御子四柱が天皇に 欽明天皇 “神話は今も生きている”ことの葉綴り 八五六
いつもより遅い朝(苦笑)
おはようございます。といっても、今朝は遅めの更新ですが。(苦笑)
皆さん、睡眠取れていますか? 私は昨夜メッチャ早めに寝て、何度か目覚めながらも朝もゆっくり寝てました(^^)。
さて、七月五日(火)の暦です。六曜は、「赤口」でお昼前後、正午が吉。(今日の更新、それには間に合いそうで、よかった~)
十二直は「除」で、障害を取り除く日。病院へのかかりはじめ、薬の飲み始めに吉。掃除や種まきもいいです。二十八宿は「尾」で、婚礼、開店開業、建築、設備工事、引越し、なんと、こちらでも薬の飲み始めに吉。体にいいサプリをスタートするのも良さそうですね。そして、ご神事やお参りにいい「神吉日」です。
皆さま、今日もお元気でお過ごしくださいね。地域によっては台風の雨もご注意ください。
さて、神話の続きに入ります。
欽明天皇さまの系譜の続きです。
<note「ことの葉綴り」振り返り>
これまでの「ことの葉綴り」“神話は今も生きている”振り返りはこちらです。
よかったら、お好きな神さまの物語をご覧ください。
御子四柱が天皇に 欽明天皇さま
第二十九代欽明天皇さまは、腹違いの兄の第二十八代、宣化天皇の皇女の姉妹を妃に娶り、四柱の御子をもうけます。
また大豪族の蘇我稲目宿儺大臣の娘の二人が、妃となり、十八柱の御子をもうけたのです。(『古事記』では、うち一人は妹とありますが)。
蘇我氏は、宮中への勢力を強めていきました。
他にも三柱の御子もうまれ、二十五柱の御子をもうけられました。
そして、この 二十五柱の中から、四柱が、その後、皇位を継承されて天皇へとご即位されることになります。
この中で、
最初に、欽明天皇さまの腹違いの兄、宣化天皇の娘、石比賣命さまとの間に生れた御子、
沼名倉太玉敷命さまが、天下を治められました。
第三十代、敏達天皇さまです。
次に、蘇我稲目の娘岐多斯比賣を娶り生れた御子、
橘の豐日命さまも、ご即位されて第三十一代、用明天皇として、天下を治められました。
次に皇位を継承されたのは、同じ蘇我稲目の孫で、母は、小兄比賣の、
長谷部の若雀命さまが、第三十二代、崇峻天皇さまです。
さらに、その次に皇位を継承されたのは、
同じ蘇我稲目の孫で、用明天皇の妹にあたる、豊御氣炊屋比賣命さまが、天の下を治められました。こちらは、母の違う兄、第三十代、敏達天皇さまに嫁がれて、皇后さまでもありました。
第三十三代、推古天皇さまです。
史上初の女性の天皇さまでした!!
もう~だんだん、歴史が、近づいてきてますよね~(とはいえ、まだまだ飛鳥時代ではありますが…神代からと思うと……「今」に近く感じます^^)
そして、ここで、欽明天皇さまのくだりは終わっています。
欽明天皇さまの御陵は、「欽明天皇 檜隈坂合陵(きんめいてんのう ひのくまのさかいあいのみささぎ)」(奈良県高市郡明日香村)といわれています。
―次回へ
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