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粟皇子神社 倭姫命様に御贄(みにえ)を奉った神 元伊勢一二七 神話は今も生きている ことの葉綴り四五八

一粒万倍日と、皆既月食~金環日食まで

おはようございます。今日も「一粒万倍日」の吉日
いかがおすごしでしょうか?

さて先週、射手座の満月で「皆既月食」+スーパームーンでした。
そして、六月十日は新月+「金環日食」。
それまでの二週間、世の中的には、これまで“隠れていた”ことや“悪しき習慣”が明らかになったりしやすいようです。
私たち、人々の感情も、埋もれていたものが出てきやすくて、知らぬ間に感情的になりやすく、気が付くと『堪忍袋の緒が切れた』ってこともあるんですって。
ということで、この時期は、人とは“争う”ことは避けたいもの
とはいえ、この皆既月食~金環日食の二週間で、上手に“毒だし”できると、人生の、運のデトックスにもなります。
人と言い争うのではなく、新たな未来へ向けた“話し合い”のイメージで向き合いたいですね。
そして、こんな運のデトックス期間は、家のお掃除をしたり、湯船にお塩を入れて、体や気の浄化にも最適です。
今日、お月さまは、夜の18時ころまで「みずがめ座」にいるので。窓やガラスをピカピカにすることが、ラッキーアクションです。
夜18時9分には、お月さまは、「魚座」へ入り、「ネガティブパターンからの脱却期」に入ります。お手洗いを粗塩でぴかぴかにお掃除したり、やはり湯船に、粗塩やアロマオイルを入れて、足裏をマッサージして、“毒だし”がいいようですよ運気の変わり目、季節の変わり目、皆さま、健康に気をつけて過ごしましょう。

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「ことの葉綴り」ご案内

Mimosa777さんが、「倭姫、伊勢神宮、日本の神々、大和魂などが大好きです」とコメントをくださいました。ありがとうございます!!感激です。
また↓こんな嬉しいお知らせも! ありがとうございます。
そして今日も、神話の物語、綴っていきます。
皆さん、宜しくお願いします。

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と、この「ことの葉綴り」ご紹介も……・。
神さまも“失敗して成長した”という魅力的な神様の物語
今から二千年前、伊勢の神宮ができるまでの物語
神話の物語」(『古事記』『元伊勢』の物語)と、
エッセイ」にと、マガジンを分けてあります。
下記の「マガジン一覧」トップページから、スクロールしていただくと、物語別、神様別に「マガジン」が選べるようになっております。
神さまの名前や、ご興味あるものを読んでいただけると幸いです。

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二千年前からの伝統を受け継ぎながら……。

垂仁天皇二十六年。皇女の倭姫命(やまとひめのみこと)さまは、皇祖神の天照大御神さまを伊勢の五十鈴の宮にお遷し申しあげました。
(神代の天照大御神さまは、「神話3 太陽の女神・天照大御神様
垂仁天皇さまの物語はは、マガジン「神話1112」にあります。下線クリックすると、マガジンにリンクされています)

倭姫命さまは、天照大御神さまのお召し物の神御衣(かんみそ)を織るように命じられ、また御船に向かわれた志摩国では、海の幸の「鰒(あわび)」を、献上することを定められました。
伊勢の神宮では、天照大御神さまにお召し物を奉る「神御衣祭」が、
神宮の大切なお祭り三節祭」(十月、神嘗祭、六月と十二月の月次祭)には、志摩の国崎の「熨斗鰒(あわび)」が、今も献上されているのです!

二千年の時を、積み重ねながら、今も、この装束を織る古式ゆかしい機織りも、熨斗あわびづくりも、ずっとずっと受け継がれているのです。

まさに、今の伊勢の神宮に、“生きている“ご神事の礎を、倭姫命さまは、定められていったのです。

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海水の甘い「淡海の浦」

伊勢の志摩国から、五十鈴の宮へと御船でお戻りになるときにも、離島を、天照大御神さまの朝と夕に奉るご馳走「御贄(みにえ)」を用意するところとして、神域にお定めになっていきます。

故に、淡海の浦と号(なづ)けたまひき。
伊波戸(いはと)居嶋(ゐしま)の名を、戸嶋(としま)と号(なづ)けたまひき。
彼(か)の刺したる処の名を、柴前(しばさき)と号(なづ)けたまふ。
其れ従り(それより)以西(にし)の海中に七箇の嶋在り。
其れ従りの以南(みなみ)の塩(しほ)、淡く甘かりき。
其の嶋を淡良伎(あはらき)の嶋と号(なづ)けたまひき。


倭姫命さまが、お船を留めていたところに、自ずから寄ってきた大小さまざまなお魚や海藻類。そこは、海流の流れが和らぎ、塩が薄味だったことから、「淡海の浦(あふみのうら)」と名付けられます。
そして、岩戸居島(いわといしま)を、戸嶋と、その指したところは、柴崎と名付けられました。
そして、そこより西の海中には、七つの島があり、またそこより南の潮が、とても淡く甘美でしたので、その島を、淡良伎(あわらき)島とお名づけになりました。

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倭姫命さまに御贄を奉った淡海子神

其の塩淡(しほあは)の満ち溢るる浦の名を、伊気(いけ)の浦と号(なづ)けたまひき。
其の処に参り相ひて、御贄(みにえ)仕え奉る神を、淡海子(あふみこ)の神と号(なづ)けて、社を定め玉ひき。

淡く甘かりき」の海水って、どんななのでしょうね? 
とても滑らかで柔らかく透明感があり、清いって感じがしますね。

倭姫命さまは、その淡い塩が、満ち溢れる浦の、伊気(いけ)の浦とお名づけになりました。
そして、この甘美な塩が満溢れる浦で、地元の神さまが、倭姫命さまのもとへと参りました。
そして、この伊気浦のご馳走を、倭姫命さまに奉られます。
倭姫命さまは、喜ばれて、ご馳走「御贄(みあへ)」を奉った神さまを、淡海子神(あふみこのかみ)とお名づけになられます。
そして、そのお社をお定めになりました。

こちらが、「粟皇子(あわみこ)神社さんです。
伊勢の神宮の摂社になります。
あ~やはり伊勢に行きたい!!(笑)
こちらの「粟皇子神社」さんも、めちゃくちゃお参りしたくなりました!!
なんと、池の浦のホテルのプライベートビーチに「粟皇子神社」さんは、ご鎮座されているのですよ~!!!

次回、もう少し詳しくご紹介します。
今日もみなさま、佳日でありますように。

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―次回へ
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