性格が180度変わる!?外国語人格ができるまでの記録
こんにちは、語学の裏設定のゆうです。今日は、外国語で人格が変わるとはどういうことなのかを、自身の体験を例にお話していこうと思います。
そんな可能性を本記事から感じて頂ければ嬉しいです。
例えるなら、ダイエットにおいて1gずつ理想のボディに向かう努力を積むことを可能にするような、自分を信じる感覚や持久力でしょうか。
急に可能性を感じろと言われても、無理があるかもしれないので本題に入る前に、ちょっとだけ英語の例を挙げてみましょう。
英語は「I」とか「my」とか自分を主張する言葉も多いし、「you」みたいに相手に直球を投げる言葉も多いですが、日本語には我を主張する表現も少ないし、相手を名指しする表現も少ないです。
ということから、
毎日少しずつ今までと違ったものを食べ続けると体質が変化するように、今までと違う言語を話し続けると人柄も変化する気がしませんか?
今日の記事は、微細な変化を20数年分追い続ける記事です。
もっとも、事細かく逐一書いていたら物凄い長さになるので、粗削りでポイントを押さえてお届けします。
1.英語力ゼロ、幸福度マイナスの暗黒の20年
荒削りと言えども、いきなり20年をひとまとめにするなんて、荒すぎないか?
と思われるかもしれませんが、読んでいて鬱になりそうなパートはさっさと通り過ぎましょう。鬱は感染しますからね。
今はNoteを書いているように、当時は日記をつけていました。これが高校生の頃の日記です。疎、とか、鬱度合いを示す下矢印に溢れていてヤバイです。
「おはよう」すら交わされない、そんな生活が大学まで続きました。
2.英語だと「明るいね」と言われた語学留学時代
スティーブ・ジョブズは言います。
鬱生活から開放してくれるのは「死」であると当時のわたしは思っていたので、大学2年の夏に思い切ってオーストラリアに語学留学に行きました。
当時の私は英語は話せません。Can I go to toilet?とかいう単文をかろじて作れるレベルです。しかし、
プロフィール記事にも書いたとおりなのですが、そんな英語でも、「英語を話していると明るいね」と言われ、英語に可能性を感じます。
といっても、サンマさんみたいに明るく面白くなったわけではありません。明るくなる「瞬間」がたまに訪れる程度で、ベースは相変わらず闇でしたが、確かな変化はありました。
初めて、英語でスピーチをしたのです。
肉片が喉につっかえたみたいに、言葉が出てこなくて、大失態でしたが。
3.英語を頑張った時期
人の成長は未熟な過去に打ち勝つことだ。
何としてでも英語を身に着け、暗い自分に打ち勝ちたいと頑張るも、何度繰り返しても覚えられない。
覚えられない。
覚えられない。
覚えら...
...れない。
(ヤバすぎ!何この、、、、勉強の痕跡!)
(刑務所に入った人が描くような絵、、、)
呪物化したんじゃないか?
悔しくて、口の中に血の味を噛み締めながら何度も英単語を書きまくった。
本気だったけど、
能力のない意思では、這い上がることはできないと学んだ時期でした。
いくら「やるぞ!」という気持ちが強くても、アプローチの仕方が間違っていれば無駄になることも学びました。努力はベクトル。その向き(努力の方法)も長さ(努力量)も大切なんだな...というのは下の記事に以前まとめました。
4.やっと英語が伸び始めた時期
伸びない時期があるからこそ、急に伸び始める。
人類も、野蛮で未開拓な時代が6500万年ほど続き、産業革命から数世紀で急激に進化し始める。
英語の学習も同じで、多言語学習法に出会い学習法革命を遂げてからは、速かったです。
今度は正しいやり方で学習したので、話せる実感を感じることができ、それと同時に前向きに考えられるようになってきたので、
もっと英語に触れたい!
前向きに生きたい!
