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子孫に有名歌人も!神話は今も生きている ことの葉綴り。二三四



第五代 孝昭天皇(こうしょうてんのう)

こんばんは。今日は久しぶりの青空に雲が美しかったです。お仕事の後の夕暮れに「ことの葉綴り。」に向かいます。

今日も『欠史八代』と呼ばれる、知られていない神さまの系譜の続きです。
漢字が多いですが、ご了承ください。

第四代、懿徳天皇(いとくてんのう)は、四十五歳で身罷られて、畝傍山の眞名子(まなご)谷の上の御陵に眠られています。

この懿徳天皇(いとくてんのう)には、二柱の御子がいました。
御眞津日子訶恵志泥命(みまつひこかゑしねのみこと)と、
多藝志比古命(たぎしひこのみこと)です。

上の御子、御眞津日子訶恵志泥命(みまつひこかゑしねのみこと)が、皇位を継承されて、「葛城(かづらぎ)の掖上宮(わきがみのみや)」、で天下を治められました。
第五代、孝昭天皇です。

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民家に皇居の跡地!?

孝昭天皇の皇居であった宮は、現在の奈良県の南葛城郡とも、また奈良県御所市玉手が、伝承地とされています。
奈良県立御所実業高等学校の近くにある、民家の敷地内に、この「掖上宮(わきがみのみや)」の宮跡だと伝える石碑が残っているそうです!
一般の方の家の敷地に、宮跡地! すごいですね(^^)

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連(むらじ)と臣(おみ)の祖

そして尾張連(おわりのむらじ)の祖(おや)、奥津余曾(おきつよそ)の妹の、余曾多本毘賣命(よそたほびめのみこと)を皇后に娶ります。
連(むらじ)は、豪族の称号で、姓(かばね)の一つで、臣(おみ)などと同じく、位の高い豪族でした。
尾張連も、その豪族の一つの尾張氏のことです。連(むらじ)の中でも特に力のある有力な氏のことを、大連(おおむらじ)といいました。大連(おおむらじ)には、大伴氏、物部氏がいます。


この孝昭天皇と、余曾多本毘賣命(よそたほびめのみこと)に間には、二柱の御子が誕生します。
長男、天押帯日子命(あめおしたらしひこのみこと)と、
次男、大倭帯日子國押人命(おほやまとたらしひこくにおしびとのみこと)です。


さて、ここでクイズです。
この二柱の御子には、それぞれ、「天」と「大倭」の漢字があります。さて、皇位を継承したのはどちらでしょうか?
兄で「天」が継ぐのか? 次男だけれど、「大倭」が継ぐか?
どっちでしょうか?
答えは、のちほど!

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臣(おみ)、末裔の有名人

そして、第五代孝昭天皇は、九十三歳で身罷られて、お宮のあった「掖上(わきがみ)」の博多山の上に、「掖上博多山陵(わきのかみのはかたのやまのえのみささぎ)」に、お祀りされました。

父である、第四代、懿徳天皇(いとくてんのう)の畝傍山の眞名子(まなご)谷の上の御陵とは、10㎞弱、車でも20分ほどです。


そして、先ほどのクイズの答えですが、
第六代の皇位継承を継いだのは、
弟の大倭帯日子國押人命(おほやまとたらしひこくにおしびとのみこと)
でした。

兄の天押帯日子命(あめおしたらしひこのみこと)のことも『古事記』には、こう記されています。


兄(いろせ)天押帯日子命は、春日臣、大宅臣、粟田臣、小野臣、柿本臣、壹比韋臣、大坂臣、阿那臣、多紀臣、羽栗臣、知多臣、牟邪臣、都怒山臣、伊勢の飯高臣、壹氏臣、近淡海國造の祖なり


臣(おみ)は、前出した、連(むらじ)と同じく、豪族の称号で、姓(かばね)の一つ位の高い豪族のこと。

兄の天押帯日子命(あめおしたらしひこのみこと)の子孫は、多くが、歴史に名前の残る「臣」の祖となったのですね。

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神話は今も生きている

「万葉集」の有名な歌人、柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)も、この天押帯日子命(あめおしたらしひこのみこと)の子孫となります!

では、せっかくなので、柿本人麻呂の百人一首の歌を。
神話の時代の古から、今も詠まれている和歌を一首。

あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の
ながながし夜を ひとりかも寝む


雄と雌が夜には離れて寝るという山鳥。その山鳥の尾のように、長く垂れ下がった尾のように、これほどにも長い、長い夜を、私もまた、あなたと離れて、一人寂しく眠るのだろうか……。


秋の夜長に💛
おやすみなさい(^^)

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―次回へ

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