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自分のことを「好き」と言える人生を

ぼくは勇気をだして、決断した。

6年勤めてきた会社を退職する。

所属にも報告して、いまはお世話になった方々に10分お時間をもらって電話で報告している。


勇気が必要だった。
ぼくが選ぶ道は転職ではない。
フリーランスだ。

コロナが世界を襲って、未曾有の不安の中で暮らす現代。僕にはチャンスに思えた。今、自分を変える時だ!この1年はあらゆることにチャレンジしてきた。やってこなかったことにたくさんトライした。周りから見たら滑稽だったかもしれない。それまでに、準備を怠ってきたからこの危機に対策を打てないでいた。コロナ影響により自分の給料が、下がったことに対して文句しかいえなかった。

ふと思う。
自分の人生はこれでいいのか?
このままでいいのか?
本当にいいのか?

僕が今の会社に入社したのは、家族をおもって。辛い思いをしてきた家族が大事に育ててくれた恩に報いたくて就活もやっていた。安心させたかったのだ。だからぼくの就活の軸は「家族が知っていて、サービスを利用したことのある大企業」結果的にそれは叶えることができた。とても喜んでくれたし、周りの人たちにもたくさん話していたらしい。ぼくが今の会社にいることが、価値になった。

ぼくが勤めている企業は、百貨店。
今だから言ってもいいけど、名前だけは伏せておく。

入社後は婦人靴担当となり、現場責任者、その後店頭からは離れて、法人担当。現在は本社の財務担当を任せてもらうまでになれた。僕としても、会社人生で言えば、いくら衰退産業、業界とは言え、社員が2万を超える会社の財務担当の一翼を担うという点では誇らしくも思えた。

でも、満たされない何かは膨れ上がる。


とかく苦しかったのは、「やりたい」がこれまで会社の中で見つけられていなかったこと。ポジションとか職質的な満足は得られていても、心を突き動かすものは見つけられていないこと。そうなると、この会社でいる意味が家族だけになってしまい、自我が失われている気がしていた。

年齢もまもなく29歳。

会社人生を定めるのであれば動く必要、もしくは残り強く生きていく決断があった。転職も考えたけどやりたいと、行きたいが見つからない。


そんな時に出会ったのがカメラだ。
きっかけは些細なこと。
お風呂仲間がカメラマンだった。
悩みを打ち明けると、やってみたら?という提案。


僕のバックボーンを話していたから、ぴったりだし、ものすごくストーリーとして伝えられる事が多いとのこと。

一年間いろんな事をやっていたから、その延長でやる事を決意してスタートさせた。これが僕のカメラとの出会い。それは2021年3月8日。この日にカメラが届く。いまのぼくの相方だ。その翌日には初めましての方を撮影している自分は今でもびっくりする。(我ながらよく行動できた)

その後は、男性、女性1人のポートレートを練習含めて撮影する。そして、ついにある時が訪れる。2021年3月24日。この日は、はじめて家族写真(お子さんの入園式)。任せてくれたのは元同期のご家族。

正直言って、1番怖い撮影だった。入園式という大事な日、家族写真というそのもの。怖くて怖くて前日はご飯が食べれなかった。当日、衝撃が僕の身体を走った。撮影していて、涙が出そうになった。そこには幸せな家族の光景と空気を肌で感じたからだ。そしてなにより、ぼくもこうだったのかな?って思ったから。言葉では言い表せないくらいの衝撃だった。シャッターを大事に押そうと思えた瞬間だった。主役はもちろん子供なのだけど、そこにいるご両親の表情、目に見えない両家の祖父母の存在。今日という1日をとても幸せな気持ちで迎えている家族の光景が眩しくて、羨ましくなった。でも、きっとこれはぼくも経験している事なんだとも思えた。家族写真を、撮らせてもらうきっかけがあったから、僕も家族の気持ちを想像していた。それと同時に、この子のあと何年後かに僕は両親を失ったんだとも思った。そう思うとその気持ちは、シャッターに想いとともにのる。いま、この瞬間を大切に残してあげたい。目の前にいるこの子が、大きくなった時に見返して嬉しくなるような写真を渡したい。僕が家族写真を心から渡したいと、そしてそれが自分にとっても価値があるものだと気づいた。やりたいを見つけた。


家族写真は、自分にとって支えになったもの。

両親の立場で考えると、
成長記録、思い出を残す、家族になってくれた喜びが表現されているとおもう。

子供の立場で考えると、
両親からの愛、自分の愛され方、家族にしてくれた喜びかま表現されているとおもう。

家族写真というものは、家族がより、深い絆で刻まれるきっかけになるもの。互いを大事に思う機会となるもの。


自分にしかできないことを見つけた。
自分だから伝えられる事を見つけた。

ぼくは、家族写真を通して、自分の人生を好きと言えるきっかけを作りたい。家族と過ごす時間の大切さをもっと知ってほしい。あまりに近い存在だから、いつでも会えると思ってしまうし、大切にしてるって思い込んでしまう。ぼくだから言える事は、そんな事一瞬で消えてしまうということ。大切に出来る時にしなかったら、意味がない。気持ちは形にするべきだし、表現するべき。でもみんな忙しいから、大変かもしれない。だから写真を残そう。


写真は、考える余白がある。


写真は思い出を繰り返す。


会えない、使えない時間は写真が代替えを担ってくれる。


そして、いつの日にか家族とのお別れがあった時、自分の心の支えにも力にもなってくれる。ずっと色褪せない。


これは僕の体験から間違いないと確信を持って言える。


多くの人に届けたい。

家族と過ごす時間を大切に思えるきっかけを。


おれ、がんばれ。

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これテレホンカードです。
僕の人生を支えてくれた家族写真はこれです。
元の写真はある商業施設で撮影したものです。でもその場で現像してもらえるものだったそうです。つまりこの写真を撮った時にその日、その場所でここに写る4人が全員触れたという事を意味します。もっと言えば、きっとこの写真を4人で覗き込んだことでしょう。だからぼくには価値があるんです。表情、背景は関係ありません。この写真が持つストーリーが大事だからです。僕はそういうカメラマンを目指しています。撮影は写真を渡すだけではありません。体験を渡すんです。そこにある物語を語るのが写真だと思ってます。

また当時、このテレホンカードはここにいる両親が亡くなった時にお返し?でお渡ししたものようです(詳しくはよくわからないのですが)。最近、仏壇を掃除していたら見つけました。以来、携帯のケースにしまって常に持っています。ぼくはこの写真で救われました。自分にも両親がちゃんといるって。

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