十谷あとり

ことばをさぐるひと。事務員として働きながら短歌や詩について考えている。書くことは、頭の…

十谷あとり

ことばをさぐるひと。事務員として働きながら短歌や詩について考えている。書くことは、頭の中の渾沌をほどく試み。 短歌冊子[フミノオト]編集発行者。

マガジン

  • 身体と痛み、トラウマとヨガと太極拳についての長い話

    長く抱え続けてきた痛みについて、痛みがどこから来て、何を教えてくれるのかについて考える。痛みと向き合うために始めた太極拳とヨガについて書く。

  • 短歌の話をしよう

    愉しみと歌を作りて友一人もしくは二人よろこべば足る  玉城徹 『蒼耳』

最近の記事

貴重な体験

流産の経験はトラウマになっている感じがしない。ある程度苦痛も伴ったし、怖かったし不安だったし、とても悲しかった。だがネガティブな体験なら何でもトラウマになるかといえばそうではないようだ。 その時わたしには既に一人こどもがいて、健康に育っていた。そして夫もわたしを支えてくれ、穏やかな気持ちで次の機会を待ってくれていた。夫が信じていた通り、次の機会はほどなくやってきて、わたしたちのところに二人目のこどもがやって来てくれた。 たまたま運がよかったといえばそれまでだが、わたしにとって

    • 魂を奮いたたせる声

      二十年ほど前、斎藤一人さんの『地球が天国になる話』というCDを聴いて涙が止まらなかった時期があった。さまざまな逆境にあって、「生きているのが苦しい」と思っている人へのメッセージだった。講演を文字起こしした書籍が今でも手に入るかと思う。内容は同じだがわたしが感動したのは付属のCDの語りだった。100%虐げられた側に立って、抑圧された魂をひたすら勇気づける声だった。人の声には、人間の魂を奮いたたせる力があるのだなと知った。

      • 歌会雑感

        しばらく歌会から離れてまた戻って来てみると、いろんな人がいるなあ、みんなめんこいなあと思う。 詠まれた事物に関する豊富な知識を披瀝してくれる人がいる。 歌から妄想をふくらませそれについて滔々と語るというエンターテイメントを提供してくれる人がいる。 話すのが上手な人、説得力がある人もいる。要所要所で的を得た批評を入れて下さるとありがたい。ただ、だからといって何でもかんでもその人の意見が正しいとは限らないので盲従したりひきずられたりしないように。 初回からきびきびと意見を出して下

        • 短歌冊子「フミノオト」の話

          所属結社の解散後、何か作歌の励みになる拠り所が必要だと思った。〆切に迫られて書く厳しさがなくなってほっとした反面、歌を書く方へ追い込んでくれるものが何もないと仕事と生活に翻弄されて毎日が終わってしまう。それではだめだ。 紙もの――印刷物がいいと思った。簡素でいいから自力で作り続けていけるもの。 短歌を始めたばかりの頃、「空中底辺」というタイトルで小冊子を作って数人の方に配布したことがある。A4用紙に両面印刷、半分に折ってステープラーで中綴じ製本。造りも中身も粗いもので、数回で

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        • 身体と痛み、トラウマとヨガと太極拳についての長い話
          41本
        • 短歌の話をしよう
          9本

        記事

          夜のちからを

          こどもの頃、昆虫図鑑で蝉の羽化の解説文を読んだ。深夜から明け方、土から出てきた幼虫が木の幹に上る。殻の背中が割れて中から成虫が出てくる。成虫は一旦頭を下にしてぶらさがり、頭を上に戻す。そこでしばらく羽や体が安定するのを待ち、朝、飛び立つ。そのような説明だったように思う。その見開きにあった写真、羽化したばかりの淡い翡翠色の蝉にこころを奪われた。羽化したての透きとおるような蝉を見てみたいと思った。 随分年月が経ってから、その機会が到来した。谷町に転居した最初の夏、牛乳を買おうと深

          夜のちからを

          『河原荒草』をもう一度読む

          昨年、伊藤比呂美さんの『河原荒草』をはじめて手に取った時、表紙にあしらわれたタイトルと著者名の大きな文字を見て(こんな本をどこかで見たな)と思った。ただ、それが何の本かが思い出せない。詩集ではなかったような……。 何度も読んでうちのめされて、本棚にしまうにもしまえずパソコンの横に立てたままにしていたこの詩集を先程もう一度出してみたら、あっけなく思い出した。藤原新也の『鉄輪』だ。 せっかく取り出したので、『河原荒草』をもう一度読むことにする。

          『河原荒草』をもう一度読む

          苦心したものを読みたい

          兼題にもとづいて〆切までに歌を書く場合がある。その時の心持と響き合う兼題だと連想をふくらませやすいし、〆切までの日常に体力気力の余裕があればなおよい。だいたい、どちらもそうはいかない。 思い浮かんだことばを書き留めるのに使うのはシャープペンシルとメモ紙。消しゴムは使わない。消している間に忘れるし、一旦消そうとしたことばをまた使うこともあるから。紙を大量に使うのでA6サイズに切り揃えたコピー用紙を備蓄してある。この時点では横書き。 もやもやしたことばのかたまりが出来てきたらそこ

          苦心したものを読みたい

          何かを書こうとする時

          ・ペデストリアンデッキのうへにすれちがふ開いた傘、畳まれた傘、西寄りの風 上記の自作に対し「ものを対比させた歌というのは安易な作り方だと思う」という意見をもらった。 (そうかな)と思ったが反論はしなかった。(そうかな)の中身を具体的に説明すれば「作り方の問題ではないだろう」ということ。ものを対比させた歌にも、ものづくしの歌にも、いい歌はいくらでもある。要するに、当該の作品の出来が冴えなかったという話。 何かを書こうとする時、技術的な問題はさておき、どれだけ対象を観察できて

