毎日、1ミリずつ進むようなことを、絶対にやめないこと
一辺が2メートルにも満たない正方形。
この病床が、私の世界。
これでも私には広すぎるくらいだ。
ふとんの外へ足を延ばしてくつろぐことさえ、できやしない。
--正岡子規の『病牀六尺』の出だしをいまふうに変換するとこんな感じでしょうか。
大病を患った歌人。寝返りを打つことさえ苦しかった彼は、小さな部屋から見えるものを克明に描写し続けました。
何を食べ、何を飲み、誰に会ったか、主観を排した淡々とした記述がつづきます。
平田オリザさん曰く、これは当時画期的なことだったらしく
病牀六尺の世界から、喜びを見出す。文学の新しいスタイルを示す。そんな彼の生き様が夏目漱石を文学へと駆り立てたのだとか。
彼は、病苦の中にあって前を向き、歩み続けた人だったと思います。
<丹念に見る人が、世界を変える>
僕は、こういう話がとても好きです。
大げさかもしれませんが、人間の尊さを感じる。
考えてもみてください。
人生で一番体が痛くて重くて、言うことを聞かなかった日、覚えてますか?
人生で一番未来を見失った日の感覚は?
もしもそんな状態が毎日続くのだとしたら、それでも淡々と世界を見つめられますか?
腐らずに喜びを見出せますか?
僕もまだ少し自信がありません。
未来がどうかに関係なく、淡々と生きる。何を得られるかなんて期待しすぎず、目の前のものを尊ぶ。
その姿勢は、周りから見れば受動的で、何もしていないようにすら見えるのかもしれません。
でも、僕は違うと思う。
狭い世界を丹念にみて、そこから何かに気づき、苦しさにも平然とし、幸福へ至る。
手持ちのものを、少し切り口を変えることで力を引き出し、自分も知らぬ間に、世界や100年後の未来に轟くものに変換している。
こういう生き方にもっとも胸を打たれるし、畏敬の念が湧いてくるのです。
<味わう日の来ない生活>
僕たちは今や世界中の人やものにアクセスできます。絶えず刺激に誘惑され、さまよっている。
携帯が普及し始めてから主婦の不倫が激増したという話がありますが、人の心はそれほどに誘惑に弱いのだと思います。
無限に押し寄せる広告、顔も名前も知らない誰かの発信に誘惑され、ぼくらは節操なく次から次へと新しい物、人、情報をむさぼり食う。
何かを味わい飲み込む前に、また次のものへ次のものへと手を伸ばす。
もっと早く、もっときれいに、もっとたくさん。
でも、僕らの外にあるものがどれだけ増えても、きれいになっても、僕らの時間や体や心は大昔と変わりません。
外部の何もかもが激しく移り変わり、なめらかになっていく中で、それを経験する自分だけは醜い部分を持ち、ノロマで、できることも時間も少ない。
そのギャップが、僕らを苦しめているのかもしれません。
なんとなく退屈で、なんとなく自分が嫌いで、気持ち悪くて、なんのために生きていったらいいのかわからない。
これが、ゆっくり味わうことを軽視した現代性への罰なのだとしたら、僕らは今一度、何かに流されずにゆっくりと本をノートに書き写したり、景色を手で描いたり、ただぼーっとしたり、そういうじっくりと見ることを復活させる必要があるんじゃないか。
磨くことを忘れた濁った眼で、どこかに最高のものがあるんじゃないかと彷徨っている人たち。
もしも今、正岡子規が僕らのことを見たら、こんなふうに言うんじゃないかという気がしてなりません。
<僕が生まれる前に夢を諦めた物書きの先輩>
ええと、前置きが長くなりましたが(前章はじゃっかん主題からズレてるし)、実はここからが本題です笑。
今日は、ある方の紹介をしたかったのです。
正岡子規について書きたかったのではありません。
ではなんでこんな書き出しにしたのかというと、その方の生き様も子規のように、100年以上を経た先にいる人の心を震わせるようなものだと思ったからです。
それくらい、その方の人生に僕は胸を打たれました。
ではでは。
先月、僕が生まれるより前にスポーツ記者をされていた大先輩とお話をさせていただきました。おちまことさん(以下越智さん)です。
歌手のさだまさしさんにお声と姿が似ていらっしゃる優しい雰囲気の方でした。さだまさしは、「関白宣言」のあの人です。
越智さんは、現在61歳。26歳の時に「ずっと書き続ける」と決め、フリーランスのライターに。
前途は揚々。書くことだけで生活していくんだと、そんな夢を描き、踏み出して10年。37歳のときです。
