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初の女性、推古天皇と聖徳太子 “神話は今も生きている”ことの葉綴り 八六三

寅の日

おはようございます。七月十二日(火)の暦は、六曜は、「先勝せんしょう」午前が吉。先んじることで幸を勝ち取るとされる日。十二直は「あやぶ」で、物事を危惧する日。何事も控えめにしてよし。婚礼などのお祝いは吉。二十八宿は「しつ」祭祀、お参り、ご神事、祈願始め、婚礼、お祝いごとに吉。
そして、金運招来の寅の日です。 出したお金がすぐに戻ってくるという金運招来日!千里を往き、千里を還る虎にあやかりましょう!
今日も佳き日でありますように!
さて、神話の物語、最終章に入ります。


<note「ことの葉綴り」振り返り>


「ことの葉綴り」“神話は今も生きている”振り返りはこちらです。
よかったら、お好きな神さまの物語をご覧ください。



皇位を継承する“弟”がいない!?

第三十二代、崇峻すしゅん天皇さまは、史上初&唯一、臣下に暗殺された天皇となりました。
命を奪ったのは、叔父でもある蘇我馬子そがのうまこ

第三十代、敏達びたつ天皇さま、と皇后の豊御氣炊屋比賣命とよみけかしきやひめのみことさま。
第三十一代、用明天皇さま、そして、暗殺された、第三十二代崇峻すしゅん天皇さまも、みな、欽明きんめい天皇さまの御子で、異母兄弟にあたりました。
しかも、敏達びたつ天皇さま以外は、母方の叔父が、蘇我馬子祖父蘇我稲目と、飛ぶ鳥を落とす勢いほどの権力を持つ蘇我家との関わりがとても濃かったのです。

母違いの姉妹である、敏達びたつ天皇さまの皇后豊御氣炊屋比賣命とよみけかしきやひめのみことを、”襲おう”と計画した御子、間人穴太部王はしひとのあなほべのみこも、馬子の後ろ盾により皇位継承した、崇峻すしゅん天皇さまも、どちらも、馬子に殺されました。

そして、皇位を継承する兄弟の御子がいなくなってしまったのです。

いるじゃない!! 厩戸の皇子が!!
と、思うかもしれません。
用明天皇の御子の聖徳太子さまです。

でも、まだ年若かったのかもしれません。
ほかにもいたじゃないか!
それは、蘇我氏と遠く後ろ盾がなかったのかもしれませんね……。



初の女性天皇誕生&皇太子は聖徳太子

そこで、重臣たちから白羽の矢がたったのが敏達びたつ天皇さまの、皇后であり、腹違いの妹でもあった、豊御氣炊屋比賣命とよみけかしきやひめのみことさまでした。

豊御氣炊屋比賣命とよみけかしきやひめのみことさまは、さすがに……と、何度も辞退されますが……やがて、皇位継承を受けられました。

そして、小治田おわりだの宮でご即位されて、天の下を治められます。奈良県高市郡明日香に「小墾田宮(おはりだのみや)跡」があります。

日本初の女性の天皇、第三十三代推古すいこ天皇さまの誕生です。

このとき、皇太子となられたのが、用明天皇の皇子、聖徳太子さまでした!! 聖徳太子さまも、この宮で成務に携わられました。

推古天皇さまは、三十七年間にわたり國を統べられました。

やがて、戊子年の三月十五日に癸丑の日に身罷られました。

推古天皇の御陵は、始めに大野の丘の上にありましたが、後に科長の大陵に遷されました。

「推古天皇 磯長山田陵(すいこてんのう しながのやまだのみささぎ)」です。大阪府南河内郡太子町にあります。

夫、第三十代敏達びだつ天皇の御陵のお近くです。
「敏達天皇 河内磯長中尾陵(びだつてんのう こうちのしながのなかのおのみささぎ)」

と…と…なんと、ここで……
『古事記』は、終わりを迎えるのです!!!(笑)

―次回へ

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