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伊勢の神宮 祭祀官と大神主 元伊勢一一六 神話は今も生きている ことの葉綴り四四六

雨や曇りでも、吉日が続く。

おはようございます。大雨予報が出ていますね。
皆さん、いかがでしょう?(書き終わったら昼になっていた、汗)。
「ことの葉綴り」訪れてくださり、ありがとうございます。
5月19日(水)は、一粒万倍日・大安・母倉日・神吉日の吉日の“カルテット”でした。おめでたい結婚のニュースもありましたね。
20日(木)も、一粒万倍日。そして21日(金)も、また18日(火)も寅の日と、吉日が続いています。
21日「ことの葉綴り」更新が、夜になるので、先に綴っておきますね。

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5月21日(金)大切にしたい大大吉日!

21日(金)まず金運に特に縁起のいい六十日に一度の「己巳(つちのとみ)の日」。
神社参拝や墓参により「神吉日(かみよしにち)」。
十二直「(たつ)」では、万物を建て生じる日。神仏祭祀に吉
二十八宿「(ろう)」は、縁談婚礼、契約・相談、旅行、移転に吉
さらに二十四節気の「小満」です。麦が穂を結んでいき生命が大地に溢れていく季節。ちなみに、古来から「お蚕さま」が桑の葉を食べて成長していく時期といわれます。
宮中でも5月6日に、明治以降、蚕のご養蚕のお仕事を受け継がれている、雅子皇后陛下が「御養蚕始の儀」に臨まれるご様子が報じられていましたね。

21日(金)伊勢の神宮では、正装したご神馬が、天照大御神さまにお参りする「神馬牽参(しんめけんざん)」(毎月1日、11日、21日)もおこなわれます。
毎月21日は、弘法大師こと空海さまのご縁日でもあります。

ね? 21日(金)金運だけじゃなく、新しいことを始めたり、命のつながりに感謝したり、皆さん、それぞれにとって、何か“大切”なことをしてみるのに最適日な、大大大吉です。さぁ何をしましょうか?(^^)
あっ前置きがすごく長くなってしまいました(苦笑)
さて、神話の物語に入ります。

初代の斎王、豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)さまの、ご巡幸の物語は、こちらをご覧ください。

二代目の斎王となられた倭姫命(やまとひめのみこと)さまの、伊勢までの物語はこちらを。


「ことの葉綴り」神さまごとの物語は、マガジンに。


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大和国へ駆ける「駅馬使(はゆまのつかい)」

天照大御神さまが、高天原から地上をご覧になられて、お鎮まりになる宮処と、見定めておられたのは、伊勢の国、五十鈴の宮でした。

そのことを、御夢に現れた皇太神(すめおほみかみ)さまから教えられた倭姫命さまは、「御送駅使(はゆまつかひ)」と呼ばれる五大夫(ごたいふ)や大幡主命(おおはたぬしのみこと)ら重臣たち、ご一行のみなと、終夜(よもすがら)の祝いの宴を催され、皆の旅の苦労や尽力を労い、そして、倭姫命様ご自身の言霊で、天照大御神さまのために、国を褒め寿がれ、平和と平穏を祈られたのです。

今から二千年以上も昔のことです。
天照大御神さまが伊勢の五十鈴の宮にお鎮まりになられました。
現在に受け継がれている、伊勢の神宮、皇大神宮(内宮)さまです。

その続きも見ていきますね。
「『倭姫命』読解」より。

時に、送りの駅(うまや)の使ひ、朝廷(みかど)に還り詣(ま)ゐ上(のぼ)り、倭姫命の御夢(みゆめ)の状(かたち)を細かに返事(かへりこと)白(まを)しき。
尓(そ)の時、天皇(すめらみこと)聞こし食(め)して、即(すなわ)ち、大鹿嶋命(おほかしまのみこと)を祭りの官(つかさ)に定め給ひき。
大幡主命(おほかしまのみこと)を、神国の造(みやつこ)、兼ぬる大神主(おほかむぬし)と定め給ひき。

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垂仁天皇への嬉しい報告

そのとき、「送駅馬(おくりのうまや)」を使った公用の使者が、大和の朝廷へと、お還りになられ、宮中へと上がられました。

重臣の五大夫(ごたいふ)たち、「御送駅使(はゆまつかひ)」と呼ばれていましたが、重臣たちの、公務の移動手段として、また緊急の連絡用に、使われていたのが「駅馬(はゆま)」でした。

倭姫命さま、五大夫たちの使者が、伊勢国から大和国へと、急ぎ向かったのですね。

そして、倭姫命さまがご覧になられた天照大御神さまの御夢(みゆめ)の様子を、とても丁寧に細かくお伝えされたのですね。

そして、それをお聞きになった倭姫命さまの父である垂仁(すいにん)天皇は、たいへんお喜びになられて、すぐさま次のようなことをお定めになりました。

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五十鈴の宮の祭祀の司と大神主

五大夫の中で、倭姫命さまのお近くで、祭祀を司っている大鹿嶋命(おほかしまのみこと)を、「祭祀の官(さいしのつかさ)」に。

大鹿嶋命さまのご紹介
中臣国摩大鹿嶋命(なかとみのやまとおほかしまのみこと)
祭祀を司り吉凶を占い、ご巡幸の安全を守るお役目
神代の時代から祭祀を司る天児屋命(あめのこやめのみこと)の子孫にあたり、中臣連(なかとみのむらじ)の祖先
祭祀の官」は、祭主として神事を主宰する職。その後裔に、伊勢の神宮皇大神宮(内宮)の神職の禰宜(ねぎ)を世襲した荒木田氏となっていきます。この代々の世襲は明治時代まで受け継がれていたのです。

そして、大幡主命(おおはたぬしのみこと)を、神の国のリーダーである(みやつこ)と、祭祀をおこなう神官を指揮する職の大神主にと、定められました。
大幡主命さまは、大若子命(おほわくごのみこと)さまとしても、物語に登場して、大活躍されていますね。やがて伊勢から、九州の博多の守護神さまとなられます。

天照大御神さまが、伊勢の五十鈴宮にお鎮まりになられ、次に、祭祀を執り行うための、リーダーが定められた、という感じですね。
このときに定まった、神宮の内宮の禰宜(神職)が、明治まで受け継がれていたこと。
大幡主命さまが、伊勢から博多でもお祀りされて、今も「博多どんたく」などで崇敬されている。
どちらも、神話は今にも生きている証で、すごいですよね。

まだまだ物語は続きます。いつもありがとうございます!感謝。

明日21日(金)ぜひぜひ、皆様も”大切”な一日としてお過ごし下さいね

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―次回へ
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