「 うぬぼれなのかもしれないけれど、それでも。 」

自分を特別と思っているだろうか。

私はいつでも自分を特別だと信じて疑わない。
特別な存在だと思っている。そう信じて生きているし、それに基づく振舞いを意識している。

その理由は二つある。
まず、ひとつ、そう思わないと立っていられないから。

これは傲慢で凄く恥ずかしい思考なのかもしれない。
でも強いと見せかけて、本当は弱くて、怖くて怖くて仕方がない。
だからこその、暗示のようなおまじないのようなものだ。

自分をどうにか立ち上がらせて踏ん張ることのできるように。弱い自分を守るために。

私の人生、上手くいかないことが多い。
苦しくて泣きそうなことが多い。
多いというか、いつでも何かにつまずきながら思いながら、私の歩みはゆっくりだ。

その苦しみを表現化する必要もないと思うし、それを気づかれないようにやり過ごし誤魔化し、他の明るい面を際立たせ陰の部分を見えなくする術も心得た。

不器用でゆっくり進んでいる自分をちゃんと大切にしてあげたいと思っている。
でもたまにそんな自分に飽き飽きしてすべて放り出し、もうすべてやめてしまいたい時がある。
そんなとき、このおまじなが私を支える。
私を大切にしなくちゃ、もっともっと自分の伸びしろを見つけてあげなくちゃと思わせてくれる。ぐっと踏みしめ立ち上がる。このままが私ではなく、もっと素敵な自分がいるはずだ、いてほしいと願う。

傾きがあるからこそ、欠きを感じるからこそ、どこかにその分秀でている部分があってほしいというすがるような願い。
欠きを日々感じている。その分の秀でた何かを見つけたい。その存在を私は信じていたいと思っている。

ふたつ、「特別である」と思わないよりも思っていた方が、人生が少し華やかで凛と美しくなると思うから。

特別かそうでなかったかの答え合わせはずっと先の未来。
いまからその選択肢を、未来を、自ら消し去るのは少しもったいない。

でも考え続けていてもきりがないし、考えている暇があったら自分を律し高めることに時間を費やしていきたい。

「もし自分に才能があれば、それを尊重する。
そのために平安や婦人や酒や虚栄を犠牲にする。
人々に対して教育的な影響を与える使命を帯びていることを自覚している。健全な精神の宿る健全な体を求める努力をする。」

私を励ます言葉。勝手に自分へ向けられた言葉と思っている。
自覚する。そのうえで、丁寧に整え、管理する。できることをやっていく。

これからも自分のことを特別な存在と思って生きていく。
それでいいと思う。
私も、あなたも、みんな特別だ。

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