崇峻天皇さまの悲劇 “神話は今も生きている”ことの葉綴り 八六一
大安吉日の日曜日
おはようございます。七月十日(日)。選挙ですね。私は昨日、初めて期日前投票してきました。
今は、ちょっと遠出中。雨がかなり降りそうです。皆さんは、いかがお過ごしになりますか?
さて、暦では、六曜は「大安吉日」。万事よし。婚礼、結婚式多そうですね。引っ越し、旅行、新しいことをスタートするのも吉。
十二直は「執」と書いて、「とる」で、まさしく物事を執り決めたり行うのによい日。祭祀、お参り、婚姻、結婚などお祝い、建築、種を蒔くこと、五穀を取り入れもよしです。そして二十八宿は「虚」で、学問を始めたり、学びはじめ、衣類の新調に吉の日です。
皆さんにとって、佳き休日でありますように!
さて、だんだん終わりが見えてきている、『古事記』の神話に入ります。
漢字が多いのは、相変わらずですが(苦笑)
宜しくお願いします。
前回は、厩戸皇子こと聖徳太子さまが登場しました。
<note「ことの葉綴り」振り返り>
これまでの「ことの葉綴り」“神話は今も生きている”振り返りはこちら。
よかったら、お好きな神さまの物語をご覧ください。
第三十二代、崇峻天皇さま
第三十代、敏達天皇さまのあと、同じ、二十九代欽明天皇さまの御子で、
蘇我稲目の娘を母に持つ、第三十代、用明天皇さま。
用明天皇さまが三年間天下を治められ、身罷られます。
このあと、同じく、蘇我稲目の娘(または妹とされる)を母に持つ、長谷部若雀命さまが、皇位を継承されました。
第三十二代、崇峻天皇さまです。
大和の倉橋に柴垣宮をおつくりになり、四年間の間、天の下を治められました。
そして壬子の年の十一月十三日に身罷られます。
御陵は倉橋の丘の上にあるそうです。
と、蘇我稲目こと蘇我氏が、メッチャ食い込んでる~って思いませんか?
これがのちの「事件」にもつながっていくのですよね~。
史上初めて、唯一暗殺された天皇?
蘇我稲目の息子、蘇我馬子も、父とおなじように、敏達天皇さまの御世に、大臣となり、強固な地位を確立していました。
そして蘇我稲目の息子、蘇我馬子により………。
なんだか、兄の敏達天皇さまが十四年。弟の用明天皇さまは、三年間。
同じく弟の崇峻天皇さまも四年間と、兄弟での継承は、ご即位されるのが、お年を召してからになるので、天下を統べられる期間も短いのですね。また皇位継承を巡る悲劇も、すでに物語に登場しましたよね。
三年、四年と、「選挙」の任期のようで、あっという間ですね。
そして、この崇峻天皇さま……実は、史上初そして、唯一、暗殺された天皇……なのです。
なぜ、そうなったのか? 兄弟間の継承に、蘇我氏の力と……みなさん、ご存じかもしれませんが、次回はそこをちょっとご紹介します。
―次回へ
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