見出し画像

「伊勢はうまし国」天照大御神様のご馳走を求めて 元伊勢一二五 神話は今も生きていることの葉綴り四五五

五月二十九日は呉服の日

おはようございます。五月の最後の週末ですね。時の流れが早いですね。
天候も変わりやすいですが、皆さま、今週もお元気でしたか?
私はヨガに行く前に、「ことの葉綴り」のひと時です(^^)
五月二十九日は、ご・ふ・く、「呉服の日」
ちょうど、天照大御神さまに奉る「神御衣(かんみそ)」の「機織り」について綴っていましたが、絹、麻の糸を紡いで機で織りあげていく着物。その元も、神話の世界からつながっている、のですね。

画像1

海女の祖「お弁さん」

さて、神話の物語に入ります。
<ふりかえりはこちらです> 
「ことの葉綴り」神様の物語……神代~神様ごとに、マガジンにまとめております。

天照大御神さまが、伊勢の神宮にお祀りされるまでの、これまでの「元伊勢」の物語は、4つのマガジンにまとめてあります。
よかったらご覧くださいね。

初代の斎王、豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)さまの、ご巡幸の物語は、こちらをご覧ください。

二代目の斎王となられた倭姫命(やまとひめのみこと)さまの、伊勢までの物語はこちらを。

倭姫命さまは、天照大御神さまを伊勢の「五十鈴の宮」にお遷し申し上げられ、すぐお近くの「斎の宮(いつきのみや)」で、お仕えされます。
天照大御神さまの朝な夕なにお供えする御贄(みにえ)のご馳走を探し求めて、志摩国へと御船で幸行なさいました。
そこで「お弁」さんと出会います。
あまりにも美味しい国崎(くざき)の鰒(あわび)は、それ以来、「熨斗あわび」として、天照大御神さまに奉ることになりました。
この「お弁」さんは、海女の祖として、「海土潜女神社(あまかずきめじんじゃ)」さんのご祭神としてお祀りされて今も、海女さんたちや、ダイビングをする人たちに崇敬を集めています。

画像3

天照大御神さまのご馳走「御贄」を求めて

戸嶋・志波崎・佐加太岐(さかたき=酒滝)嶋を定め給ひて、伊波戸(いはと)に居給(いたま)ひて、朝(あした)の御気(みけ)夕べの御気(みけ)処を定め奉る。



志摩国の国崎(くざき)で、お弁さんと出会い、美味しい鰒(あわび)を、天照大御神さまの朝と夕のお食事に奉ることをお定めになった倭姫命さまは、この貴重な鰒(あわび)を採るための、神聖で清らかな海女さんたちもお定めになりました。

そして国崎から、天照大御神さまのもとへとお還りになるときに、倭姫命さまは、岩戸に腰をお降ろしになり、戸嶋、志波崎・佐加太岐(さかたき=酒滝)嶋などの離島の一部を、天照大御神さまの朝夕のお食事の「御贄(みにえ)」を用意する神域とお定めになります。
このとき、神域となった佐加太岐(さかたき=酒滝)嶋は、現在の鳥羽市の対岸に浮かぶ坂手島(さかてじま)や答志島(とうしじま)の西側だそうです。

画像3

伊勢志摩の離島

伊勢志摩には、離島も多くありますね。鳥羽から伊勢の五十鈴の宮にお戻りになるときにも、倭姫命さまは、天照大御神さまがお喜びになられるような「御贄(みにえ)」を探されたのですね。

坂手島(さかてじま)は、倭姫命さまは、御船で幸行されましたが、現在は、鳥羽市の鳥羽マリンターミナルから高速船で10分。
ちょうど5月半ばから6月はカキツバタが咲き誇り、この島の風物詩だそうです。

答志島(とうしじま)は、鳥羽湾最大の島。鳥羽マリンターミナルから、高速船で約23分。漁業が盛んで、海女さんたちの「海女小屋」もあり、一緒に新鮮な魚介が味わえるそうです。

画像5

神さまも人も「衣・食・住」は暮らしの元!

倭姫命さまの、天照大御神さまの「御贄(みにえ)」のご馳走さがしは、まだ続きます。
私たちにも、「衣・食・住」が暮らしには欠かせませんよね。

天照大御神さまが五十鈴の宮「住」にお遷しもうしあげて、つぎに神御衣(かんみそ)まさしく「衣」
そして、「熨斗あわび」をはじめ、「御贄(みにえ)」の「食」をと、倭姫命さまは、皇太神(すめおほみかみ)さまが、伊勢の国にお鎮まりになられてかららも、さらにお喜びになられるように、一生懸命に“整えて”いかれているのです!!

それにしても、「伊勢は可怜(うま)し国」「美し国」とも。
倭姫命さまが、ご馳走を探しに幸行された伊勢志摩のグルメも味わいに行きたいです!!! 
ではでは。楽しい週末をお過ごしくださいね。
いつもありがとうございます。

画像5

―次回へ
#一度は行きたいあの場所



この記事が参加している募集

一度は行きたいあの場所

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?