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時澤 言森(ときざわ こともり)
2021年5月29日 20:51
自分にプレッシャーをかけることは、時には必要なことだと思う。が、それによって溜まったストレスを、自力で発散・解消しきれなくて、その「捌け口」に他人を巻き込み使ってしまうようになるくらいなら、そんなプレッシャーなら、やっぱり自分にかけないほうがいいのだ、と思う。いかなる場合でも。「自分で自分に厳しく、他人にも厳しい」それ自体は、別に悪いことでも何でもない。が、問題なのは、「自分で自
2021年5月29日 20:39
何故人は、自分より恵まれている人の方に目がいってしまうのか?(というか、はたしてその習性により、自分も恵まれる方角へと、歩を進めることはできるものだろうか?)「同じ条件さえもらえれば、自分だって!」なんてつい思ってしまう。が、自分よりその「条件」が既に悪い人だっていくらでもいるのだ。なのに、どうしてか「自分より恵まれている側・うらやむ側のほう」にばかり目がいく。それが人の元々持っている
2021年5月23日 10:44
「自己顕示欲」は、最近薄まってきたかもしれない。と、いうか、なんとなーく、(「他人から見て」ではなく、自分で)自分の自己顕示欲が、まるで何だか伸びすぎた前髪のように「鬱陶しく」、また自分の「集中力が削がれるように」「視野が狭くなるように」感じられることが増えたので、意識して抑えるようにしている、という感じかもしれない。「欲」というものは、概してキリがないものだ。「自己顕示欲」もま
2021年5月23日 09:42
自分なりに精一杯健康に留意していれば、老いによる死や衰えに対して、多少は、寛容になれたり、恐怖心も減るものかもなあ、と、ふと思う。「ベストを尽くしていれば」諦めもつく、という言い方もできるか。「自分なりにやれるだけのことはやっている」は、何においても大事。これもまた、「後悔先に立たず」だな、と。いや、最近、どこかにちょっとした不調が出ただけで、「悪い病気の予兆だったら?」「もしこ
2021年5月16日 14:21
絶望「できる」だけまだマシ、という考え方もあるのかもしれない。絶望した、というそれは、かつて一度でも「望み」があったという証だから。「望む」ということを一切しなくなれば、人は、(それでも最低限生きていけるなら、)ラクには案外なれるのかもしれない。でも、「ホントにそうしたいか?」と、問われたなら、自分の場合、答えは「否」だろうな、ともまた思う。いや、ラクはしたいけどさ(笑)、で