          何かを書こうとする時

          太極拳を、ひとりで、戸外で

          自宅の室内では、太極拳の練習をするのに必要な空間を確保するのが難しい。そこで、戸外で練習することにした。屋上で。エントランスで。公園で。出先の神社の境内や浜辺で。昼休みの職場でも。最初は人に見られるのがすごく恥ずかしくて、がちがちになりながらやっていたが、やっているうちにふと思いついた。通りすがりの人の目より、自分が通っている太極拳教室の先生や先輩の目の方が、どう考えたって厳しいのではないか?ならばひとりで外で練習するときは、自分が気持ちよく動けることを最優先にしよう。 梅

          太極拳を、ひとりで、戸外で

          小さな驚きの中身

          『サラダ記念日』が刊行された一九八七年、わたしは二十二歳で、まだ短歌に何の関心も接点も持っていなかった。『サラダ記念日』を取り上げた新聞記事を読んだ覚えはある。それらの記事を読んで小さな驚きを感じたことも覚えている。驚きの中身は何だったのだろう。 今頃になって当時どう思ったのか細かい枝葉まで正確には思い出せないが、思いの幹の部分としては (「いま」を描くために、小説でもエッセイでも詩でもなく短歌という古い形式を選ぶひとがいるんだ、それも、自分と同世代のひとが……。)といったと

          小さな驚きの中身

          身体に「大丈夫だよ」とメッセージを伝える

          先日、ある会の司会進行を引き受けることになった。人の多いところが苦手、大勢の人の前で話すのも苦手、無理をすると必ず後日頭痛が来るとわかっている。だが今回の件に関しては不思議と「できるかも」「やってみよう」という気持ちが先に立った。完成した進行の原稿を事前に渡されたのも心強かった。 そうは言いつつ、当日、開演時間が迫るにつれ緊張はしてきた。首と肩がどんどんこわばってくる。それと同時に頭がぼんやりして何も感じなくなってきた。痛いのも困るが頭がシャットダウンするのはもっと困る。緊張

          身体に「大丈夫だよ」とメッセージを伝える

          ニーバーの祈り

          〈私たちに変えられないものを受け入れる心の平穏を与えて下さい。変えることのできるものを変える勇気を与えて下さい。そして、変えることのできるものとできないものを見分ける賢さを与えて下さい。〉 「二ーバーの祈り」という文言にはじめて触れたのは、斎藤学さんの本を通してだったかと思う。それから二十年以上経った。今でも自分は「人並み」だとは思えないが、とにかく病気にもならず薬も飲まず働くことができているのは、努力したからではない。努力なんてできなかった。たまたま助かったのだ、状況が変化

          ニーバーの祈り

          笑えない喜劇

          物心ついた頃から、母からメッセージを受け取り続けてきた。母はずっと「父と離れたい」と言い続けた。父はよく働く人だったが、母に対して暴力を行使し、暴言を発し、生活費を渡すのを渋った。だからこども心にも、母がそう言うのも無理はないと思った。 重ねて、それでも母が父のもとに留まっているのは、わたしがいるからだ、そもそもわたしが生まれなければ、父とも結婚しなかった、と、母は繰り返しわたしに語った。 たとえそれが事実だったとしても、片方の親が片方の親を悪く言うのを聞かされるのはいやだっ

          笑えない喜劇

          もし痛みがなかったら(2)

          誰かと話がしたい。歌会で、歌の批評を。意見交換を。あるいはもっと肩の力を抜いて、好きな歌の話を。読んだ本の話を。生活の中で創作を続けていく中で感じていることを。歌や詩にまで育ててやれなかったけれども、ちかっと光って見えた、小さな欠片の話を。 わたしの他にもそう思っている人がいるかもしれない。そういう人と、椅子をまるく並べて話をしてみたい。いろんな考え方を聞いてみたい。言いっぱなし聞きっぱなしでもいいし、誰かの意見に自分の考えをつなげて聞かせてもらってもいい。 「『話す』は『放

          もし痛みがなかったら(2)

          身体のことばで〈いま、ここ〉に戻る

          わたしの頭の中は散らかっている。古家みたいになつかしいものでいっぱいで、どこもかしこも傷んで傾いでいる。ものを考えようとしてもなかなかまとまらない。物思いというのはだいたい明るい未来の方には向いていかない。傾いた床を転がるビー玉のように、過ぎたこと、済んだこと、取り返しのつかない方へと転がってゆく。こどもの頃からそうだった。そういう考え癖があるのだろう。 ただ、目の前にしなければならないことがあるのに、そんなよしなしごとで頭がぼんやりしてばかりでは、困る。自分を〈いま、ここ〉

          身体のことばで〈いま、ここ〉に戻る

          生き抜いてきたことへの敬意

          2021年8月、テレビから、アメリカ軍がアフガニスタンから撤退したという ニュースが流れてきた。国外に退避しようとするアフガニスタンの人たちが、大きな飛行機の底にぎゅうぎゅう詰めに乗り込む映像があった。小さな子を抱えている人もいた。胸を衝かれた。 母もあのようにして内地に戻って来たのではないか。 母は昭和13年に台湾の台北市で生まれ、そこで幼少期を過ごした。国民学校二年の時に戦争が終わって、内地に引き揚げることになった。祖父は兵隊にとられていたから、祖母は母を頭に五人のこども

          生き抜いてきたことへの敬意