と思い将来は海外で住むぞ!と決意しました。
「Awesome」や「Fantastic」、「Great」とか、過剰にポジティブな言葉が多いのが英語の特徴ですが、そういったのを相槌にしている内に、段々「明るいね」と言われる回数も多くなり、前ほど鬱ではなくなりましたし、自分から話しかけるようにもなれていました。
このように英語に対して前のめりになっていたので、1年ほどで中学英語からTOEFL96点に到達できました。
5.英語人格が強すぎた渡豪前
奢り始めたら、負けである。
こんなに英語で人が変わるんだ、英語は凄い!
恥ずかしい話、この頃の私は英語こそが正義であり、至高であると勘違いしていました。
確かにグイグイ行けるようになりましたが、英語以外の言語は全部劣っていると思っている時期が、実は私にありました。
嫌なやつですよね!
自分の中で英語人格が暴走していた時期です。
幸いそんな時期はすぐに過ぎ去りました。
痛みを伴って。
オーストラリアでは、友達の8割以上が中国人で中国語ができないと仲間に入れてもらえなかったのです。ゆえに、英語で得意がっていた私は、孤立。。。!
中国語が話せないからコイツ(私)は仲間ではないと、
言語で差別され初めて自分の過ちに気づいたのです。
お互い外国語だと相手の脳は理解できるけど、
相手の心の奥までは分からないんだ!
と理解したのはこの頃でした。
6.中国語にのめり込んだオーストラリア時代
相手の心を理解するには、相手の母国語を通して相手の心に入らなきゃいけない。
そう思った私は、中国語の勉強を始めたのです。
その効果は一目瞭然でした。
単語を組み合わせて話せるようになるや否や、仲間に入れてもらえるし、家にも呼んでもらえるように。
ここにて人生はじめての友達ができます。
中国人たちでした。
とっても嬉しかったので
英語は捨て、毎日中国語の勉強をしていました。(←言語浮気)
仲間に入れてもらえるのが嬉しい、
人と話すのが楽しい、
生きるのが楽しい。
楽しいから勉強がぐいぐい進む、実力も伴ってきて、1年半で中国語検定HSKの最上級に到達できたくらいでした。
人格はどうなっていたかと言うと、日本語人格と英語人格は休眠中で、中国語人格が活発だったので以下のような人でした。
・超前のめりで話す人
・中国人とすぐに友だちになれる
・タフになった
中国人は世界中どこにも居て、強いネットワークを形成しています。
どういう過程で中国人式ネットワークが出来るのか?
自分の中に中国語が流れ、中国式の思想が生まれ、中国人的な人間関係構築術ができるようになったら自然と分かるようになりました。
そんな私の当時の悩みは、
日本語人格、英語人格、中国語人格のバランスを取ることでした。3匹の飼いならしきれていないペットを飼っているような感覚で、コントロールが難しかったです。
7.今現在は?
それから数年が経ちました。
今では、日本語人格・英語人格・中国語人格は個別で機能するようになり、使い分けができるようになりました。もう人格が暴走することもないですし、言葉を変えただけで適宜人柄も変わります。
着たい服を選ぶように、その時その時身に纏いたい人格を選べるようになったので、幅広い人と交流ができています。
そう言った良い意味で外国語人格を複数持つ状態のことを「虹色人格」と呼んでいます。
洋服にTPOがあるように、人格にもTPOがあるのですね。
TPOを使いこなすと対人関係が円滑に進みます。
今ではイベントを主催して、大体の人であれば仲良くなることができ、人当たりが良いと言われるくらいです。
初対面の人は、昔私が暗かったと言っても信じてくれないレベルに。
8.まとめ
私達の体は食べ物でできています。
ならば、私達の心は言葉でできているのでしょう。
体験が心を作っていると言うかもしれませんが、言葉によって体験も変わってきます。
そうであるならば、試験で点を取るためだけに外国語を学ぶのはもったいないように思います。
異なる食べ物を摂り続ければ、違った体になるなら、
異なる言語を話せば、異なる心、つまり人格を持つことができ、
生き方も変わってくると思うのです。
というのが、私が今まで生きてきた中で、確実に残したいメッセージの1つであると自負しています。
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