厩戸皇子登場! “神話は今も生きている”ことの葉綴り 八六〇
祈りと慈しみの種をまこう
おはようございます。遅めの週末の朝、「ことの葉綴り」に向かいます。
あまりにも大きな衝撃に言葉もでないですね。心が痛みますね。
さて七月九日(土)、六曜は「仏滅」で勝負なしの日。勝負事はさけてよし。十二直は「定」で、物事の善悪が定まる日。種まき、引越し、建築などに吉。二十八宿の「女」は、お稽古始め、発表会、種まきに吉。そしてご神事、お参り、ご先祖供養によしの「神吉日」です。
悲しみの中からも、慈しみの“種”を蒔いていきたいですね。
今日もたんたんと、少しですが神話の続きを綴ります。宜しくお願いします。
<note「ことの葉綴り」振り返り>
これまでの「ことの葉綴り」“神話は今も生きている”振り返りはこちらです。
よかったら、お好きな神さまの物語をご覧ください。
第三十一代、用明天皇
第三十代、敏達天皇さまが、身罷られた後、皇位を継承されたのは、同じ、二十九代、欽明天皇さまの御子で、
母が蘇我稲目の娘、岐多斯比賣の
橘之豐日命さまでした。
第三十一代、用明天皇さまは、大和の池邊(池辺)宮にて、三年間、天下を治められました。
この池邊(池辺)宮は、奈良県桜井市とされますが、伝承地はわからないそうですが、市内の「石寸山口神社」さんではないかとの説もあるそうです。
厩戸の皇子 聖徳太子誕生 用明天皇さま系譜
用明天皇さまの系譜をみていきます。
まず、妃に、蘇我稲目宿禰大臣の娘、意富藝多志比賣を娶り生れたのは
一) 多米王(ためのみこ)
また、同じ蘇我稲目の娘を母に持つ、腹違いの妹、間人穴太部王を娶り生れたのが……
二) 上宮の厩戸豐聽耳命(うまやどのとよとみみのみこと)
そうです!! ご存じの厩戸の皇子!!
聖徳太子さまです!!!
ここで、聖徳太子さまが、誕生するのですね。
父は、用明天皇さま。母方は、メッチャ蘇我稲目の娘揃いですね(^^)
三) 久米王(くめのみこ)
四) 植栗王(ゑくりのみこ)
五) 茨田王(まむだのみこ)
もうおお一人、當麻の倉首比呂の娘、飯女を娶り生れたのが
六) 當麻王(たぎまのみこ)
七) 須賀志呂古郎女(すがしろこのいらつめ)
です。この當麻(当麻)は、大和の国の葛下郡当麻(かつげぐんとうま)の郷で、朝廷の倉の仕事に従事する人たちを統括した氏族だそうです。
用明天皇は、丁未年の四月十五日に身罷られました。
御陵は、石寸(磐余)の池のほとりにありましたが、後に、推古天皇の元年(593年)に科長の陵に遷されました。
「用明天皇 河内磯長原陵(ようめいてんのう こうちのしながのはらのみささぎ)」
大阪府南河内郡太子町にあります。
―次回へ
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