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倭姫命様を守る龍神 元伊勢二八 神話は今も生きている ことの葉綴り三五四

祈年祭(としごひのまつり)


こんにちは。今日は午後に「ことのは綴り」のひとときです。
二月十七日は、宮中と伊勢の神宮、そして全国の神社で、「祈年祭(としごいのまつり・きねんさい)」が執り行われます。
皇居では、宮中三殿で、天皇陛下が、春の耕作のはじめの時期にあたり、天照大御神さまをはじめの神々へ、この一年が五穀豊穣であることを祈願されます。
それに合わせて、伊勢の神宮でも、天照大御神さまをはじめとする神々にお食事をお供えする「大御饌(おおみけ)」の儀が執り行われます。
そして天皇陛下の幣帛を奉る「奉幣(ほうへい)の儀」が、勅使(ちょくし、派遣された使者)により行われます。

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これは、天照大御神さまが、孫神の邇邇芸命(ににぎのみこと)さまの「天孫降臨」のときに、高天原の「斎庭(ゆにわ)の稲穂」を授けられたことにはじまる、重要なご神事です。
は「祈年祭(としごひのまつり)」で、豊作を祈願
は、収穫に感謝する「新嘗祭」が、執り行われます。

さて、物語は、伊勢の神宮ができるまでの、天照大御神さまの御杖代(みつえしろ)となられた倭姫命(やまとひめのみこと)さまの「元伊勢」の続きとなります。
※これまでの1~343回までの、神代~の13の神話の物語のまとめはこちらです。お好きな神様の物語をご覧になってください。


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柘植川の七色の龍

倭姫命(やまとひめのみこと)さまの御巡幸。
大和国「御室嶺上宮(みむろのみねのかみのみや)」から、
大和国「宇多秋宮(うたのあきのみや)」「佐佐波多宮(ささはたのみや)」で四年間。
伊賀国「市守宮(いちもりのみや)」に二年間。
同じ伊賀国「穴穂宮(あなほのみや)」で四年間、
その後、伊賀国「敢都美恵宮(あへつみえのみや)」で二年間、天照大御神さまをお祀りされました。

この「敢都美恵宮(あへつみえのみや)」のときのことです。
近くを流れる柘植川で、倭姫命(やまとひめのみこと)さまが、心身を清める禊で潔斎されていました。

あるとき、倭姫命さまが、柘植川で禊をされていると、
白衣姿の老人が、倭姫命さまの警護にあたる、「五大夫(ごたいふ)」の一人、武日命(たけひのみこと)に、
「あの敢都美恵宮(あへつみえのみや)をお建てになったのは
どなたでしょう?」と尋ねてきたのです。

武日命(ためひのみこと)が
「活目入彦五十狭茅天皇(いくめいりひこいさちのすめらみこと)の皇女の倭姫命(やまとひめのみこと)さまです」
と、答えると、との老人は姿を消して、七色に輝く高貴な龍神に姿を変えました。驚いた武日命(たけひのみこと)が、あとを追いますが見つけることはできませんでした。

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倭姫命さまを見守り続ける龍神

けれど、そののちも、倭姫命(やまとひめのみこと)さまが、柘植川で、禊をされると、なんと幾度も幾度も、この美しい七色の龍は姿をお見せになったそうです。

そして、天照大御神さまをお祀りする、倭姫命(やまとひめのみこと)さまご一行を、優しく見守ってくださっていたのです。

この地に日照りが続いたときには、この七色の龍は、恵みの雨をもたらして、倭姫命(やまとひめのみこと)さま一行だけではなく、この土地の皆を守ってくれたことから、その地には「雨龍(うりゅう)神社」を建ててお祀りしたそうです。
今も、石碑が残っているそうです。
美しき清らかな斎王の倭姫命(やまとひめのみこと)さま一行を、見守り続けた七色の龍神さま

なんか、素敵な出会いというか物語ですよね。
そして、この伝統は、地元に今も尚伝わっているのですね。

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―次回へ

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