討伐“相棒”副将の妹も妃に 倭建命様其の五九 神話は今も生きている ことの葉綴り五八八
寅の日の土曜日です!
おはようございます。木曜夜の地震の影響、大丈夫でしたか?
いつ、何が起こるか、本当にわかりませんね。
どうか、大難が小難に、小難が無難でありますように!!
今日も一日、皆さんが平穏で健やかでありますように!
今日の写真は、昨日の「寒露の日」の美しい朝の空です!
十月九日(土)の暦は、六曜は「赤口」昼前後の正午だけが吉。新しく何かを始めるのは避けたほうがいい日。
十二直は、物事の善悪が決まる日の「定」。
二十八宿は「胃」で、こちらは、婚礼、開店、開業、就職、求職、引っ越しにいい日。
そして「寅の日」の吉祥日です。出したお金がすぐに戻る金運招福です。
この一週間は余震にも注意をして過ごしたいですね。
倭建命さまの系譜 四回目
第十二代景行天皇の皇子、悲劇の英雄神、倭建命(日本武尊)さまには、七柱のお后(妃)さまがいました。
系譜のご紹介、もう四回目(笑)。
神話の物語を紹介した本や絵本でも、系譜まではなかなか紹介されていないので、私も、学びながら綴っているのですが、「建部」の地の由来が、父の景行天皇さまが、皇子を偲ばれておつけになられたことや、「建部神社」さまの創始が、お妃さまと御子さまが、神さまのお告げにより、愛する夫・父の倭建命(日本武尊)さまをお祀りされたのが由来になっているなど、何か、心や、繋がり、鎮魂、尊い祈りのこころ、愛情を感じて、心動かされることが多いです。
読んでくださる、皆さんはいかがでしょうか?
前回は、倭建命(日本武尊)さまの子孫に、最後の遣隋使であり、最初の遣唐使となられた方もいましたね!
さて、今日も続きをみていきましょう。
毎回、漢字が多いのはすいませんが、宜しくお願い致します。
倭建命(日本武尊)さまの、これまでの物語は、こちらをご覧ください。
<ことの葉綴り>全体のご案内
この「言の葉綴り」は、神話の物語を神さまごとに「マガジン」に分けて、すべて読めるようになっています。
「神さまも“失敗して成長した”」と、魅力的な神さまごとに18のマガジンに分かれています。
困難な東征の“相棒”副将の妹が妃に
倭建命さまの、四人目のお妃は、
大吉備建比賣さまと仰います。
兄は、吉備臣建日子さま。
倭建命さまの母上も、針間の伊那毘能大郎女といい、吉備臣の祖、若建吉備津日子の娘です。吉備とご縁がありますね。
そして、覚えていらっしゃいますか?
倭建命さまが、東国の征伐に向かうときに、父の天皇が、吉備臣の祖、御鉏友耳建日子さまを、副将にと遣わされたこと……。
どうやら、この|吉備臣建日子《きびのおみのたけひこ》さまは、御鉏友耳建日子さまのようですよ。
十六~七歳で、東国の討伐へと向かわれた倭建命さまの副将として、何度も命の危機にも遭い、十五年以上も討伐の旅をご一緒していた副将。
倭建命さまを、ずっとお側でご一緒にいて、共に戦い、助け合い、悲しい別れもご覧になられ、深い信頼関係で結ばれた“相棒”だったのでしょうね。その”相棒”の妹が、お妃になったのですね。
ここでは、倭建命さまの、男と男の“友情”“信頼”関係を感じちゃいますね。
いかがでしょう?
その妹であるお妃の、大吉備建比賣さまは、御子、建貝兒王さまをお産みになっています。
こちらも、父「建」の名がついていますね。
この御子、建貝兒王さまは、
讃岐の綾君、讃岐の阿波の国の祖。
|伊勢の別《いせのわけ》、伊勢の祖、
登袁の別、
麻佐の首、地名は不明。
宮首の別等の祖先となった……と、あります。
ふう~四人のお妃と御子さままでご紹介しました!
あと、二人のお妃さまは、次回に!
いつもありがとうございます。
―次回へ
#一度は行きたいあの場所
#私の作品紹介
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