さて、こんなことは昔だったら問題発言にはならなかった、と令和という時代のせいにする人も少なくないようだが、残念ながら違うと思う。

また、「昭和は今と違って大らかだった」という方も大勢おられるが、本当に昭和はそんな風に大らかで良い時代だっただろうか?

その頃の日本は、「反論の声を上げたくても、上げられなかった」という社会ではなかっただろうか?


ミュンヘン市中心部

ヨーロッパに40年以上住んでいる私が言えることは、上川陽子外相のこのような発言は、ドイツでは絶対に有り得ない、ということ。

それは政治家であってもなくても、女性であっても男性であっても、である。

うみだせても、うみだせなくてもいい。
そう、うみだせても、うみだせなくてもいいんである。
それが何であろうと。
そして女性であろうと男性であろうと何性だろうと、全く関係ないし、誰にとってもなんの問題もない。

ドイツでは、それが普通の社会概念。

「女性は」「男性は」という枠がいい具合に取れていて、ドイツ社会は人が呼吸しやすい状態に機能しているなと思う。(が、ドイツではジェンダーレスが極度に進みすぎている部分もあり、最近おかしな問題も出てきてはいる。それについてはまた別の機会に、、。)



バイエルン州首相府(ミュンヘン)


ちなみに、産経新聞のこの記事を書かれた方は、男性の記者さん。

【上川陽子外相が「この方を私たち女性がうまずして何が女性でしょうか」と発言したことが、子供を産まない女性への差別だと一部マスコミや野党議員が批判したのだ。】と書いておられる。

ではマスコミでも野党議員でもない女性の私が、少し見解を述べさせて頂こうと思う。

上川陽子外相の発言が、「子供を産まない女性への差別」とは私は思わない。
それはゼロか100かの極論で、そういう批判はただ攻撃的なだけだと思うから。

では、もっといろいろな方向に目を向けて、考えのネットワークを拡げてみたらどうだろう。

世の中には【子供を産む女性】【子供を産まない女性】の2種類の女性だけが存在しているのではない。

例えば【子供を授かれない女性】【子供を授かれなかった女性】【母になることを諦めざるを得なかった女性】【子供を産んだが死産だった女性】など、いろいろな【産めなかった女性】が存在するのである。

あなた方の誰もが想像するよりも、驚くほど多くの女性たちが、、、。
しかも日本中に、、である。

そして日本には、子供を授かれなかったがために離縁されてしまったという女性たちも、今から遠くない過去には非常に多くいた、、のである。(いや、今でもそういう境遇の女性はまだまだ大勢いらっしゃることと思う。)

これらいろいろな視点から【女性と「産み出す力」】を考えた時、上川陽子外相の「この方を私たち女性がうまずして何が女性でしょうか。」という発言は、どうだっただろう?

自身が女性である上川外相が女性に向けて、そして社会に向けて発するのに相応しい言葉だったと言えるだろうか?
その言葉は、言う方も聞いた方も、心が痛みはしないだろうか?

上川陽子外相は「真意と違う形で受け止められる可能性がある」として、この発言を撤回している。

が、本当の問題は「真意と違う形かそうでないか」ではないだろう。

上川陽子外相に、女性への真の思いやりの深さ、広さが足りなくはなかったか?

それが一番真ん中にある問題ではないかと私は思う。

sankei.com/article/202405… @Sankei_ne

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