を送ることを余儀なくされました。そこから実に19年間、ほとんど僕が生きた長さにあたる時間を介護に当ててこられたのでした。
越智さんは、ご自身も心臓の病気を持っておられる身。そんな中で奥様と共にとはいえ、二人の介護。
その生活が始まった時の心境はどんなものだったのか。
越智さんの人生を考えると、自分1人のことだけを考えればいい人生なんて楽なものだなと思えます。
僕は、ある意味親も弟も無視して、自分のやりたい事に専念してきました。今だってそうです。
そしてそれができたのは、たまたま運がいいことに、家計が苦しいとはいえ、なんとか自分でやっていけるだけの体と心と頭を持った家族がいてくれるからだったのです。
<それでも書き続ける>
越智さんの苦悩はまだ続きます。19年に及ぶ介護生活が終わりを見せたところで、今度はコロナ禍がやってきたのです。
ただ、そんな中でも越智さんはずっと文章を書き続けていました。
コロナ禍よりも前から。コロナ禍の中にあっても。ずっとです。
どんなに新人賞で落とされても、ライターの仕事にならなくても、介護が辛くても、お母様が亡くなられた時にも、書き続けていた。
必ず毎日、何かしらノートに書き殴った。実に10年以上。
「毎日、1ミリずつ進むようなことを、絶対にやめないこと」
越智さんのこの言葉に乗っている重みは、本物です。僕が正岡子規を浮かべたのもわかっていただけるのではないでしょうか。
僕はぜひあなたにも越智さんのnoteを読んでもらいたい。
つぶあん・こしあん論争とか、そんな日常の出来事から考えたことを、毎日投稿し続けています。
家から遠くに出られない中で、これだけ豊かに、朗らかに文章を紡いでいる方がいるのです。
読んでいて微笑ましくなる、たまにクスッと笑える越智さんの文章が僕は好きです。
<大切な誰かと共有する素朴な喜び>
「越智さんて、日常の小さな変化を楽しむ天才ですよね。枕草子とか徒然草とか、そんな作品と通ずる豊かさを感じます。でもどうして、そんなふうに楽しめるのでしょう?」
少し薄暗い自室にいる越智さんに、zoom画面越しで聞きました。
「妻がそういうの上手なんですよね」
少しはにかみながら、越智さんは答えてくれました。
彼の奥様はたとえば、家の外にほんの小さな謎の花を見つけると、嬉しそうに彼を呼びつけ、その花の名前と魅力を伝えてくれるのだそうです。
何かをどこか遠くに手に入れようとするのではなく、いつも見ているつもりの場所の、まさにそこにあるささやかな喜びに気づき、愛する人に共有すること。
これが人としての尊さなんじゃないでしょうか。僕は話を聞いていて泣きそうになりました。
小さかった頃、今はいない父とキャッチボールをしたことや、入院中に出会った人たちとのこと。いろんな、素朴ではあっても満たされた瞬間を思い出しました。
あぁ、こういう瞬間が最高の幸せなんだよなと思って、ジーンとしたのです。
自分の体と大切な人の存在さえあれば、そこに見出せる喜び。
ふと1年前に自ら命を絶った友人のことも思い出しました。
何も持たなくても、何も付け加えなくてもすでにそこにある幸せを、僕らがずっと前から知っていたら。僕はまだ生きている彼女に会えたのだろうか。
進むことからではなく、味わうことから、満たされることから始めるということを越智さんから教わった気がしました。
<僕も書き続ける>
最後に。
越智さんの半分も生きちゃいませんが、僕にもそれなりにいろいろありました。これからも、これまで以上の難題や辛いことが何度も襲いかかってくるんだろうと思います。
それでも、僕も僕がやると決めたことをやり続けます。
何があっても何か学び、楽しみを見出し続けます。
毎日1ミリずつ進むようなことを、絶対にやめないでいます。
亡くなった友人が僕に宛てて書いた「やりたいことを、やれ」というメッセージを全力で真に受けようと思います。
いつか僕が死んで彼女に会うとき、「俺の人生を見てたか!生きていた方が面白そうだったろ? でも、君がいたらもっと面白い人生になってたぞ」と笑って言えるように生きていきます。
だから、越智さんも書き続けてくださいね。
しばらくは少し忙しい日が続きそうですが、必ずいつかは読みます。
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